人間はなぜ書くのか? 読書好きにこそ勧めたい『本を書く』

三砂慶明 「読書室」主宰

『本を書く』田畑書店
アニー・ディラード/著、 柳沢由実子/翻訳

 

書き方の本かなと思って読みはじめたら、まったく違っていました。
はずかしながら私はアニー・ディラードが誰なのか、本書を読むまで知らなかったのです。
本書は1996年パピルスから出た本の復刊です。アニー・ディラードは『ティンカー・クリークのほとりで』でピュリッツァー賞を受賞したアメリカの作家。自然を描くことに定評があり、まるで詩のように選びぬかれた言葉の連なりが生み出す世界観に、日本でも須賀敦子や山田稔といった名文家たちが惜しまぬ賛辞を贈りました。

 

本書のテーマを一言で表現するなら、人間はなぜ書くのか、だと思います。あるいは書かずにいられないのか、です。
文章術や作家になるための心構えを説く本は、毎月のように出版されています。ロングセラーも多く、また読者の多いジャンルでもありますが、この本は、ほかのどの本とも似ていません。何が違うのか。

 

「人間の特別な性癖――ものごとに夢中になること――について書かれたものが、なぜないのだろう。他のだれからも理解されない自分だけが夢中になるものについて書かれたものが。その答えは、それこそまさに、あなたが書くテーマだからだ。なぜかはわからないが、あなたが興味をそそられるものがある。書物で読んだことがないので、説明するのがむずかしい、とそこから始めるのだ。あなたはそのことに、あなた自身の驚きに、声を与えるために、存在するのだ。」

 

アニー・ディラードの言葉を私なりに読み替えると、まるで私たちは、私たち自身の言葉で、自分だけのテーマを書くために生まれてきたのだと言っているように思えました。そして、実際に本書も、まさしくアニー・ディラードの言葉どおり、アニー・ディラード自身の驚きと発見に満ち満ちています。

 

「どの本を書いているときでも、作家は二つの問いに答えなければならない。この本は完成するだろうか? そして、私にそれができるだろうか? すべての本は本質的不可能性というものを備えている。」

 

アニー・ディラードは、棺一つのスペースがあれば人間は本を読むことができるし、物置程度のスペースがあれば人間は物を書くことができるといいます。そして、意識が散漫になる魅力的な仕事場を警戒し、部屋には眺めなどはいらないと断言します。
どうすれば書くために必要なエンジンをかけることができるのか? 
そのエンジンをまわす力とは一体なんなのか? 
原稿用紙にはいつも苦しみがうつりこんでいて、書くためのスケジュールについて熟考し、急がず、しかし休まず
「一冊の本を書くには、だいたい二年から十年の歳月がかかる。それ以下ということはめったにない。」と語り、書く生活を続けます。

 

一方で、私たちの多くは、作家ではありません。
さらにいえば作家になりたいと考える人も少数派です。
では、大多数の人にとって、一体、本書はどのような意味があるのでしょうか。
私たちは、毎日の暮らしの中で、書くことを意識しませんが、しかし、書き続けています。買い物のメモだったり、学校の宿題やメールやSNS。仕事の報告書やビジネス文書を含めれば、書かない日はきっとありません。
ですが、そうした私たちの日常の足跡が、どこで本書とつながるのか。それは、善く生きるために、です。

 

「読書で費やした一日を、良い日という人がいるだろうか。だが、読書をして過ごした人生は、良い人生である。十年間、あるいは二十年間にもわたって、一日が次の日に酷似しているのは、とても良い日には思えない。しかし、パスツールの人生、またはトーマス・マンの人生を良い人生と呼ばない人がいるだろうか。」

 

書く生活は、「本質的不可能性」を抱えています。にもかかわらず、人は一体なぜ、一冊の本を書くのか? 複雑で、難解であり、かつ苦難に満ちた書く仕事に、人はなぜ人生を賭けてまで挑むのか。それはきっと、書かれた作品に、絵画に、芸術に、人間が心を震わせつづけてきたからだと、アニー・ディラードは教えてくれます。
感動は、人を自由にする。この自由はなにものにも変え難い。一度、味わうと、もうやめられない。この本は、書くことについての物語ですが、私は読むことの素晴らしさを本書に教えてもらいました。読書人の聖書です。

 

▶︎編集部よりお知らせ
本記事を執筆された三砂慶明さんが編者を務める書籍、『本屋という仕事』(世界思想社)が6月20日に発売となります。
三砂さんをはじめ、本と人がつながる場所、本屋で働く18人の書店員が、「書店員は仕事に何を求め、自分の個性をどう生かし、どんな仕事をつくっているのか」といったことを問い直しながら、本屋という仕事から見える、新しい働き方の形を考える本となっています。
執筆者の方や詳しい内容など、ぜひこちらのサイトでチェックしてみてください。
https://sekaishisosha.jp/book/b604753.html

 

『本を書く』田畑書店
アニー・ディラード/著、 柳沢由実子/翻訳

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

「読書室」主宰

「読書室」主宰 1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。写真:濱崎崇

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