Canon’s note 8. 『わたしは最悪。』
映画がすき。〜My films, my blood 〜

BW_machida

2022/08/05

「グッド・タイミング」

 

これまで結婚や出産は自分の人生には全く関係のないものと思っていた。20代初めのころ、地元大阪の友達の結婚、出産というおめでたいニュースをぱらぱらと耳にするようになったが、自分とは全く違う世界の話のように聞いていた。ここは私の戦場、東京。自分にそんなシアワセは必要ない。これまで人並みに恋愛はしてきたけれど、自分が本気で他人と家庭を築きたいと思うことはなかった。しかしそんな私も30代になって、それなりに結婚、出産というものを意識するようになってきた。まだまだ現実味はないけれども、自分もいつか結婚ってやつをするのだろうか?仕事はどうする?まず、この仕事をこれからも続けていきたいのか?自分の夢とか目標って、何だっけ?

 

これでいいのか、私の人生?
考え出すと、急に身体中の関節がなくなって、ぐにゃぐにゃになったような気分になる。

 

そんな中、「わたしは最悪。」と出会った。

 

© 2021 OSLO PICTURES – MK PRODUCTIONS – FILM I VÄST – SNOWGLOBE – B-Reel – ARTE FRANCE CINEMA/2021

「わたしは最悪。」(監督:ヨアキム・トリアー、主演:レナーテ・レインスベ、全国公開中)

 

人生の生きがいを求めて、大学や職を転々としてきた主人公ユリア。元々高いポテンシャルを持ち、医学、心理学、フォトグラフと興味の矛先を次々に変えていくが、いまいち方向性が定まらない。そんなある日、書店員として働いていた彼女はグラフィックノベル作家のアクセルと出会い恋に落ちる。10歳年上のアクセルは仕事も順調で、ユリアと結婚し家庭を築きたがっているが、ユリアはしっくり来ていない様子。「私の人生なのに、脇役しか演じられない」と悩むユリア。そんなユリアは無断で紛れ込んだパーティーで、アイヴィンと出会う。若く魅力的なアイヴィンと「浮気」の一線を超えないように、ひと時を過ごすユリア。連絡先を交換せずに別れた2人だが、偶然に再会し、ほどなくユリアはアクセルの元を離れアイヴィンと付き合いはじめる。アイヴィンとの生活に新たな人生の展望を見出そうとするユリアだったが、果たして彼女は己の人生の主役になれるのだろうか…?

 

私はこの映画が、ユリアの人生を肯定も否定もすることなく、時間という概念を軸に描いているところが好きだ。

 

グラフィックノベル作家として成功しているアクセルは歳は離れているものの、優しく、博識で、聡明なユリアにとって完璧なパートナーに見える。そんな彼から離れてアイヴィンの元へいくユリアが一見愚かに思えるが、しかし今の彼女にとって彼といることは人生における「タイミング」が合わなかったのだ。今のユリアにとってアクセルと共にする人生は彼が主役になってしまい、出産なんてしようものなら自分は完璧に脇役に徹することになる。朝、目覚めのコーヒーを淹れるアクセルの後ろ姿を見つめるユリアは、ふと、駆け出す。

 

アクセルと別れ、アイヴィンと過ごし始めたユリアは幸せそうだ。彼といるとありのままの自分でいられる。しかし、あることをきっかけにアクセルと再会したユリアは気づく。自分を本当の意味で理解し対話をすることができたのはアクセルであったと。

 

私たちはこの人がきっと運命の人だと信じ、付き合ったり、生涯を共にしようとするが、すべてはタイミング次第なのだと思う。たとえ「運命の人」であったとしても、両者の望む人生のタイミングが一致しなければ決して上手くいかない。
私たちは普段それを見落としがちだ。

 

私たちは相手との理想の未来を描いて、相手の気持ちはおろか、結婚や出産をもコントロールできるかのように思いがちだが、物語終盤でコントロール不可能な運命をつきつけられたユリアの姿を目にし、これが現実だよなと我に返る。

 

すべてはタイミングなのだ。

 

20代の頃に囚われていた破滅願望で、自分の身の丈に合わない人に恋をし、彼の心は繋ぎとめられなくとも、この人の子供が欲しい、子供は自分を裏切らない、という恐ろしいことを考えていた時期があった。彼の子供を産み育てられるなら女優だってやめてもいい。しかし、こちらが望むものと相手の望むものがあまりにも乖離していた。向こうには他にも女性がいただろうし、そもそも私とは本気ではなかっただろう。だけども私はどこか生きることに哀しさを宿している彼に惹きつけられ、離れられなかった。自分なら彼を満たすことができるかもしれない。苦しくたっていい。この苦しみもいつか芝居に使えるからと自分に言い聞かせていた。

 

惚れた弱みか、彼から連絡が無いと不安になり、夜中の連絡を取りそびれまいと不眠症になり、身も心も疲弊しきった私は、ある日、ふと、自分のやりたかったことって何だっけ?と立ち止まった。そうだ、私、映画が好きだ。ちゃんと、芝居がしたい。

 

しばらく埃を被っていた女優コンロに再び火がついた。このままではいけない。ついに彼と別れようとした時、生理が遅れていることに気付いた。相手にそのことを告げると、彼は冷静に検査結果が出たら教えてくれと言った。数時間経って結果はどうだったかとまた連絡が入る。今の私と同じように、いや私ほどではないであろうが、彼も少しは不安を感じているのだろうか。そんな状況が少しだけ嬉しかった。

 

翌日、六本木でオーディションを終え、検査に向かおうとしていたところ、下腹部に鈍い痛みを覚えた。まさかと駅構内のトイレに駆け込むと、下着に赤い模様が広がっていた。ほっとした。と同時に少しがっかりもした。もう検査に行く必要もない。あの人になんて送ろうか。階段を上がって外へ出ると、六本木のイルミネーションが寒空に輝いていた。万が一の時は一人で産んで育てる覚悟ではあったけれども、どっと、安心した。彼の興味が今だけでもこちらに向いているのは嬉しかったけれど、「ほっと」してしまった自分と出会い、きっぱり彼と別れることに決めた。彼には女として、役者として、いろんなことを学ばせてもらったけれど、私は彼と添い遂げ(これは端から叶うはずはないと気づいていたが)、その子を育てる運命にはなかった。

 

彼と付き合う前、私は私と同じように映画が好きで、四六時中映画を一緒に観て、それについて朝まで議論することのできる人と付き合っていた。その人は豊かな知識とその大胆な感性で、私の狭い視野を広げ、私の人生を豊かにしてくれた。まさにユリアとアクセルのような関係性だったと思う。しかし私は彼の元を離れて別の男性を選んだ。色んな経験をして、役者としてもっと成長したいと思った。しかし、燃えるような気持ちで飛び込んだ恋愛はやはり成就せず、私はまた一人に戻った。

 

その彼とは今も仲の良い友人同士であるが、彼ほど私を理解し、絶対的な味方として在り続けてくれる人にはもうこの先出会えないだろうと思う。
彼はいつも私を鼓舞してくれた。君は大丈夫、君ならやれると。そんな大切な人を捨てて、私は自分を虐げる男性の元へと行ってしまい、そこで自信という自信を失った。その時の経験は今も大きな傷となって心に残っているけれど、これも私が選んだ人生、自業自得だ。決して過去をやり直したいとは思わないし、理解者である彼ともやり直したいとは思わない。

 

ある悩みを抱えたユリアに再会したアクセルは「不安なことって案外上手くいくものだよ」と親身になってユリアの背中を押す。ユリアはアクセルと一緒になっていれば幸せだったのかもしれない。しかし、過ぎてしまった時間は戻せないし、彼女も戻ることを望んではいない。アクセルにも今はユリアと戻れない事情がある。二人の人生のタイミングは合わなかった。

 

ユリアはその後、突きつけられた運命に抗うこともなく、それを受け入れ、エンディングを迎える。そんな彼女の最後の表情を観たとき、不思議な空虚感に襲われた。映画館を出てしばらくたってもうわの空だった。心地の良い空虚感、と言ったら変かもしれないけれど、でも、ユリアの人生に自分の人生を重ね、「うん」と私は頷いた。

 

人生において、自分にとってかけがえのない存在となる人と、正しいタイミングで出会えるとは限らない。

 

仕事、恋愛、結婚、出産、家族…

 

今後自分が何をどう大切にしていきたいのか、正直今はまだぼんやりしているけれど、きっとどこかで、これだというタイミングで出会えるナニカ、ダレカに出会うために、私は今日も生きていく。

 

今はわたしは最悪。かもしれないけれど、タイミング次第で、わたしは最高。になれるはず。きっとその、繰り返し。
縄田カノン『映画がすき。』

縄田カノン

Canon Nawata 1988年大阪府枚方市生まれ。17歳の頃にモデルを始め、立教大学経営学部国際経営学科卒業後、役者へと転身。2012年に初舞台『銀河鉄道の夜』にてカムパネルラを演じる。その後、映画監督、プロデューサーである荒戸源次郎と出会い、2014年、新国立劇場にて荒戸源次郎演出『安部公房の冒険』でヒロインを務める。2017年、荒井晴彦の目に留まり、荒井晴彦原案、荒井美早脚本、斎藤久志監督『空の瞳とカタツムリ』の主演に抜擢される。2019年、『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』にてニコラス・ケイジと共演、ハリウッドデビューを果たす。2021年には香港にてマイク・フィギス監督『マザー・タン』に出演するなど、ボーダレスに活動している。高倉英二に師事し、古武道の稽古にも日々励んでいる。趣味は映画鑑賞、お酒、読書。特に好きな小説家は夏目漱石、三島由紀夫、吉村萬壱。内澤旬子著『世界屠畜紀行』を自身のバイブルとしている。
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