2018/06/05
瀬尾まなほ 瀬戸内寂聴秘書
『路上のX』朝日新聞出版
桐野夏生/著
ねぇ、どうしたら、自由に好きなように生きられるの? 大人に頼らずに生きていけるの? 困っている同士で助けあって生きていけないの?
「JKビジネスって本当はみんなJKの女の子が大好きな人たちが、この商売をしているんだよね。みんなJKファンなんだよ。十八になる前の女の子っていったら、そりゃもう、可愛いなんてもんじゃないよ。この世の最高の美だよね。そのまんま永久凍結保存してほしいって思うくらい。だからさ、女の子を酷い目に遭わせようなんて、誰一人考えてないの」
と飄々と言ってのける性産業の社長。
「あいつらが最初にすることって何だか知ってる? 女の子のレベル分けだよ。それと財布の中身を秤にかけるの。可愛くて若ければ若いほど、高くても仕方ないと思っている。最低なヤツらだよ」
と憎しみを込めて言う義父にレイプされた経験のある十七歳のリオナ。
私が高校生だったときも大人は私のことをそう見ていたの? 私だったら絶対しない。何がなんでもそんな大人とセックスなんかしたくない。
不快感と憎悪と自分でも言い表せられない感情が沸き上がってきた。
そうだよね、わかっているけど、自分が既に汚された存在だと自分を責めていたら? 私が真由だったら、リオナだったら、ミトだったら?
「身体を売るなんてやめなよ」
なんて言えるだろうか。
今日眠る場所がないの、食べるものもないの、家にも帰りたくないの、そんな「今」をなんとかして生きている彼女たちにそんなこと誰が言えるのか。
この桐野夏生の『路上のX』は大人たちによって傷つき、また売春へ追い込まれる女子高生の現実を書いた小説である。
「JKの方がお金を貰う代わりに、そういうサービスをしてあげたら、これは釣り合いとれるよね? 需要と供給の関係だからさ」
あまりにもねじれた関係性だと、許せない。もう既に十分傷ついているのにどんどんその傷の上に傷を重ねていく。いつしかその傷は身体全体に広がって魂まで食い尽くす。「助けて」と叫ぶ彼女たちの声は、彼女たちを値踏みする大人たちによってかき消されていく。
必死に「今」を生き延びている姿がなんだかとても虚しくも感じてしまう。自分をもう一人いると仮定をたて、犯されている間、上方から涙を流している自分を「性の臨死体験」だという。自分を自分じゃないと切り離さないと、自分のこと見ていられない、自分として生きていけないその切実さが感じられる。
私はただ、彼女たちを抱きしめたくなった。もしくは温かい布団の中で安心して眠らせてあげたい。心から安心できる場所に連れていってあげたい。ねぇ、リオナ一緒に逃げちゃおう。そんな自分の想いさえ、軽率なのではないかと不安になる。
なんで私こんなに感情移入しているの? だってこれは小説なのに小説じゃないから、これは実際起きていることなんだよ。あまりにも鮮明な彼女たちの叫び声を事柄だけではなく、彼女たちの等身大の想い、また日本の現状を小説でよりリアルに描いている、いや描きすぎている。
「若草プロジェクト」という貧困や虐待に苦しむ若い女性、少女に寄り添うプロジェクトの理事を務めている私は、はじめ、この現実を現実として受け入れるのには時間がかかった。知りたくなかった。あまりにも酷いから。あまりにも辛いから。まさにこの『路上のX』がこの世には起きているからだ。
リオナはきっと実際いるはずだ。名前が違っても。
私は会ったこともない彼女たちのことを想っている。今どこにいるの?何しているの?
リアルな今の日本の現状を私はどう受け止めるべきなのだろうか。
まだ十七歳なのに、自分たちで必死で生きている彼女たちを。
ー今月のつぶやきー
先生の96歳の誕生日でした。100歳までもうすこし!
『路上のX』朝日新聞出版
桐野夏生/著