2022/05/03
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『東大女子という生き方』文藝春秋
秋山千佳/著
「エリートとは、失敗しない人間のことではない。失敗に対して免疫のある人間のことだ。」
これは私が高校生の時に聞いて、今でも覚えている言葉だ。15歳の春、私は憧れていた県内トップの進学校に合格し、「これで自分もエリートだ」と浮かれていた。しかし、入学直後に行われた数学の実力テストの結果を見て、浮かれ気分は一気に吹き飛んだ。
100点満点中、たったの59点。これまでの人生で一度も見たことがない数字だった。「自分はこんなに頭が悪かったのか」と、自信が音を立てて崩れ落ちた。
そんな私の気持ちを見透かすように、担任の教師がにこやかな笑顔で話し始めた。
「中学時代の皆さんは、テストはいつも満点ばかりだったはずです。今回の結果を見て、ショックを受けた人もいたのではないでしょうか」
その後に出たのが、冒頭の言葉だ。つまり、進学校に受かっただけで自分をエリートだと思い込んでいる世間知らずの15歳の鼻っ柱をへし折って、失敗に対して免疫をつけさせることが、入学直後の実力テストの目的だった、というわけだ。
本書『東大女子という生き方』は、日本の女性の中でもエリート中のエリートである東京大学出身の女性たちに対するインタビューをまとめたものだ。
東大卒の女性といえば、女性の中では圧倒的強者であり、社会的にも勝ち組のように思える。
しかし、学生の約8割、教員の約8割が男性である東大においては、女性は圧倒的マイノリティである。女性に免疫のない男子学生から一方的に恋愛感情を抱かれたり、過剰に敬遠されたり、ストーカーやハラスメントの対象になったりと、女性であるというだけの理由で、様々な不利益やリスクに晒されることになる。
東大の中には「東大女子お断り」というサークルもある。東大女子の入れるサークルであっても、他大女子との間で飲み代に差をつけられることもある。本書の中で、脳科学者の中野信子は、女子は東大に入った時点で「第二東大生」という扱いになる面がある、と述べている。
東大女子は、世間的に見ればエリートと呼ばれる立場であるが、男性優位社会の中で、他の女性たちと同様に、女性であれば誰もがぶつかる問題とぶつかっている。強者にも涙があり、誰にもわかってもらえない辛さや孤独がある。相対的に見れば恵まれている存在であったとしても、それだけで本人の主観的な辛さが和らぐわけではない。本書の中では、等身大の女性としての彼女たちの悩みや葛藤も、赤裸々に語られている。
しかし、本書は「東大女子だって悩んでいる」ということを描いただけの本ではない。読み終えた後、不思議と勇気が湧いてくるのが、その証拠だ。
本書に登場する20代から90代までの東大女子に共通する点を一つ挙げるとすれば、それは再起力=レジリエンスである。失敗から学び、挫折から立ち上がる力。叩かれることを恐れずに、声を上げる力。王道を外れたと言われても、自分で作った道を堂々と進む力。
私の高校時代の担任が述べたように、エリートの定義が「失敗しない人間」ではなく「失敗に対して免疫のある人間」であるとするならば、レジリエンスを持っている彼女たちは、名実ともに真のエリートであると言えるのかもしれない。
私自身は東大出身の男性だが、両親が非大卒+親族の中で初めて大学に進学した「ファースト・ジェネレーション」であり、かつ地方公立出身という、東大の中ではマイノリティに属する存在だった。そのため、同じマイノリティである(というと怒られるかもしれないが)東大女子たちの言葉や経験に対して、終始共感を覚えながら読むことができた。
我々(という主語をいきなり使ってしまうが)マイノリティの武器もまた、レジリエンスである。社会に出れば、東大ブランドが通用しない場面、これまでの知識や経験が通用しない場面はいくらでもある。そうした場面でこそ、失敗に対する免疫を持ち、試行錯誤を厭わない姿勢を保ち続けることが、勝負の決め手になる。そう考えると、全ての人にとって生涯の資産になるのは、学歴や資格、会社名や役職名などの目に見える肩書きではなく、目に見えないレジリエンスであると言える。
本書は、性別や学歴を問わず、壁にぶつかって悩んでいるすべての人にとって、レジリエンスを身につけるための「参考書」になるはずだ。東大女子たちの生き様から、壁を乗り越えるための知恵とスキルをぜひ学んでほしい。
『東大女子という生き方』文藝春秋
秋山千佳/著