学びのコスト
岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』

ryomiyagi

2020/01/16

 

「この子たちはねえ、教えればなんでもできるんですよ」

 

発達障害がご専門のお医者さんによく言われる。きっと励ましてくれているのだろう。

 

というか、嘘ではないのだ。

 

前にも書いたが、コンピュータ屋のつたない言語感覚で表現すれば、知的障害はCPU(中央処理装置)が、発達障害は入出力装置がトラブルを抱えている現象に見える。発達障害の場合、CPUは稼働しているので、入出力の方法を工夫すれば、色々な処理ができるだろう。

 

ちなみに、CPUのトラブルがより甚大で、入出力装置のトラブルだから軽微だと言いたいわけではない。くり返しになるから書かないが、入出力装置(キーボードやタッチパネル、ディスプレイ)が壊れたスマホやパソコンを操作するところを想像してみて欲しい。入出力の故障というのはやっかいなのだ。

 

だから先のセリフは嘘ではないが、かといって真実でもない。

 

教えるという行為にもコストが伴う。「教えればできる」は、「教えなければできない」であり、教えなくてもさまざまなことを吸収してくれる定型発達の子に比べると、発達障害の子にものを教えるのは巨大なコストがかかる。

 

ここで言うコストとは、お金、時間、努力、その他もろもろの総称である。

 

人の100倍くらい時間をかければ、なんとかなってしまうぶん、周囲の人間は色々教えようとするのだが、両親にしろ兄妹にしろ祖父母にしろ、無尽蔵の時間を発達障害の子の教育には割けない。それぞれの仕事、学校、生活があり、自分の人生にも時間をかけなければ、生きることの基盤が立ちゆかなくなってしまう。

 

かといって、「時間がないからこのあたりでいいか」と打ち切ってしまうと、「自分があのときさぼらなければ、この子はもっと社会に適応できた」と自責の念に苛まれることもある。

 

ぼくは自分自身のことも「できないことは、これ以上深追いしてもしょうがないな」と打ち切ることが多い人生だったので(逆上がりも、のぼり棒も、うんていもできない)、そういうのにあまり罪悪感は沸かないけれども、真面目な親御さんほどあれもこれも教えなきゃと疲弊してしまっているケースをよく見る。

 

誰だって(定型発達の子だって)自分の持っているポテンシャルを100%引き出すことはできない。もうちょっと肩の力を抜いてもいいのではないか、むしろ抜くべきなのではないかと思う。あんまり無責任なことは言えないけれども。

 

ところで、「学びの難しさ」は、いまは定型発達の子でも表面化しているのではないかと思う。発達障害の子にも関係する話なので、ちょっとだけ記しておこうと思う。

 

定型発達の子は自ら学ぶ力が高いが、それでも教えてもらうこと、少なくとも学びのきっかけや学びの場が与えられなければ、何かを学び取ることはできない。

 

その「学ぶ機会」が高騰していると思うのだ。(続く)

 

発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします。
下記よりお送りください。

 

大学の先生、発達障害の子を育てる

岡嶋裕史(おかじまゆうし)

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。
関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を