なぜ負けたのか? 『WHAT HAPPENED』#4ヒラリー・ロダム・クリントン
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2017年9月にアメリカで刊行されたヒラリー・クリントン前民主党大統領候補の最新自伝『WHAT HAPPENED』(邦題『WHAT HAPPENED 何が起きたのか?』高山祥子訳)はたちまちミリオンセラーとなりました。このタイトルが示すように、あの歴史に残る大統領選を事細かに振り返った内容です。今回、邦訳版の刊行に合わせ、520ページ及ぶ長大な内容からハイライトを紹介していきます。

 

 

なぜ負けたのか?

ヒラリー・ロダム・クリントン著『WHAT HAPPENED 何が起きたのか?』より

 

選挙は総計一億三六〇〇万票のうちの七万七七四四票で決定した。ウィスコンシン州、ミシガン州、ペンシルヴェニア州の四万人が気持ちを変えたら、わたしが勝っていた。こんな票差だとわたしが負けた理由について様々な意見が出てくるものだが、いずれにしても一〇月二八日にジム・コミーが電子メールの件を再び持ち出すまではわたしが勝っていたという事実を、念頭においておいてもらいたい。

 

たとえばある批評家は、中西部での選挙運動が不充分だったせいだと言った。確かにサギノーにあと数回行ったり、ウォーキシャでもっと広告を流したりしたら、二〇〇〇票ぐらいは集まったかもしれない。

 

だが、わたしたちは常に工業地域である中西部が成功への鍵であることを意識していて、これらの州を無視したことはなかった。

 

公式と非公式両方の世論調査によると、二〇一二年同様の接戦だったペンシルヴェニア州では、今回は五〇〇人近いスタッフを使ったが、これは四年前のオバマの選挙運動のスタッフよりも一二〇人多い。テレビの宣伝は二一一パーセントに増やしたし、総選挙中に二五回以上もイベントを開いた。また、オバマ大統領やバイデン副大統領のような有名な代理人を立てた。

 

ミシガン州では、世論調査では優勢だったが、あまり差は大きくなくて、二〇一二年のオバマより一四〇人近く多いスタッフをおき、テレビに一六六パーセントを費やした。総選挙中に七回、直接出向いた。

 

両方の州で負けたが、わたしたちができる限りのことをしたという点を否定はされたくない。

 

意外だったのは、ウィスコンシン州だ。世論調査では、最後の最後までかなり有利だった。上院議員に立候補していたルス・フェインゴールドの調子もよさそうだった。現地には一三三人のスタッフがいて、テレビには三〇〇万ドル近くを費やした。秋には、わたし自身は行かなかったが、ティム・ケイン、ジョー・バイデン、バーニー・サンダースその他の有名な代理人が行った。

 

何がまずかったのだろう? ウィスコンシン州ではトランプがミット・ロムニーとほぼ同じ数の票を獲得した。共和党の投票率が上昇したわけではなく、逆にかなりの有権者が気持ちを変え、投票所に行くのをやめたか、最後の最後で第三政党に移って、わたしはこの州を失うことになった。

 

基本的にはこういうことだ。わたしはペンシルヴェニア州で熱心に運動し、積極的に広告を打ち、それでも四万四〇〇〇票差で負けた。ウィスコンシン州とミシガン州を合わせたよりも多い票差だ。大会を開いた場所を敗因とするのが適切だとは思えない。

 

もう一つ、わたしが経済的なメッセージを打ち出さなかったから負けたのだという安直な意見もある。

 

ジョー・バイデンは、二〇一六年の民主党は「ずっと主張してきたことを言わなかった─それが芽吹き始めた中流階級を保持する方法だったのに」と言った。彼は、「今回の選挙では、組み立てラインで働いて年間六万ドルを稼ぎ、妻はレストラン店員として三万二〇〇〇ドルを稼ぐ男についての話を一言も聞かなかった」という。ジョー自身がわたしの代わりに中西部じゅうを歩き回り、中流階級についてたくさん話したことを考えると、これは非常に注目すべき発言だと思う。

 

これは真実ではない。VOXはわたしの選挙運動を分析して、わたしが何よりも仕事や労働者、そして経済についてたくさん話したのを明らかにした。『アトランティック』誌の「ヒラリー・クリントンが労働者階級を無視したという危険な神話」というタイトルの記事によれば、わたしは「歴代の大統領候補者の中で最も総合的で進歩的な経済政策」を打ち出し、大会のスピーチでは仕事についてトランプ以上に話をした。これは八四〇〇万人が見た最初の討論会でも同じだった。

 

選挙運動を通して、わたしたちは常に肯定的な広告を流し、わたしが何を目指しているか、経済的にどうするべきかを訴えるようにした。トランプが不適任だと強調するスポットを流しながらも、それは続けた。本部を海外に移すことによってアメリカ国内での納税を逃れようとしていた─外国親会社設立といわれるものだ─〈ジョンソン・コントロールズ〉という会社のミルウォーキーのオフィスの外でも、広告を撮影した。

 

その日は足がかじかむほど寒かったが、この会社が従業員や国民を犠牲にして行なおうとしている不正行為が許せず、なんとしてでも撮影すると決めていた。

 

何ヵ月にもわたる遊説中、ほとんど毎日この〈ジョンソン・コントロールズ〉の税金逃れについて発言した。わたしの経済的なメッセージが有効だったかどうかはともかく、何もしなかったとは言わせない。

 

これがなぜこんなに苛立つことなのか、理解の糸口になりそうな話がある。フィラデルフィアで指名を受けた翌日、ビルとわたしは副大統領候補のティム・ケインとその妻のアンを伴って、ペンシルヴェニア州とオハイオ州の工場町をめぐるバス・ツアーに出発した。

 

それはかつてアル・ゴアと当時の夫人ティッパー・ゴアと一緒に行った、楽しいバス旅行を彷彿させるものだった。あれは九二年の選挙運動中でいちばん楽しい週だった。勤勉な人たちと会い、すばらしい国土を見て、行く先々で変化しつつある国のエネルギーを感じた。

 

あれから二四年後、わたしはそれを再び体験したかった。わたしたちは「ストロンガー・トゥギャザー」というスローガンの書かれた大きなバスに乗りこみ、一〇〇〇キロを超える旅に出かけた。

 

どこかに立ち寄るたびに、ティムとわたしは仕事を作って賃金を上げ、勤労者世帯を支援する計画について話した。ペンシルヴェニア州カンブリア郡の都市ジョンズタウンで重工業のためのワイヤーを製造している工場の鉄鋼労働者たちと話し合った。そののち、クレーン操縦者だという一人の労働者が、『フィラデルフィア・インクワイアラー』紙の記者に、自分は大統領選挙に投票したことがなかったが、今回はいい話を聞いたので、するかもしれないと語った。「労働者階級の賃金を上げる計画はいいと思った。必要なことだ」これを聞いて、わたしは嬉しかった。

 

だがこのバス旅行について記憶のある人はいないだろう。むしろ、わたしがこのような運動をしなかったと聞いていたかもしれない。「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」(訳注:米国中西部から北東部の、鉄鋼や石炭、自動車などの産業が衰退した工業地帯のこと。ミシガン州・オハイオ州・ウィスコンシン州・ペンシルヴェニア州などが含まれる。ラスト(rust)は「錆び」のこと)を無視して、経済的メッセージは出さず、労働者階級の有権者と繋がりを持たなかったと。なぜだろう?

 

ティムとわたしがペンシルヴェニア州とオハイオ州を走り回っていたのと同じ週、ドナルド・トランプはカーン夫妻と闘って注目を浴びていた(訳注:トランプがイラク戦争で戦死したイスラム教徒の米兵の母を侮辱したとして、党派を超えて非難された一件のこと)。戦争で倒れたイスラム教徒アメリカ人の、金星章(戦死兵家族を示す徽章)の両親だ。マスコミはこれに大騒ぎをした。トランプにとっては災厄で、支持率は落ちた。だが長い目で見ると、わたしの経済的なメッセージは取り上げられず、トランプに好都合な運びになった。

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WHAT HAPPENED 何が起きたのか?

WHAT HAPPENED 何が起きたのか?

ヒラリー・ロダム・クリントン /髙山祥子 訳

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