akane
2018/10/24
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2018/10/24
ふつうモノクロでしか見ることのできない昭和30年代の日本を、カラー写真で記録していた人物がいた。
アメリカ出身、日本と日本の鉄道をこよなく愛する、元祖「カラー撮り鉄」、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。
1956年に、初来日。’58年に本格的に来日以降、日本に在住。国鉄の顧問を務め、日本全国をくまなく巡りながら、趣味の鉄道写真を中心に、当時としては超贅沢なカラーフィルムで日本の風景を多数撮影してきた。
そんなヒギンズ氏が、このたび出版した『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』から、いくつかの写真と、それにまつわる思い出話をご紹介する。
「開業前に初めて民間人を招待して行われた試験走行に、私も招待されたので、カリフォルニアから来ていた友人と妻(日本人)と共に、豊橋まで乗っていった。
当時はまだ線路が安定していないということで、国鉄も非常に慎重で、東京-新大阪間に16時間かかったから、在来線の方が早いくらいだった。
しかし、そうやって安全を確認しながら、徐々に走行スピードをあげ、最終的には、当初新大阪まで4時間の予定を、さらに1時間短縮して3時間での走行が実現したのだ。
この民間人を乗せた試験走行の時、静岡駅の東海道線の上を渡る橋のさらに上に新設された線路を新幹線が走った。
どこかで情報を聞きつけた地元の人たちが、夢の高速列車・新幹線をひと目見ようと、橋の上に鈴なりになっていたのはとても印象的だった。これはその時の様子だ」
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