2018/06/06
戸塚啓 スポーツライター
『イスラム10のなぞ』中公新書ラクレ
宮田 律/著
「イスラム」という単語に、僕は敏感に反応する。なかばオートマティックに「テロ」が連想されて、身体がすくんでしまうのだ。
スポーツの取材で、中東には何十回と足を運んでいる。アラブ首長国連邦(UAE)やカタールは20年以上前からお馴染みの国で、オマーン、サウジアラビア、バーレーン、ヨルダン、レバノン、クウェートなどの入国スタンプが、僕のパスポートには押されてきた。いまでは入国困難に違いないイエメンも三度、シリアも一度訪れている。
現地で恐怖を感じたことは、一度だけしかない。その一度も、宗教的な理由ではない。イエメンの首都サヌアで信号のない交差点に僕の乗ったタクシーが突っ込み、ボディの右前に中型トラックが衝突した交通事故だ(あと1、2秒遅れていたら、僕が座っていた後部座席が餌食になっていたかもしれない……)。
今回読んだ『イスラム10のなぞ』(宮田律著・中公新書ラクレ)によれば、イスラムの教えは貧しい人、弱者である子ども、老人、女性に対して同情や救済を説く。富んだ者は貧しい人を扶助しなければならない」とある。連帯や社会的弱者の救済はイスラムの本質にして根源的な行為なのだそうだ。
そういえば、と思うことがある。
中東のおよそどこの国でも、いわゆる“ぼったくり”のような不当な請求を受けたことがない。タクシーでもレストランでも飲食店でも、店員さんはとてもフレンドリーだ。砂漠気候という厳しい気象条件で暮らしてきた彼らの遺伝子には、「異邦人を親切に、大切に扱う心情が培われていった」という記述には大いに納得できる。
だとすれば、なぜイスラムは「怖い」印象を与えるのだろう。イスラム教の信者に、「テロ」に走る人がいるのだろう。
理由はひとつではないようだ。本著を読み進めていくにつれて、大国のエゴが地域に不穏な動きをもたらしたり、内向きな思考の強まりなどによって、イスラム信仰が揺らいでいるのかもしれない、と感じた。
東京都内の繁華街だけでなく住宅街でも、外国人を見かけることは珍しくなくなってきた。2020年の東京五輪に向けて、日本を訪れる外国人はさらに増えていくのだろう。だとすれば、僕らとは思想も信条も生活習慣も肌の色も異なる人たちについて、少しずつでもいいから理解を深めていくべきだと感じている。
外国人と人気のない夜道ですれ違うことに恐怖を感じるのも、テロという許されざる行為が世界で絶えないのも、結局は誤解が原因のはずだから。
おすすめの本
『ゴッホのあしあと』原田マハ 幻冬舎新書
「第5章の『ゴッホのあしあとを巡る旅』に、最近取材で行ったフランスとベルギーの街やスポットが紹介されているのですが、これを読んでから出かけたかった!」
『イスラム10のなぞ』中公新書ラクレ
宮田 律/著