akane
2018/07/20
akane
2018/07/20
ヒラリー・ロダム・クリントン著『WHAT HAPPENED 何が起きたのか?』より
深呼吸。胸いっぱいに空気を吸いこむ。こうするのが、正しいことだ。どんなに辛くても、この国で民主主義がまだ通用することを見せておく必要がある。息を吐く。悲鳴を上げるのはあとにしよう。
わたしは大統領就任演説の行なわれる演壇へと下りていく階段の、いちばん上にあるドアの手前に立ち、ビルと共に呼ばれるのを待っている。ここではない、どこか他所にいるつもりになってみる。バリ島はどうだろう?いいかもしれない。
元大統領夫妻として、ビルとわたしが新しい大統領の宣誓就任式に出席するのは習わしだった。わたしは何週間も、行こうか行くまいか悩んだ。ジョン・ルイスは行かないという。公民権運動の英雄である、下院議員のルイスは、ロシアによる選挙介入の証拠が山ほどあるのだから、次期大統領は合法と認められないと主張した。下院の他のメンバーたちが、対立する次期大統領を排斥する動きに足並みをそろえた。わたしの支持者や親しい友人たちの多くも、わたしは家にいるほうがいいと言った。
自分も演壇の上に座り、ドナルド・トランプが宣誓のうえ全軍最高司令官に就任するのを見るのがどれほど辛いことか、友人たちは理解していた。わたしはそんなことが起きないように、必死に選挙運動をしてきたのだ。わたしは彼が、今現在のこの国と世界にとって危険な存在であると確信していた。そして今、最悪の事態が現実となり、彼は公職の宣誓をしようとしている。
そのうえ、トランプが繰り広げた卑劣な運動のせいで、もしわたしが行ったら、「その女を閉じこめろ!」などと野次られる可能性もあった。
それでも、わたしは出席する責任を感じた。平穏な権力の引き継ぎは、我が国の最も重んじるべき伝統だ。国務長官として世界中の様子を見たさい、もっと多くの国に我が国の例に倣ってほしいと思ったものだ。本気でそう信じるのであれば、個人的な感情は抜きにして出席するべきだ。
ビルとわたしは、ブッシュ夫妻とカーター夫妻の意見を訊いた。ジョージ・W・ブッシュ(=子)とジミー・カーターは、選挙後すぐに電話をくれて、これは大変ありがたいことだった。ジョージなどはわたしが敗北宣言のスピーチを終えた直後に電話をよこし、わたしがスタッフや支持者たちと抱き合うあいだ、通話状態のまま待っていてくれた。わたしが電話に出ると、彼は、そのうち時間を見つけてハンバーグステーキでも食べに行こうと誘ってくれた。テキサス風の、「辛い気持ちは分かるよ」という表現だったのだろう。
彼もジミーも、全国民の前に自らの意見をさらすのがどんなものかを知っていて、ジミーは拒絶されることの辛さも経験している。わたしはジミーと、そのことについてほんの少し慰め合った(「ジミー、最悪よ」「ああ、ヒラリー、そうだろう」)。二人の元大統領たちがドナルド・トランプのファンでないことは、秘密でもなんでもない。トランプは特にジョージの弟ジェブに対して、酷い悪意を見せた。彼らは就任演説の場に行くだろうか?「行く」と言った。
これが、わたしの必要としていた一押しだった。ビルとわたしも行くことにした。
こうしてわたしは一月二〇日に米国連邦議会議事堂のドアの手前に立ち、呼び出されるのを待っていた。ここに至るまで、長い道のりだった。そしてさらに、あと数歩を前に運ばなければならない。わたしはビルの腕を握りしめた。彼が横にいてくれるのがありがたかった。大きく深呼吸をして、できる限りの笑顔を作ってドアから歩み出た。
演壇では、ブッシュ夫妻と並んで座った。わたしたち四人は数分前に控え室で会い、娘や孫たちの近況報告をし合った。なんでもない普通の日のようにお喋りをした。ジョージとローラからジョージの両親、元大統領のジョージ・H・W(ブッシュ=父)とバーバラ夫人の最近の健康状態を聞いた。二人とも入院しているが、幸い快方に向かっているとのことだった。
次期大統領の登場を待っているあいだ、わたしの思いは、二四年前、ビルが初めて公職の宣誓をした、信じられないあの日に戻っていった。ジョージ・H・Wとバーバラにとっては臨席するのが辛いことだっただろうが、二人はわたしたちに対してとても慇懃な態度だった。地位を退いていく大統領は、大統領執務室にビルへの手紙を残していった。それはわたしの知る中で、最も上品で愛国的なものの一つだった。「あなたの今の成功が、我が国の成功だ。心から応援しているよ」
八年後、わたしたちは同じように慇懃な態度でジョージ・Wとローラに接しようと、最善を尽くした。そして今、わたしはもうすぐ登場する大統領に対しても、同様の態度を取ろうとしている。敗北宣言で言った通り、彼は、率直な気持ちで迎え、主導する機会を与えるに足る人物だ。
二〇〇一年に、自分のほうがたくさんの票を獲得しながらも、ジョージ・Wの就任式のあいだじっと座っていたアル・ゴアのことが頭をよぎった。最高裁判所の五人が当選者を決めた。耐えがたいことだったに違いない。
気がつくと、わたしは新しい暇つぶしを考え出していた。選挙の敗者の心の痛みを想像するというものだ。第二代全軍最高司令官のジョン・アダムズは、一八〇〇年にトマス・ジェファーソンに負け、大統領として初めて選挙で負けて退くという屈辱を味わったが、二五年後に息子のジョン・クインシーが選出されたときに雪辱を果たした。一九七二年、ジョージ・マクガヴァンは五〇州のうち四九州でリチャード・ニクソンに負けた─ビルとわたしは熱心にマクガヴァンの応援をし、忘れられない敗北感を味わった。テディ・ルーズヴェルトが後継者としていたウィリアム・ハワード・タフトのことも、忘れてはいけない。四年後の一九一二年、テディはタフトが大統領の職を任せるほど優秀ではないと考え、自ら第三の候補者となって有権者の票を割り、その結果ウッドロウ・ウィルソンが当選した。あれには心が傷ついただろう。
そのときビルに肘を触れられて、わたしははっと我に返った。
オバマ夫妻とオバマ政権での副大統領バイデン夫妻が目の前にいた。バラクが、彼の出生地について嘘をついて注目を集めたような人物と一緒にプレジデンシャル・リムジンに乗るのを想像してみた。その後の行事が続く中で、わたしはオバマ夫人であるミシェルと、悲しげに目配せをし合った。「信じられる?」というように。八年前、バラクが大統領に就任したとても寒い日、わたしたちの頭の中は希望と可能性でいっぱいだった。今日は、とにかく真顔で一日をやり過ごすだけだ。
ついに次期大統領が現われた。わたしは何年も前からドナルド・トランプを知っていたが、彼がアメリカ大統領として宣誓をしに議事堂の演壇に立つ日が来ようとは、想像もしていなかった。わたしが上院議員だったころ、彼はニューヨークに欠かせない存在だった─この街には大物の不動産業者がたくさんいたが、なかでも特別に派手で自己主張の強い人物だった。
二〇〇五年、わたしはフロリダ州パームビーチで行なわれた彼とメラニアの結婚式に招待された。友だちだったわけではなく、たぶんできるだけ有名人を集めたかったのだろう。ちょうどその週末、たまたまビルがその地域で講演会をすることになっていたので、行くことにした。断わる理由はない。さぞかし華やかな会で面白そうだと思ったし、実際その通りだった。わたしは式に出席し、そのあとビルと合流して、トランプの別荘〈マー・ア・ラゴ〉でのパーティーに行った。新郎新婦と一緒に写真を撮って、会場をあとにした。
トランプが二〇一五年に本当に立候補すると宣言したとき、わたしも多くの人と同様に、また冗談を言っているのだろうと思った。それから、彼は低俗な悪党から右翼の偏執者へと変身して、オバマ大統領の出生証明書に対して非現実的な攻撃をし、異常なまでの執着を見せた。彼は何十年も政治に興味を示してきたが、彼のことを真面目に受け取るのは困難だった。わたしには彼が、自分の言うことを聞かなければ我が国は駄目になるとわめいている老人に見えた。
トランプを無視することはできなかった─マスコミがひっきりなしに彼を取り上げた。わたしは彼の偏見に満ちた振る舞いを非難しなければならないと考え、彼が立候補の意向を表明した日にメキシコ移民を強姦者で麻薬の売人と呼んだときから、頻繁に実行した。だが彼が才能ある共和党の全立候補者による討論会を─冴えたアイディアや強力な議論によってではなく、聞いている者が思わずあえぐような醜い攻撃によって─制圧するのを見て、初めて彼が本気なのかもしれないと気づいた。
今ここに彼はいて、聖書に手を載せ、合衆国憲法を維持し、守り、擁護すると約束している。悪い冗談が、わたしたちの身に降りかかってきたのだ。
新しい大統領の演説は、暗く陰鬱なものだった。わたしには、白人至上主義者が腹の底から吠えているように聞こえた。いちばん記憶に残っているのは「アメリカの殺戮」についてのくだりで、これは大統領の就任演説よりもスラッシャー映画に相応しいような、驚くべきフレーズだ。トランプは、わたしには理解できない、苦々しく破壊された国の姿を描いてみせた。
トランプの就任演説は明らかに、変化する経済や社会の中で、不安や苛立ち、そして絶望を感じている何百万人ものアメリカ国民に向けたものだった。多くの人々が、責めるべき誰かを求めている。あまりにも多くの人々が世界をゼロサムの視点から捉え、「他者」と見なされる同じアメリカ国民─有色人種、移住者、女性、LGBTの人々、イスラム教徒─が得たものは正当に稼いだものではなく、誰かの犠牲によってもたらされたものに違いないと考えている。経済的痛手や秩序崩壊は現実であり、精神的な痛みもまた同じだ。有害で可燃性の高い混乱を招く。
わたしはこの怒りの力に気づかなかったわけではない。選挙戦中、ビルと共に、一九五一年にエリック・ホッファー(訳注:米国の独学の社会思想家、哲学者)が発表した、狂信的行為と大衆運動の裏にある心理に関する研究書である『大衆運動』を読み直し、主だったスタッフにも読ませた。遊説では、不満の根底にある原因を取り上げ、全国民の生活を改善できると思われるアイディアを提供した。だが競って人々の怒りや憎しみを煽るようなことはできなかったし、するつもりもない。それは危険だ。人々を助けるより、怒りを利用して傷つけようとする指導者には、好都合なことだろうが、わたしの性には合わない。
たぶん、それだからこそ今トランプが就任演説をしていて、わたしはその他大勢の中に座っているのだ。
自分があそこに立っていたら、何を言っただろう? この瞬間にぴったりの言葉を探すのは難しい。たぶん、何百もの草稿を書いたに違いない。気の毒なスピーチライターが、最終稿の入っているUSBフラッシュドライブをテレプロンプターのオペレーターに届けるのに、わたしよりほんの数歩先を慌てて走っていくようなことになりかねない。だが選挙戦中の恨みを乗り越えて前進し、誰に投票したかはともかく全ての国民に手を差し伸べて、全国的な和解とチャンスと包括的な幸福の展望を提案するチャンスを得られれば、それは嬉しいことだっただろう。初の女性大統領として宣誓をするのは、たいへんな名誉だったはずだ。その瞬間を夢見なかったとは言わない─わたしのため、母のため、娘やその娘、あらゆる人々の娘のために─そして、わたしたちの息子たちのために。
実際は、世界は新しい大統領の露骨な怒りを聞かされている。ビルの一度目の就任式で、今は亡きマヤ・アンジェロウ(訳注:米国の黒人女性活動家、詩人、歌手、女優〔1928-2014〕)が自作の詩を読んだのを思い出した。「永遠に恐怖に執着し、野蛮に捕らわれてはならない」と、彼女は説いた。このトランプの演説を聞いたら、彼女はなんと言っただろう?
そこで演説は終わり、彼がわたしたちの大統領となった。
「おかしな戯れ言だった」ジョージ・Wは、彼らしいテキサス風のぶっきらぼうな口調で言ったとされる。わたしも同感だ。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.