2019/04/08
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『吃音の世界』光文社新書
菊池良和/著
小学生の頃、私は音読の時間が大嫌いだった。
口から思うように言葉が出てこない=吃音の症状があったため、同じ言葉を繰り返したり、途中で詰まってしまうのだ。
今でも覚えているのは「化学」という言葉だ。最初の「か」の言葉がなかなか出せなかったため、何も言えないまま、しばらく無言の状態で立ち尽くしてしまった。「そんな簡単な漢字も読めないのか」という空気がクラス中に立ち込めて、心が潰されそうになった。
学級の連絡網でクラスメートの家に電話することは、拷問に等しかった。勇気を出して電話をしたものの、最初から一言も発せなくなり、何も言わずに電話を切ってしまうこともあった。
卒業式に、卒業生一人ひとりが全校児童の前で台詞を述べていく「呼びかけ」の場面も、長い台詞だと途中で吃音が出てしまう恐れがあったので、先生の配慮で「希望の、春!」という一番短い台詞にしてもらった。中学に入って最初の自己紹介の時間でも盛大に吃音が出てしまい、入学早々、クラス中の笑い者になってしまった。
10代の頃の実体験を綴った拙著『孤独とセックス』(扶桑社新書)でも、吃音については一文字も書かなかった。いや、書けなかった。トラウマが強すぎて、「吃音」という言葉を見るのも書くのも嫌だったからだ。他人から見れば全くたいしたことのない出来事のように思えるかもしれないが、当事者としては生き地獄でしかなかった。
東京大学に入った後、ゼミ発表の前には、途中で言葉が詰まらないよう、そして吃音の出やすい単語や言い回しを事前に排除するため、本郷キャンパスの三四郎池のほとりにある人気のない小屋に行って、ひたすらレジュメを音読する練習を繰り返した。
ようやく「吃音」という言葉を口に出して言えるようになったのは、30代を過ぎた頃だった。イベントの打ち合わせで、言葉の障害の専門家である言語聴覚士の方にお会いする機会があり、その時に初めて、吃音について自分から他者に話すことができた。
現在も、相変わらず人前で流暢に話すことは苦手であり、研修や講演では「早口で聞き取れない」と感想に書かれて凹むことも多々あるが、それでもテレビ番組の生放送に出演して、カメラの前でそれなりに落ち着いてコメントできる程度には回復した。
過去のトラウマも薄れてきたため、ようやく「吃音」という言葉を直視できるようになった。そんな中で、はじめて手に取った一冊が、本書『吃音の世界』だった。
著者である医師の菊池良和氏は、自らも幼少期から吃音で悩み苦しんできた当事者である。自身の体験を包み隠さず語りながら、吃音者がどのような場面で苦労しているのか、吃音の原因は何か、吃音の歴史と現在について、医師の立場から非常に分かりやすく・体系的に解説した一冊だ。
吃音症の人は100人に一人の割合で存在し、全国で約120万人いると言われている。本書が広く読まれることによって、多くの当事者が救われるに違いない。
私も本書を読んで「この情報を10代の頃に知っていれば、はるかに楽に生きられたのに・・・!」と悶絶した。その一方で、仮に10代の頃に本書が目の前にあったとしても、おそらく読まなかった(読めなかった)だろう、とも感じた。
当時の私のように、トラウマが強すぎて吃音という言葉に触れることすらできない人、そもそも自分が吃音だと認めたくない人は、確実に存在する。むしろ多数派かもしれない。そういった人たちに必要な情報を届けるには、どうすればいいだろうか?
本書の中で、吃音外来を訪れた子どもに対して、著者の菊池氏が「なぜ吃音が始まったのか」を本人に説明する時に、「君の頭の回転が速すぎて、口がついてこられなかったからだよ」と語る場面がある。
私自身、うまく話せずに落ち込んだ時は、まさにそう考えて自分を励ましていたので、「そう、その通りですよね!」と叫びたくなった。
統計的なデータがあるかどうかはさておき、吃音者には比較的言語能力の高い人が多い印象を受ける。言葉を扱う職業=研究者・作家・編集者にも、吃音者は少なくない。
生まれつきの言語能力が高すぎるあまり、口頭での会話に支障が出ているのだとすれば、吃音は言語能力の優れた「選ばれし天才」に課されたハンディキャップだと言える。
「吃音=選ばれし天才の宿命」という「やさしいフェイク」を信じること、それを自尊心の支えにして辛い時期を乗り切ることは、決して悪いことではないはずだ。
こうした「やさしいフェイク」でしか救えない個人、「やさしいフェイク」に基づいた情報しか届かない領域は、確実に存在する。もちろん、ニセ医学のような本当のフェイクになってはいけないが、吃音による生きづらさを緩和し、社交不安障害の発症を予防するためには、医学的な情報発信に加えて、社会の中で孤立しがちな当事者たちに届き、彼らの心に響く「やさしいフェイク」をどうデザインし、流通させていくか、という問いを考える必要があるはずだ。
この問いに対する答えの探求が、吃音者にやさしい社会を作っていくための第2ラウンドになるだろう。
『吃音の世界』光文社新書
菊池良和/著