akane
2018/10/08
akane
2018/10/08
文法的には何も間違ってない。のに、 改めて考えるとなんかおかしな意味にとれてしまう日本語ってありますよね。
私、「蛭子能収のゆるゆる人生相談」が結構好きでよく読んでいるんですが(気を遣っている訳でも何でもないのですが、本サイトと同じ光文社さんです)、先日これを読んでいてギョギョッとしてしまいました。皆さんはいかがですか。っていうか、まあまずどこにツッコんだらいいのかと。
「…この前も、坂上忍さんが、前のマネージャーが若くして亡くなった武井壮さんのお兄さんだったという感動話をしているときに、ゲラゲラ笑ってしまったんですよね。」
(実在する方が若くして亡くなったという話題を私が改めてこんなふうに話の種にしてごめんなさいという気持ちもありますが、ここではもともとやらかしてしまったのは蛭子さんということで、そこは大目に見てもらうことにしましょう。)
さてまず、坂上忍さんの前のマネージャーさんに若くして亡くなった人がいたの!?と一瞬思ってしまったのは、前々回のネタ「警察官が女子高生をトイレに連れ込んだJR車掌のxx容疑者」と共通する部分があります。「いつの間にか関係節が始まってました」パターンですね。今日は、まずはそういう誤解をなくすため、句点を打ってみましょう。「感動話」の内容が太字部分だということが辛うじてわかるように。
「この前も、坂上忍さんが、前のマネージャーが、若くして亡くなった武井壮さんのお兄さんだったという感動話をしているときに、ゲラゲラ笑ってしまったんですよね。」
これで解りやすくなりましたか? いや、まだ混乱してます。「武井壮さん生きてるし!」
若くして亡くなった武井壮さんのお兄さん
「若くして亡くなった」という関係節は、「武井壮さん」でなく、「(武井壮さんの)お兄さん」にかかる、というのが正しい解釈ですが、あくまで文法的には両方の解釈が可能です。日本語として可能な構造が背後にふたとおり存在するということなのです(ざっくり描くとこんなかんじ)。
さて、あるフレーズが、どの語句にかかるか曖昧、というのは日本語に限った話ではありません。関係節-先行詞の間の語順は、例えば日本語と英語で逆である、ということを以前の記事でとりあげました。以下は英語の例ですがどちらの意味にも解釈できてしまいます。英語に限らず他の言語に直訳しても多くの場合同様の多義性がみられます。構造的多義性は、自然言語一般にみられる天然の特徴だといえるでしょう。こうした「関係節がどっちにかかるの?問題」も、長年心理言語学・文処理分野では様々な言語が入り乱れて盛んに研究されてきたトピックなのです。
The brother of the actor who died at an early age
ところで、もし冒頭の文章を読んで、一瞬「武井壮って亡くなってないじゃん!」と動揺した人が私以外にもいたとしたら、「いやいや、最後まで読めば誤解しないはずなのになぜだろう?」「常識を働かせながら読めば間違った解釈は最初から排除されるはずなのでは?」などと考えてみるのも、心理言語学的にはよい機会です。
それで、「どちらにでも解釈できる」という場合、人間はどちらの解釈を優先させるのだろう、あるいはどういう情報がどんな順序でその選択に影響を及ぼすのだろう、「常識」情報ってどのくらいそこで効いてくるんだろう、ひいては、そもそも人間の頭の中の言語を運用するシステムはどうなってるんだろう、などもろもろ考えるのが心理言語学なのです。「ゆるゆる人生相談」に負けないくらい奥が深いよ!
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