現実の脆さを教えてくれる、「見えるものと見えないもの」をめぐる短編集|大前粟生『私と鰐と妹の部屋』

馬場紀衣 文筆家・ライター

『私と鰐と妹の部屋』書肆侃侃房
大前粟生/著

 

 

なぜか突然、目からビームが出るようになってしまった妹。足の裏からものを溶かす汗が出るせいで、代えの靴を常に持ち歩かなければならない人。へそからシャーペンの芯を出す同級生。とにかく、不思議な短編がたっぷり収められている。どれから読もうかと迷うのも楽しいが、どれを読んでも奇妙で結末がまるで予想できない。表題の『私と鰐と妹の部屋』も、そのひとつ。

 

潰れた植物園のすぐそばに住んでいる主人公の庭に手足を伸ばしてきた歪な植物たち。植物園に忍び込んだ妹と「私」は、そこで鰐に出会い「私はこの鰐をペットにしたいと思ったけれど、妹がこわがってお漏らししたので」断念する。以来、「私」は一人で植物園に行っては一日に何時間も鰐に話かけるようになるのだが、「いつの間にか鰐には蠅がたかっていて、鰐の背中の上に鳥が止まって、鰐の体をつついていた」。それでも「私」は鰐が死んでいることに気づかない。

 

本書には、目に見えるものを受け入れずにいたり、反対に、見えないものを信じる主人公が登場する。『こっくりさん』では、呼び出されたものの「体が安定しない」と困っているこっくりさんに女の子がプーさんのぬいぐるみを与える。大学生になり、二人(?)暮らしをはじめる頃には、こっくりさんはぬいぐるみの体によく馴染み、歩いたり料理を作ったり、ドラマを録画しておいてくれるようになっている。こっくりさんを「お姉ちゃん」と呼び、長い時間を一緒に過ごしてきた主人公が考えるのは、いつか訪れる自分の死についてだ。

 

「私が死んだら、土葬がいい。姉もいっしょに埋めてほしい。姉のプラスチックの部分や私の骨は長いこと存在を残すだろう。ずっといっしょだ、うれしいなって思うし、そうだ、私の心臓が止まったら彼女にこの体を渡してもいいかもしれない」

 

不思議な出来事が起こっても、日常は滞りなく進んでいく。その対比が面白い。たとえば『鞄』の少女、ハルはハムスターを亡くしたことをきっかけに、頭に鞄をかぶるようになる。ハルは学校のカウンセラーに鞄をかぶっている事情を話す。

 

「わたしと犬は三年間いっしょにいた。でも、あんまり友だちというのではなかったと思う。わたし、話しかけたり遊んだりあんまりしなかったし。視界に入ると、あ、いるな、って感じで。あの子はよく眠ってた。そのままもう起きなくなった。思い出せることがあんまりないのが嫌だと思った。死んでからの方が、わたしはあの子のことを考えてるし、近くにいる」

 

自身も交通事故で愛犬を亡くしたことがあると語るカウンセラーは、その影響で左目だけが灰色になっている。その目を見せようと、カウンセラーは「ハルの鞄の側面に開いた目の穴に左目をくっつけ」、それをよく見ようとハルは鞄を脱ぐ。

 

物語に登場するのは、町のどこにでもいる普通の人たちばかりだ。そんな人びとが生きる現実は脆く、ちょっとした条件で異常へとたちまち反転する。体からビームを出せるようになっても、へその芯で字が書けるようになっても、あっけらかんと日常生活を送る人たちの姿がいっそう現実の脆さを突きつけてくる。

 


『私と鰐と妹の部屋』書肆侃侃房
大前粟生/著

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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