akane
2020/05/14
akane
2020/05/14
「ウイルスは目に見えないから、大変ですね」と心配してもらった。
たぶん、
自閉症の子は五感に入力される情報のうち、視覚への反応が最も大きい
↓
言葉をかえれば、視覚以外のものへは反応がよくない
↓
ウイルスのサイズ感はナノメートル級だから、どう頑張っても目に見えない
↓
目に見えないものは、理解できない
↓
理解できないものは対策できない
↓
このコロナ禍のなかで大変ですね
というプロセスが踏まれた上でかけていただいた言葉だと思う。ありがたいことである。
でも、視覚優位というのは、肉眼で見えないものが認識できないとか、わからないということとはちょっと違う。
ウイルスは直接見られないけれど、顕微鏡写真とか大好きだし、駆虎呑狼の計(敵を誘い出し、留守を狙う)といった概念も、いい感じでポンチ絵にするとはまる。
視覚情報だとわかりやすいというのは、可視化されたもの全般を含む言い方である。グラフでも、擬人化でもなんでもいいと思う。
だから、インドで活躍中のコロナウイルス状のヘルメットをかぶったおまわりさんの画像を見せると、あれが目に見えない小ささだけれども実在していることは飲み込める。で、「どう気をつけても手に着くぞ。そしてその手で、目や鼻や口にさわると感染してしまうのだ!」とかやると恐れおののく。
確か、なまはげのときも泣かせてしまった。節分の鬼でもちょっと追い込みすぎた。サンタに扮したときも、「サンタの服は、こどもたちの返り血で紅く染まっているのだ!!」とかやって、阿鼻叫喚になった記憶がある。ぼくもたぶん、加減がわからない人間なのだ。
コロナの件ではちょっと薬がききすぎて、「こわいこわい」と何でも足で操作するようになってしまった。以前からめんどくさがりで(クレーン現象があった頃から変わらない)、隙があれば足で操作する構えを見せていたので、いい口実を与えてしまった気もする。
ただ、「可視化されたものは理解しやすい」と、「可視化されたものに興味を持つ」は、似ているようでだいぶ開きがある。
ぼくはだいぶ昔に、『郵便と糸電話でわかるインターネットのしくみ』という本を出したことがあったので、「これを何とか子どもたちに可視化してやろう、うひひ」と思ったのである。ただ、郵便のモデル化はだいぶ大規模になるし、糸電話はからむので、ビー玉コースター(パーツをつなぎあわせて、ビー玉を転がす経路をつくって遊ぶやつ)を使って、「ここがアクセス線で、ここがスイッチングハブ、これはルータ。パケットはビー玉だ」とやり始めたら、楽しくて止まらなくなった。インターネット模式化のためだけにキットを追加で買って、一大作品を作り上げた。当然、制作中は子どもたちはコースターで遊ぶことができない。ぶぅぶぅ文句を言われた。
初夏のある日、ビー玉インターネットはロールアウトし、最初のパケットは素晴らしく見事に光ファイバに見立てたプラスティックの経路上を疾走したが、喜んだのはぼくだけだった。
「これがインターネットのしかけだよ!」と舞い上がっても、肝心のこどもは「どうせ転がるならミニカーがよかった」と否定的な感想を口にし、定型発達の双子の相方も「いつになったら、これを自由に作り替えられるのだ」というじっとりとした視線を無言で注いでくるだけだった。可視化すればいいというものではないのだ。
自分の好きなことを話したり作ったりし始めて、その場にいるすべての人をおきざりにしてしまう、あるいはおきざりにされてしまうのは、自閉っ子はもとより、オタク全般に見られる傾向である。ぼくは確か去年か一昨年も授業中に整数化関数intの説明をして、「intといえば、『エヴァンゲリオン』の赤木リツコが……」とうっかり話し始めたら1時間くらい使ってしまった記憶がある。今後は気をつけよう。
可視化といえば、ぼくの子はいまちょうど数直線を使って、0とか負数の概念をちびちび覚えているところだ。温度計が好きで何でも計っていたので、身構えていたよりはスムーズな気がする。虚数とか複素平面をどうやって説明つけるかが、次の楽しみである。
発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします。
下記よりお送りください。
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