300ドルで密入国!イスラム教徒が凍傷で手の指を失ってでもカナダを目指すワケとは
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カナダ・マニトバ州にあるアメリカと国境を接する町、エマーソン。平原が広がる

 

2017年2月下旬。米国では、北のカナダ国境を巡るニュースが話題となっていた。
米国から国境を不法に越えてカナダに移るイスラム系の人たちが急増していたのだ。

 

特に注目を集めたのは、彼らの不法入国の方法だ。深夜に7~8時間、氷点下10~20度の寒さに耐えながら、人気のない雪原をひたすら北へと歩くというのだ。カナダ側で保護された人たちの中には、凍傷で手の指を全て失った男性もいた。決死の逃避行だ。

 

カナダの国境の地図

 

そこまでして米国を離れたい理由は何なのか。

 

言うまでもなく、彼らがカナダに向かうきっかけをつくったのは、トランプだ。

 

トランプは1月末、イスラム圏の国々からの入国を制限する大統領令を発令した。その結果、国内外の空港などで足止めされるイスラム圏出身者が続出し、世界的な混乱に発展した。

 

大統領令はその後、司法判断で一時的に差し止められた状態が続いているが、いつ復活するかわからない。トランプが大統領である限り、何が起こるかわからないと誰もが気づき始めている。こうした事態を踏まえ、「いつ追い出されてもおかしくない」と今後に不安を感じた国内のイスラム系の人たちの一部が、米国に見切りを付け始めたというわけだ。

 

そうした中の1人が、ソマリア出身のモハメド・サイード(30)だ。

 

カナダに来たいきさつを教えてほしい。

 

「いいですよ」。モハメドはイスに腰を下ろし、英語で話し始めた。カナダに来てまだ10日目だという。

 

新生活の準備のため支援施設を訪れたモハメド・サイード

 

10日前の夜、氷点下15 度と極寒の暗闇の中、約5時間歩いて国境を越えた。

 

ソマリア出身者が多いミネアポリスで、密入国の手配師に300ドル(約3万3000円)を払い、バスとタクシーを乗り継いで国境近くへ来たという。

 

時刻は午前1時前だった。目の前は雪交じりの平原と聞いていたが、目印も光もないのでわからなかった。タクシー運転手が「あっちがカナダ」と指さした方向に歩き始めた。同行者は初対面の7人。全員ソマリア人だった。セーターを重ね着していたが、想像以上に寒かった。震えていると、エチオピアの難民キャンプにいたというハッサン・アフマド(29)が話しかけてきた。

 

ハッサンの過酷な経験に驚かされた。ソマリアで誘拐され数日監禁されたこと、アフリカ・ウガンダ経由でブラジルに入り、ジャングルで迷いパナマで拘束されたこと、米国に入って拘束され、収容所に2年近くも入れられたこと──。「これまでの苦労に比べれば、我慢できる」と言うハッサンに励まされ歩き続けていると、光が見えてきた。カナダ・エマーソンの救助隊の車だった。

 

救助隊にもらった温かいコーヒーをすすると、モハメドは言いようのない安堵感がこみ上げた。「これがカナダ。最後の不法入国になるな」。その後、警察当局に一時拘束されたが、すぐに解放された。そしてウィニペグに移動し、難民認定の手続きを始めた。ウィニペグのテレビで見るトランプのニュースは、まさに「別の国の話」だった。「イスラム教徒を嫌うトランプの国と違い、ここは安全で安心できるよ」

 

モハメドはソマリアで、食品販売会社の営業マンだった。イスラム過激派のテロなどで治安が悪化し、家族の将来を考え米国移住を決めたという。まずは自分が行って生活基盤を築かなければならない。妻子に「必ず迎えに戻る」と言い残し、2015年春、偽造旅券で南米コロンビアに渡り、陸路で北上しメキシコから米国に不法入国した。「難民認定は警察を頼るのが近道」と聞いていた通り、米当局に出頭した。しかし、その後1年以上も収容所に入れられ、難民申請も認められなかった。

 

2016年秋、釈放されたのを機に知人が暮らすミネアポリスに移り、難民認定に再挑戦した。オバマ前政権下では、難民申請が却下されても、犯罪者以外はすぐに強制送還されることはなかったのだ。しかし、2017年1月にトランプが不法入国対策を強化する大統領令に署名して以降、「犯罪者以外の送還が増えてきた」。それに、ソマリア自体が入国制限の対象国に含まれていた。「このままでは妻子に会えない。自分もソマリアに帰されるかもしれない」。難民認定の希望は失望に変わり、知人の部屋に閉じこもった。

 

2月に入ると、「カナダが助けてくれる」との情報が同胞の間を駆けめぐった。移民・難民を差別的に扱おうとするトランプに対し、カナダのトルドー首相はツイッターで「迫害やテロ、戦争から逃れる人たちへ。カナダ人はみなさんを歓迎します」と表明していた。カナダの移民・難民対策担当の閣僚にソマリア出身者が任命されたという話も入ってきた。「行くしかない」と思った。

 

話の途中で、ハッサンが現れ、隣に座った。ウィニペグに来てから2人で行動することが多いという。「一緒に苦境を乗り越えた同志だからな」と向き合って笑った。「米国のことはもう考えない。いずれは妻と子供をカナダに迎え、新しい人生を築くよ」。モハメドの表情は明るかった。

 

 

この記事は『ルポ 不法移民とトランプの闘い』(光文社新書)より一部を抜粋、再構成してお届けしました。

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