これぞホンダイズム。「ホンダジェット」開発の裏側にあった本田宗一郎の想い

長江貴士 元書店員

『ホンダジェット 開発リーダーが語る30年の全軌跡』新潮社
前間孝則/著

 

 

本書は、「ホンダジェット」という小型飛行機の開発を巡る物語だ。そしてそれは、「本田技研工業」、つまり「世界のホンダ」にしか不可能な挑戦だったと言っていい。

 

そもそも、航空機の世界に足を踏み入れるのは相当にリスキーだ。世界三大ジェットエンジンメーカーの一つである英ロールス・ロイス社は、大型エンジンの開発が低迷して1970年代に事実上倒産し、国有化された。世界的な名門巨大企業でも、航空機部門の失敗が大打撃となって倒産してしまうのだ。また、飛行機というのは、どんな乗り物よりもシビアに、人間の命に直結する。僅かなミスでも、命取りになる。量産を前提とする工業製品の中で、これほど巨額の開発費が必要で、これほどリスクの高いものは他にないと言っていいほどだ。

 

しかもホンダは、航空機に関する実績が何一つなかった。そんな中1986年に、社内でも極秘裏にプロジェクトがスタートし、航空機の設計など誰一人したことがないという状態からすべてが始まったのだ。しかしその後、30年という長い時間を掛けて研究を重ねた結果、ホンダは世界で唯一、機体とジェットエンジンを両方すべて丸ごと自前で開発・生産するメーカーとなった。そんなメーカーは、他に存在しない。

 

しかも、彼らが生み出した「主翼の上にエンジンを置く」という、それまでの航空業界の常識を覆す設計は世界の度肝を抜いた。プロジェクトのリーダーである藤野氏は、航空機に関する世界的な賞を3つ受賞しているが、この3つを合わせて同時に受賞した研究者・技術者は、世界で他にいないという。

 

この設計に関しては、こんな話がある。試作機を完成させた段階で、藤野氏は、提出可能な論文を仕上げていた。しかし、NASAの友人にこんな風に言われて思いとどまったという。

 

出すのはやめたほうがいい。NASAですら、いろいろな研究をしてきて、こういうこと(※エンジンを主翼に対して最適な位置に配置することで、高速時の造波抵抗を減少させるという理論)をまだわかっていないのだから、発表した後に、『こんなのダメだ』と酷評されたら、お前の航空機設計者としての生命は終わりだぞ。もちろん、ホンダジェットの未来も無くなる可能性がある

 

結果的に彼の設計は、後に激賞されることになるのだが、当時はあまりに非常識過ぎて、誰にも受け入れられそうになかったのだ。

 

何故彼が、航空業界の常識を覆すような設計が出来たかというと、それは、航空業界にいなかったからという理由もあるようだ。航空機の設計を学ぶには、10年も20年もかかる。そこで教わることは、「かつて成功した知識」である。もちろん、それを学んでいれば航空業界で働くことは出来るのだが、「どうしてこうなっているのか」「何故こうじゃダメなのか」ということを考えなくなってしまう。しかも、航空機というのは設計の制約が非常に大きくて、機体の形状の99%は機能によって決まってしまうという。そういうものを、過去の知識を使って作り続けていると、どうしても新しい発想が生まれてこないことになる。しかしホンダは、航空機とは無縁な会社である。航空業界のこんな背景があるからこそ、「技術力で正面突破する」という無謀とも思える戦略が上手くいったと言っていいだろう。

 

しかし、プロジェクトチームたちの本当の戦いは、「開発が終わってから」始まることになった。

 

本書を読んでいて、最初意味が分からなかったのが、次の文章だ。プロジェクトチームが、初飛行テストを成功させた時のことを振り返っての藤野氏の言葉である。

 

やっと初飛行に成功したとの安堵感と同時に、これでもってホンダにおける小型機の開発プロジェクトが終わりになるのでは、との思いが頭をもたげてきて、先行きに対する不安を覚えました

 

どういう意味か理解できるだろうか?普通に考えれば、試作機が出来れば、次は量産化という話になるはずだし、であれば「プロジェクトが終わり」になるはずがない。

 

ここにも、航空機ならではの困難さがあった。

 

航空機というのは、売っておしまいという製品ではない。整備やアフターサービスは不可欠だ。さらに、量産化するとなると、新たに工場を作らなければならない。しかし、それだけ投資をしても、作った航空機が売れるかどうかは分からない。そもそも車やオートバイと比べたら出荷台数が少ないので、景気のちょっとした変動にも左右されやすい。

 

試作機の開発で終わりにすれば、そこまでで掛かったコストでプロジェクトを終わらせることができる。しかし、事業化するとなると、莫大なお金が掛かる。それこそ、ホンダという会社が傾くかもしれない。また、もし万が一事故などが起こって人命が失われたりすれば、ホンダというブランドに対する信頼が失われ、車やオートバイまでもが売れなくなってしまう可能性も考えなければならない。

 

そのため、試作機が完成したにも関わらず、事業化へのGOサインは一向に出ないままだったのだ。

 

最終的には社長がOKを出し、事業化を勧めることとなったのだが、じゃあだったらどうして、そもそも航空機の開発を始めたのだろうか。

 

もちろん、「技術のホンダ」という自負のある会社の技術力の底上げという意味合いもあった。しかし、このプロジェクトにとってより大きな意味を持っていたのは、創業者である本田宗一郎の想いである。

 

1962年6月、本田宗一郎は航空機の開発・生産に乗り出そうとしていることを全従業員に伝えた。
「いよいよ私どもの会社でも軽飛行機を開発しようと思っていますが、この飛行機はだれにも乗れる優しい操縦で、値段が安い飛行機でございます」

 

本田宗一郎は、社内報にこういう文章を載せた。そう、航空機の開発は、創業者の悲願でもあったのだ。

 

また、研究開発には金を掛ける社風だったり、技術者出身の社長が多いことも、「ホンダジェット」の成功の背景にはある。事業化の際に手を組むことになるGE(ゼネラルエレクトリック社)からも、「このようなやり方が許容される会社など、世界を見渡しても、ホンダをおいてほかにはないだろう」と散々言われたという。

 

そして何よりも、プロジェクトリーダーである藤野氏の存在が大きい。ここではあまり触れていないが、本書は基本的に、プロジェクトリーダーである藤野氏に焦点が当たる作品となっている。もちろん彼の技術者としての才能やセンスも抜群だったのだが、チームをまとめるリーダーとしての手腕も実に見事で、あまりに未知なことが多すぎる、先人が誰もいない荒野をただひた進んでいくプロジェクトを大成功に導く上で、彼の存在は欠かせなかっただろう。

 

航空機という、新規参入などほぼ不可能に思える業界に、未経験のまま単身乗り込んでいった「世界のホンダ」の苦難の日々と、彼らの挑戦が生み出した新しい世界の展望を、是非読んでほしい。

 

『ホンダジェット 開発リーダーが語る30年の全軌跡』新潮社
前間孝則/著

この記事を書いた人

長江貴士

-nagae-takashi-

元書店員

1983年静岡県生まれ。大学中退後、10年近く神奈川の書店でフリーターとして過ごし、2015年さわや書店入社。2016年、文庫本(清水潔『殺人犯はそこにいる』)の表紙をオリジナルのカバーで覆って販売した「文庫X」を企画。2017年、初の著書『書店員X「常識」に殺されない生き方』を出版。2019年、さわや書店を退社。現在、出版取次勤務。 「本がすき。」のサイトで、「非属の才能」の全文無料公開に関わらせていただきました。

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