韓国と日本、両方の価値観を持っていた 作家・深沢潮さんの母(後編)
小川たまか『私たちの母の話』

BW_machida

2021/05/26

家父長制の中で割り振られた「役割」に疑問を持って立ち上がる女性たちを描いた『乳房のくにで』。著者の深沢潮さんは在日韓国人の両親を持つ。「韓国は日本よりも男尊女卑が根強い」と語る深沢さんの語る、母の姿とは。

 

『乳房のくにで』双葉社
深沢潮/著

 

――前編で男女交際禁止だったというお話もありましたが、深沢さんの10代の頃についてさらに教えてください。

 

うちぐらい厳しい家は周りにあまりなかったと思います。母は自分の着せたい服を子どもに着せたがるから、私が大学生になってからも勝手に買うのを許さなくて一緒に買い物に行っていました。ダサいセーターとか着てたな……。

 

――深沢さんが大学を卒業したのは80年代後半ですよね。バブルでは。

 

89年卒だからバブルだったけれど、私自身はバブルとはあまり縁がなかったですね。周りが浮かれていたのでツラかった。

 

――お母さんからの干渉で?

 

通っていた上智大学がそれほど派手ではなく真面目な人が多かったから疎外感を味わうことはなかったけれど、女子大生ブームもあったし、コンパニオンやナレーターの仕事で月に20万円ぐらい稼いでいる子もいましたね。私はディスコに行ったりする雰囲気の学生ではなかったです。その頃にアルバイト先で出会った有名プロデューサーの男性からは「あなたみたいに真面目な人はテレビ業界に来てはいけない」と言われました(笑)。

 

好景気だったけれど母の価値観に壁

 

――就職活動は?

 

現在は帰化していますが私は当時韓国籍で、韓国籍だと一般の企業にはなかなか入れなかったんですよね。好景気の売り手市場で、まわりはいくつも内定を持っているような時代でしたけど、私は全然。

 

百貨店と航空会社と外資系金融には最終面接まで行けたんですが、ここでも母が口出しをしてくる。

 

――せっかく最終まで残ったのに。

 

そもそも働くことにも反対していましたからね。「いい大学入れ」って言ってたのになんでって思います。航空会社はホステスみたいだからダメ、販売業もダメって言われて、結局外資系金融に入りました。韓国籍だからという理由で差別をしない企業は女性差別もあまりないから、良い企業だったとは思っています。

 

――ちょっと束縛が激しい……ですよね。

 

10代の頃は財政を握られて縛られてましたね。ほとんどお小遣いをもらえないんですよ。抵抗してアルバイトを勝手にしてけんかになって母は反抗するほうが悪いと思っているから埒があかない。

 

――お父さんは?

 

父は母の言い分だけ聞くからゴルフクラブで殴られたりして……。両親はあの頃を思うと穏やかになりましたけどね。

 

兄と姉は亡くなったけれど、妹が2人います。私より8歳、13歳下。たぶん、どうしても男の子が欲しくて頑張ったのでしょう。私は妹の送り迎えをしたりお世話係。年の離れた妹2人は溺愛されていて親を怒らせるようなことはしないから、その分も私にっていうのはありましたね。

 

1989年、大学の卒業式で撮った一枚。

 

大学の授業を受けて変わった

 

――深沢さんのご結婚は?

 

27歳の頃です。一人暮らししようとして戦ったけれど許してもらえなくて、結婚でようやく実家から自由になりました。私の描く小説に強烈に保守的なキャラの女性が出てくるのは母の影響だと思います。

 

――深沢さんがお母さんの保守的な考え方を内面化することがなかったのはなぜですか?

 

内面化している部分は結構あったと思います。高校はカトリックの女子校に順応していましたし。大学でいろいろな考え方の人に出会って変わったと思います。特に目黒依子先生(※1)の授業は衝撃でした。あとは、アメリカに数カ月間留学したときにバークレー大の授業を聴講して、触発されてグロリア・スタイネム(※2)を知ったり。

 

※1社会学者。著書に『主婦ブルース』『女役割』『個人かする家族』など。
※2 著述家。ラディカル・フェミニズムの活動家。バニーガールになり「プレイボーイクラブ」に潜入したルポルタージュが有名。

 

――目黒先生、少しだけお目にかかったことあるのですがかっこいいですよね。

 

「女性も主体的に生きないとね」ということを深く教えてもらったように思います。雇用機会均等法ができたり、その後土井たか子さんのマドンナ旋風があったり「これからは女性の時代」って空気があって、考え方を更新できたことも大きいかもしれない。

 

「女の子より男の子、次男より長男」の価値観

 

――結婚して変化はありましたか?

 

それが、結婚相手の家はうちとは違うかたちの男尊女卑の家でね……。離婚しているので元夫ですが。

 

――なんと言ったらいいか。

 

元夫も在日コリアンで、お医者さんの一家だったんですね。お義父さんもお義兄さんも医者で、お義母さんは嫁は夫に尽くすという考え方。私は息子と娘がいますが、女の子が生まれてもあまり喜んでいないのがはっきりわかる。娘が6歳の頃に離婚したのでそれほど覚えてないかと思っていたんですが「おばあちゃんは優しくなかった」って言っていましたね。

 

――きょうだいで差をつけられる話、たまに聞きますね。

 

とにかく男の子が大事で、しかも長男が大事。長男に何かあったら大変だから、念のためにもう一人男の子が生まれるまで頑張る……とかね。我が家もそうでしたが、母にはその後女の子しか生まれませんでした。

 

――『1982年生まれ、キム・ジヨン』に出てきそうな話です。

 

母は下の妹がお腹にいるとわかったのがちょうど韓国にいるときだったんですけれど、叔母さんから「女の子ならおろせ」と言われたって。母はカトリック信者だから中絶はしませんでした、その言葉に激怒していましたけど。

 

1歳頃の深沢さんと母。姉が入院していたため乳児院に預けられていたという。

 

名前で呼ばれず「〇〇ちゃんのオンマ」

 

――深沢さんから見て、韓国の女性差別や男尊女卑はどう見えますか?

 

私たちはカウンター的なカルチャーを見ているから、フェミニズムに関しては韓国の方が進んでいると思うかもしれないけれど、日常での女性蔑視はすさまじいと思いますね。制度上では進んでいるけれど人の意識が追いついていないところがあって、日本より男性中心社会じゃないかと思います。

 

――家父長制も?

 

そうですね。法事(チェサ)の準備を手伝っていたときに、やけどをしました。姑に「お嫁さんが使いものにならないと困るから気をつけてね」と言われました。家族の長を中心とした人間関係ですね。

 

日本と違うのは、経済の状況的に専業主婦でいられる人が少なかったことじゃないでしょうか。

 

――1997年にIMFの通貨危機があって。

 

そこで多くの人が職を失って、お母さんが支えた家庭が多かったんですよね。女性が働く場が限られていた経験があるからこそ娘にはちゃんと教育をという気持ちが日本より強いし、自分が結婚でいい思いをしていないから「結婚しなさい」と勧めるお母さんが少ないかも。非婚率は韓国の方が高いし、少子化も韓国の方が進んでいます。

 

うちの母の場合、韓国的な価値観の上に日本で暮らして働いたことがなかった。自分が働いた経験があったら「働くな」とは言わなかったと思います。

 

――お話を聞いて改めてご経験が小説の中に込められているんだなと思いました。『乳房のくにで』のラストが私は好きです。日本のフェミニズム小説として韓国でも読まれてほしいと思います。

 

3年前ぐらいに「女性が解放される話はウケないんですよ」ってある版元さんから言われたんですよ。男性にウケないってだけの話だと思うんですけどね。出版業界も管理職にはまだ男性が多くて、女性編集者がキツそうだなと思うことがあります。変わっていってほしいですね。

 

【深沢潮さんプロフィール】
1966年東京都生まれ。上智大学文学部卒業。会社員や日本語講師を経て2012年に『金江のおばさん』で「女による女のためのR-18文学賞」を受賞。著書に『緑と赤』『ひとかどの父へ』『乳房のくにで』など。

 

【年表】

西暦  個人史 社会史
 1938年 母生まれる  
 1945年 小学校へ 終戦
 1947年 父が来日  
 1952年   在日コリアンを「外国人」として統制の対象とする出入国管理体制「1952年体制」の確立
 1955年   朝鮮総連結成
 1961年 結婚  
 1966年 次女(深沢さん)誕生  
 1985年   雇用機会均等法
 1989年 深沢さんが大学を卒業  
 1990年頃   マドンナ旋風
 1993年 深沢さん結婚  
 1997年   韓国のIMF通貨危機
 2016年   韓国で『82年生まれ、キム・ジヨン』が100万部を超えるベストセラーに

 

私たちの母の話

小川たまか

ライター
主に性暴力、働き方、教育などを取材・執筆。
性暴力被害当事者を中心とした団体、一般社団法人Springスタッフ、性暴力と報道対話の会メンバーとしても活動。
初の単著『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)が発売中。
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