個人情報をやたら気にする人に使える悪口「ルンペルシュティルツヒェンじゃないんだから」
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BW_machida

2021/12/12

 

2021年12月22日発売の書籍『教養(インテリ)悪口本』(堀元見著・光文社刊)より、今日から使えるインテリ悪口を抜粋してお届けします。イラッときたときやモヤモヤしたときに使って、ディスりたい気持ちを教養に変えてみてはいかがでしょうか。

 

「個人情報」への意識が変わって久しい。
1992年生まれの僕は、「インターネットは危ない」と中学校で叩き込まれた世代である。デジタルネイティブになれなかった最後の世代、と言い換えてもいいかもしれない。

 

地方の公立校だったので、教師もとにかく保守的でテクノロジー受容レベルが低く、「インターネットに顔写真を一度上げたらこの世の終わり」みたいなことを言っていた。今となってはお笑い草である。当時は「出会い系サイトを利用した中学生が殺された」みたいな事件もあったから、ある程度の過剰反応は避けがたかったのかもしれないけれど。ともかく僕はそういう過渡期に思春期を過ごし、「インターネットに自分を出すな」と言われ続けてきた。現在、僕がインターネットに自分の恥部を垂れ流して生活しているのも、その反動なのかもしれない。子どもに制約を課すと反作用がすごいので、のびのび育てた方が良さそうだ。あなたもお子さんにはインターネットを自由に使わせてあげてほしい。自分の子どもをインターネットに恥部を垂れ流して生活する大人にさせないために。

 

さて、時代は変わった。今では「インターネットに顔を出したら終わる」などと考えている中学生はまずいないだろう。誰でも当たり前にInstagram をやり、TikTok をやり、自分の顔や名前をそこら中に出している。自分の写真が1枚もインターネットにない人は、もはや見つけるのが困難なはずだ。

 

ちなみに僕は5年くらい前に、「個人情報の保護なんて時代遅れすぎん?」と豪語して電話番号から住所からあらゆる個人情報を公開していた時期がある。その名残りで、未だによく分からない中学生からイタズラ電話がかかってくる。一度公開すると消えないのだ。デジタルタトゥーとはよく言ったものである。「堀元見 電話番号」とググると多分今でも番号が出てくると思うが、くれぐれも電話をかけようとしないでほしい。普通に今でも使ってる番号だから

 

電話番号や住所をネットに撒き散らせとは言わないが、かといって過度に個人情報の流出を恐れるべきでもないと思う。「顔写真」のレベルまで避けようとすると、生きるのが大変になる。特に、20人ぐらい写っている集合写真の中の1人が、「ネットに上げるなら私の顔はボカしてください!」と注文をつけてくる時などは、正直「お前気にしすぎちゃうか」と思う。20人のうちの1人、ほとんど注目もされないような形で写っている写真が、どんな不利益になるのだろうか。

 

もちろん、「会社をサボって遊んでいるのがバレるとヤバいから」とかの理由があるならよく分かるけれど、どうも彼らはそういう事情もなく強迫的に「とにかくインターネットに顔は絶対出さない!」と必死になっているようなのだ。世界はあなたに興味ないですよ。あなたの写真が1枚上がったところで、誰も見てませんよと諭したくなるのは、インターネット芸人のサガだろうか。

 

そんなワケで、強迫的に個人情報を保護しようとしている人を見ると「もう少し気楽に人生を楽しんだらいいのに」と思う。しかしまあ、そういう人の価値観を頭ごなしに否定するのもよろしくない。だから、僕はいつも「ルンペルシュティルツヒェンじゃないんだから」と思うことにしている。

 

『ルンペルシュティルツヒェン』は、グリム童話の作品の1つだ。
あらすじをざっくり説明すると

 

• ヒロインが小人に赤ちゃんを奪われそうになる。
• ヒロインは一生懸命「やめて!」とお願いする。
• 小人は「オイラの名前を3日後までに当てられたらやめてあげよう」と言う。
• ヒロインはあらゆる名前を小人に言いまくるが、どれも「違うよ」と言われてしまう。
• 3日目になって、ヒロインの部下が山奥を歩いている時に、小人が“オイラの名前はルンペルシュティルツヒェン”と独り言を言っていたのを聞いた。
• だから、ヒロインは「あんたの名前はルンペルシュティルツヒェン」と言い当てることができた。
• 小人は当てられたショックで自分の身体を引き裂いた。

 

というものだ。小人の精神状態がイマイチよく分からない話である。
小人の精神状態だけでなく、物語のメッセージ性もイマイチ分からないのだけれど、どうもこの話は「名前の神秘性」を表しているらしい。この物語には、「誰かの名前を知ることで、その人を操ることができる」という隠喩がある。

 

現代日本人の我々にはピンとこないが、古今東西、あちこちで「本名はなるべく隠す・使わない」みたいな風習があるのは、まさにそういうことなのだと思う。たとえば古代中国にも「諱(いみな)」とか「字(あざな)」とかいう概念があった。人の本名は諱(いみな=忌み名)であり、やたらと使うべきものではなかったのだ。普通に名乗る時は通り名である「字(あざな)」を名乗っていた。

 

このように、世界中でなんとなく信じられていた「名前を知られるとヤバい」という感覚を具現化したのが、ルンペルシュティルツヒェンという小人の童話なのである。ということで、極端に個人情報の漏洩を恐れる人は、ルンペルシュティルツヒェンにたとえてあげたいところだ。自分の名前が漏れただけでショックで身体を真っ二つに引き裂く様子は、まさに強迫的な個人情報保護を求める人にふさわしい。ぜひご活用いただきたい。

 

<使用例>
「今撮った集合写真ってどこかにアップする?」
「え、まあ、インスタには上げようかな。鍵垢だけど」
「私の顔は出ないようにして! スタンプで隠してね! 絶対ね!」
「…… ルンペルシュティルツヒェンじゃないんだから」

 

参考文献/グリム兄弟『ルンペルシュチルツヒェン』(楠山正雄訳・青空文庫)/ Andrew Colman『A Dictionary of Psychology』(OxfordUniversity Press, 2009)

 

<補足>
この、「名前の神秘性」を敷衍して、心理学の世界では「ルンペルシュティルツヒェン現象(Rumpelstiltskin phenomenon)」という言葉が生まれた。

 

「名前をつければ分かった気になって安心できる」みたいな現象らしい。最近だと「繊細さん」とかがそれに相当するような気がする。「繊細さん」についての本がベストセラーになって以来、なんとなく生きるのが大変だと思ってた人たちが猫も杓子も一斉に「繊細さん」を自称し始めた。

 

中にはとても繊細であるとは思えず、むしろ「鈍感さん」と表現すべき人たちでさえも「繊細さん」を自称しており、「私って繊細だから、私がどんなミスをしても絶対に怒らないでほしい!」とかなんとか言い出している。そんな厚顔無恥な振る舞いができる時点で繊細からほど遠いんだけど、とにかくそういう肩書きを自称している。

 

こういう人たちを見ると、「ああ、自分に何か名前をつけて安心したい(あわよくば得したい)んだな」と思う。だから、こういう人には「ルンペルシュティルツヒェン現象だね」と言ってあげるといい。合わせて憶えておきたい補足インテリ悪口である。

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