ryomiyagi
2020/04/08
ryomiyagi
2020/04/08
前回の記事(2月6日)から少し日が空いてしまいましたが、その間に世の中はいとも大変なことになってしまいました。コロナウイルスの驚異、ここまでとは誰が予測したことか。巷では、マスクや除菌用品の品切れが続いています。そんな中、友人からこんなボヤキが。(写真はその現場です)
日用品の除菌シートとマスクそれぞれラスト一個やってラッキー!と思いレジにそれぞれラストの除菌シートとマスク持って行ったら「どれか一点ですよ。日本語で書いてますよ。わかりませんか!」と…
なぜ怒られる!?そこまで言われる!? さっそくこれが本日のお題です。ご想像つくと思いますがおそらくこういうすれ違いですよね。
お店の意図:マスク・除菌等の一連のコロナ対策グッズをひっくるめて、一人一点でお願いします。マスク一点、除菌シート一点は合わせて二点じゃ、不届き者の客〜!
客の意図:マスクも、除菌グッズも、それぞれ一人一点って意味じゃないんかい!
このように、マスク・除菌等ひっくるめた商品群全体のことをいうのか、それぞれのアイテムのことをいうのかという二つの解釈、前者を「集合的読み」(collective reading)、後者を「分配読み」(distributive reading)と言います。分配的読みの場合のみ、
[マスク・除菌等の商品]はお一人様一点
= [マスク]はお一人様一点 なおかつ [除菌]はお一人様一点
という関係が成り立ちます。つまり店主の集合的読みvs. 客の分配的読み の戦いだったわけですが、私なんかは、友人だから肩を持つわけではないものの、素直に読んだらここではやはり分配読みが自然な解釈だと思いました。
しかし、多くのお客様に何回も平気でレジに並ばれてイライラしているお店の気持ちもわからんでもない…が…「日本語で書いてますよ、わかりませんか」って何もそんな言い方しなくてもねえ。日本語やったらそうも読めるっちゅうねん!
さてこの集合的読みと分配的読みですが、歌のタイトルでよく見るこういう表現、どちらが優勢でしょう。
『みんな誰かに愛されて』 ミュージカル 美少女戦士セーラームーン
誰かが、セーラームーン達をひとまとまりで愛している(集合読み)
それぞれのメンバーは誰かしらに愛されている(分配読み)
『みんな誰かを愛してる』 石原裕次郎 (これわかる人は中高年オンリーかな)
集団で一人の相手を愛している(集合読み)
それぞれ誰かしらを愛している(分配読み)
どうでしょう。どれも、考えたことなかったかもしれないけれど、言われてみればどちらにもとれますよね。。たぶん、ここではいずれも分配的(それぞれ)な読み方が意図どおりの正解なんでしょうけど。
でも、微妙な場合は常に分配的な読み方が正しいと決まっているわけではありません。文をちょっと変えてみるとどうでしょう。
誰かがみんなを愛している
主語と目的語を入れ替えたら、今度はなんか気の多そうな、博愛主義的な人のイメージが浮かんでくるような。
だけど、よく考えたら、「みんな、君たちは(それぞれ)誰かに愛されているんだよ」という、つまりもう片方の分配的な意味にもちゃんととれるんですよね。こちらのほうが今度は少数派だけど。となると、多数派、少数派の偏りってどうやって決まるんだろう。
これまでに挙げた二種類の解釈は、論理式で書くと異なる形式としてちゃんと記述できます。生身の人間が使う日本語に翻訳したらたまたま同じ表現になってしまうけど。いちばん肝心な詳細をばっさり省略して申し訳ないですが、その論理式と、言語としての文形式の関係のあり方について、より複雑な組み合わせとより単純な組み合わせがありうるということで、より多数派、より少数派の解釈という偏りが生まれることを説明できるということになっています。
さて、冒頭の「マスク・除菌等の商品」に戻りますが、「マスク・除菌等の商品はお一人様一点」っていう表現、どうすれば店側の意図、つまり集合読みが正しく伝わるようにできるでしょうか。例えばこんなんどうでしょう。
「マスク・除菌グッズ等の中からはお一人様一点でお願いいたします」
(解説:「マスク・除菌グッズをまとめてひっくるめた商品グループ全体としていうと」という「集合的読み感」を強調してみました。でもまだなんか誤解の余地があるかも)
あるいはこんなんどうでしょう。
「マスク・除菌グッズ等はお一人様いずれか一点でお願いいたします」
(解説:「マスクお一人さま一点、そして除菌グッズお一人様一点、という分配読みをあえてさせたそのうえで、「いずれか」を使って「しかし最終的にはひとつを選べ」と要請)
…まあ、こんなにあれこれ考えても、棚が空っぽだから意味ないんだけどさ…
さて、この連載では、文法的には間違ってないのになぜか間違って伝わる日本語について、巷に実際にみられる例を題材に心理言語学的な考察を行ってきました。心理言語学とは、「言葉の知識」と「その所有者である人間」の関わりを科学する分野です。私たちが文を読んだり聞いたりする際にどのように文法知識を使いこなしながら情報を処理している(文理解)のか、また読み手、聞き手にとって日本語はどんな特徴を持つ言語なのか、改めて考えることの楽しさを読者の皆さんと共有できればと思って12回楽しく書かせていただきました。今回がいったんは最終回となります。これまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。
今私たちをとりまく世の中の状況では、言葉や認知のしくみなど、知らなくても生活に支障はないことをゆっくり考える余裕はしばらくないかもしれません。だけど私たちが生身の人間で、言語を使って生きていく以上、目を向ければいつだって私たちの身の回りには常に生きた言葉があり、言葉の好プレー、珍プレーがあります。
ちなみに冒頭の私の友人は、店員の態度にカチンときて、くだんの表示に「お一人様いずれか一点」の「いずれか」を書き足してやるべく棚の張り紙のところまで戻ったところ
「ラミネート加工したあってボールペンで書き足せへんがな・・・」だったそうです。
がんばれ!
Special Thanks to Terry Kubo
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