2019/09/24
田崎健太 ノンフィクション作家
『最強レスラー数珠つなぎ』イースト・プレス
尾崎ムギ子/著
人はなぜプロレスに惹かれるのか。
かつてのニューヨークとロサンゼルスという東西海岸の大都市のプロレスを例をあげて、その本質を看破したのは、柳澤健である。
〈イタリア系のブルーノ・サンマルチノ、ギリシア系のジム・ロンドス、アルゼンチンのアントニオ・ロッカ、メキシコのミル・マスカラス、そして日系の力道山、コリアンのパク・ソン。
彼らの戦いは、エスニックグループの確執の代理戦争であり、大都市のプロレスは、社会の下層で憎しみ合う者たちの欲求不満解消装置として機能している〉(『完本 1976年のアントニオ猪木』)
プロレスが劣等感、劣情といった負の感情と深く結びついているのは、同感だ。
その意味で、『最強レスラー数珠つなぎ』の著者、尾崎ムギ子がプロレスを描くようになったのは必然だったのかもしれない。
彼女は文章を書く仕事がしたいと広告代理店を辞めて “ライター” になっている。しかし、職業ライターとしてやって行くには、致命的な欠陥があった。人に会って話をするのが不得手だったのだ。
〈ライターになってからは、取材をするのが怖かった。前日は一睡もできず、約束前の5分前にトイレに駆け込み、嘔吐する。2分で吐いて、なんとか時間に間に合わせる。そんな日々の繰り返しだった。ライターを辞めたい。けれど他になんの取り柄もない。三三歳にもなって、ろくに仕事もない。金もない。結婚どころか恋人もいない。この先、どうやって生きていこう。生きていけるのだろうか。いっそのこと……夜になると悪いイメージばかり浮かび、眠れない。睡眠薬と精神安定剤を常用するようになった。ボロボロだった〉
そんなとき、彼女はプロレスと出会う。そして、『いい男に抱かれたい願望が全開に!? プロレス女子急増のワケ』という記事を書いた。当初、この記事は好意的に受け取られた。ところが、一人のレスラー――佐藤光留がtwitterで「書いた人間を絶対に許さない」と反論。佐藤は尾崎の記事の〈プロレスはショー〉〈最強よりも最高〉という言葉に反応したのだ。そこから彼女を叩く流れになったという。
それでもプロレスへの興味が減ることはなかった。しばらくして尾崎はプロレスの連載を始めることになった。タイトルは『最強レスラー数珠つなぎ』。取材相手に毎回、自分が最強と思うレスラーを紹介してもらうという企画だった。
尾崎はその一回目の取材相手に佐藤を選んだ――。
この本の前半に登場するレスラーは、佐藤の他、宮原健斗、ジェイク・リー、崔領二――。プロレス好きならば、名前を知っているレスラーである。しかし、プロレスはかつてのような国民的娯楽の座から滑り落ちて久しい。一般的に彼らは無名の存在だ。
鍛え上げた身体一つで客の前に立つ、プロレスラーとは過酷な職業である。彼らがその努力、危険性に見合う報酬、評価を手にしているか、は疑問だ。それでもプロレスラーとして生き続けてきた男たちと、尾崎の劣等感が共鳴し、スイングしている。尾崎が自分の弱さを吐露し、書き手として成長していく姿が見て取れる。
しかし――。
後半に、前田日明と佐山サトルが登場している。ぼくはこの二人に『真説佐山サトル』で取材している。彼らは他のレスラーと違って、テレビ中継のある時代に全盛期を過ごした、世間的に名が通った“スター”である。二人は取材慣れしており、いい意味でも悪い意味でも、彼らは取材者を操る。だからこそ、取材する側は呑み込まれないように用心しなければならない。特に前田に関しては、何かを本当に知りたいと思うならば、話の腰を折ってでも、事実確認する必要がある。
尾崎はこの二人に完全に貫禄負けして、言いたいことをひたすら拝聴しているだけだ。
今後、彼女はプロレスを書き続けるとすれば、自分とスイングする相手を選び続けるのか、あるいは前田や佐山のようなスターレスラーと対峙する何かを身につけるのか――。
彼女のプロレスとの物語はまだ続く。
『最強レスラー数珠つなぎ』イースト・プレス
尾崎ムギ子/著