akane
2018/04/26
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2018/04/26
落語協会所属のある中堅落語家がこう語っていたことがある。
「うちの協会では志ん朝師匠が絶対的な存在で、みんな志ん朝師匠にひれ伏していた感じ。今の小三治師匠(この発言当時は落語協会会長)も特別な存在ではあるけれど、全然違う。あの頃は、志ん朝師匠にダメって言われたら本当にダメ。立川流で談志師匠がいいと言ったらいい、というのと一緒で、志ん朝師匠に逆らうってことはもうここにはいられない、っていうくらい」
肩書こそ副会長だったが、立川流における家元と比較されるくらいの存在だったという志ん朝が亡くなったとき、落語協会には「これでもうおしまい」というムードが蔓延していたのだという。
柳家権太楼は著書『権太楼の大落語論』の中で志ん朝の死を「司令官の死」に例えた。小さんは参謀本部にいる元帥みたいなもので戦場の兵士にとっては遠い存在、だが志ん朝は最前線で戦う部隊を指揮する司令官だった、その司令官を突然失った部隊は戦場でどう動いていいのかわからなくなってしまった、と。
その「絶対的なエース」を失ったことで危機意識が生まれ、中堅・若手の奮起を促したことは前にも指摘したが、志ん朝存命中から危機意識を持っていた小朝にとっては、「重石が取れて動きやすくなった」という側面があったことは否めない。
断わっておくが、志ん朝自身は小朝の目指す改革に反対する立場ではなく、むしろ積極的に応援していた。2006年の著書『いま、胎動する落語』の中で小朝が明かしているところによれば、志ん朝が亡くなる少し前、池袋演芸場で小朝が立てた企画に横槍が入って中止になったことを聞いた志ん朝が、小朝に連絡してきて、「お前のやりたいことはよくわかっているから、これから何かあったら、まず俺のところに話を持ってこい。そうしたら俺が、それを通してやるから」と言ったのだという。なんと頼もしい言葉だろう。さらに志ん朝は小朝に「俺が上になったら(=会長になったら)、いろいろと力を貸してもらいたいから、助けてくれよな」とも言ったというのだ。
だから、もしも志ん朝がもっと長生きして落語協会の会長になった場合、それこそ志ん朝の「鶴の一声」で、小朝の提案の数々がスムーズに実現した可能性もある。だがそれはあくまでも「志ん朝のお墨付きをもらう」のが前提になっているわけで、小朝がなんでもかんでも自由に行動できるわけではないし、落語協会全体を背負う立場になったときの志ん朝と小朝の思惑がすべて一致するとは限らない。
いずれにしろ、現実には志ん朝は落語協会会長の座に就くことなく病没し、小朝は独自の道を歩むことになる。2002年、団体の壁を超える「夢」を語る花緑に対して「これ自体はそんなに遠くない。僕は5年のうちに落語界は大きく変わると言ってて、それは変える意志があるからそう言ってるんだけど、そんなに時間かからない、大丈夫」ときっぱり言ってのけた小朝は、もはや『苦悩する落語』を書いたときの「どうせ変わらない」「空しい」と言っていた小朝ではない。「変えることが出来る」という確信に満ちている。
これを「志ん朝が死んで重石が取れた」と解釈するのは志ん朝に対しても小朝に対しても失礼かもしれないが、絶対的な存在が失われた以上、小朝が矢面に立って改革を進めることを否定できる人間がいなくなったのは事実。だからこそ小朝は堂々と、誰に憚ることもなく「六人の会」で「団体の壁」を超えてみせた。『柳家花緑と落語に行こう』で花緑は「最近の落語界は、とても動きが早い。10年かけて出来なかったことが数ヵ月で現実になったりする」と書いたが、「動きが早い」のは志ん朝や小さんといった絶対的な権威(=重石)がなくなったからだ、と解釈するべきではないだろうか。
志ん朝を失った落語界。そのとき、新たなリーダーとして名乗りを上げたのが小朝であり、「なんとかしなくてはいけない」との使命感に突き動かされたのが花緑、そして「まだ俺がいるじゃねぇかバカヤロウ!」と闘志を燃やしたのが立川談志だったのである。
いわゆる「落語ブーム」がマスコミで喧伝されるようになった2006年、小朝は『苦悩する落語』の続編とも言うべき『いま、胎動する落語』を出版し、「まだ全然ブームじゃない」「本当のスタート地点は2010年。そこでようやく他のジャンルと闘っていけるだけの人材が揃う」と書いた。2010年と言えば「こんなに面白いのにまだ二ツ目!?」と春風亭一之輔の抜擢待望論が高まり、2008年に真打昇進した三遊亭兼好がメキメキと頭角を現わし、ついでに言うと僕が「ヘタだけど面白い立川こしら」を推し始めた時期だから、つくづく小朝の慧眼には頭が下がるが、その著書の締めくくりで小朝はこう述べている。
「そう遠くない将来、協会という枠はあっても、噺家たちはかなり自由に行動するようになります。そのとき、多少実力のある人たちが先輩風を吹かせて若手をおさえようとするでしょうが、圧倒的な実力を持っているわけではないので、結局はおさえきれません。力と人気のある若手たちは、そんな圧力にイヤ気がさし、自分たちで好きなように活動しようとします」
「志ん朝の死」という衝撃で幕を開けた21世紀。落語界は大きな喪失感に囚われながらも、否応なしに「新しい時代」に向き合わなければならなくなった。それはある意味、敗戦後の日本国にも似ている。それまでのすべてがいったんリセットされ、どん底にあった落語界はここから「復興から繁栄へ」の時代に突入していくのだった。
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