落語界における「危機意識の芽生え」【第5回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

春風亭小朝の2000年の著書『苦悩する落語』に「宙に浮いたままのある企画」という項がある。そこにはこう書かれていた。

 

「実は数年前、高田文夫さんと2人で『銀座落語祭』という大イベントを企画したことがありました。ニッポン放送と、銀座の旦那衆のバックアップで、歌舞伎座、新橋演舞場、有楽町朝日ホール、博品館劇場、ガスホールなど、銀座の主要ホールをつかって三日間、朝から夜までの大落語祭を開催しようというのです」

 

言うまでもなくこれは、後に「大銀座落語祭」として実現することになるアイディアだが、この時点で小朝は4団体(落語協会・落語芸術協会・落語立川流・五代目圓楽一門会)の壁を超えて「東京の落語界が総力を結集したイベント」にすることは不可能と判断、企画は頓挫したと言っている。

 

この構想は小朝の「日本全国から注目されるイベントが行なわれないと落語界にはますます陽が当たらなくなる」という危惧から生まれた。もちろんこの時点では2001年に「志ん朝の死」という悲劇によって落語が注目を集めることになるとは小朝が知る由もない。

 

『苦悩する落語』の背景にあるのは一種の「諦観」である。小朝は演者の立場から低迷する落語界の現状を分析し、プロデューサーの立場から「何をなすべきか」を提言しながらも、終章で「どうせ何も変わらない」「空しい」という冷めた心情を吐露し、変わらない理由は「落語界はひとつのものに向かって力を結集することが出来ない」からだと断言している。

 

それからたった数年で「大銀座落語祭」を含む様々な提言が実現することになったのはなぜか。まず指摘できる最大の要因は、落語界(特に落語協会)における「危機意識の芽生え」である。

 

2001年に古今亭志ん朝が63歳の若さで亡くなり、翌年には人間国宝の五代目柳家小さんが逝去。どちらも落語協会が誇る看板だ。その2人が亡くなったことで「古典落語の灯が消えた」という紋切り型の表現がマスコミを賑わす中、「なんとかしなければいけない」という空気が、特に中堅・若手から生まれてきたのは間違いない。

 

その象徴的な存在が柳家花緑だ。彼は21世紀初頭、紛れもなく「落語界のスポークスマン」だった。
2002年11月に出版した『柳家花緑と落語に行こう』のあとがきで花緑は「最近の落語界は、とても動きが早い。10年かけて出来なかったことが数ヵ月で現実になったりする」と指摘、「落語界を良くしていこうというみんなの気持が、そちらに向かわせているのだと思います。志ん朝師匠、そして祖父・小さんの死も大きな影響を与えているのでしょう。もちろん私を含めてそうです。だから、この本を出版するのにも、熱い思いがあるのです」と書いている。

 

「熱い思い」。この時期の花緑の活躍ぶりは、まさにその一言に集約される。志らくや昇太の落語が若者にウケているのを身近に知っている花緑は、落語が他のジャンルのエンターテインメントに比べて引けを取るはずがないという信念のもと、「寄席に来てほしい」というメッセージを発信し続けた。

 

『柳家花緑と落語に行こう』では落語の基礎知識と演目紹介、芸人紹介などに続き、最終章では東京の4派の壁を超えたオールスター・ラインナップによる「夢の寄席」のプログラム案を掲載、それを見せながら談志・小遊三・小朝・圓楽と各団体のトップランナーにインタビューを敢行している。

 

はっきりと「危機意識を持っている」と口にしながら団体の壁を越える必要性を真剣に考えている花緑に対し、談志は「こういうの考えるの楽しいだろ? やってみたらいじゃねぇか」とエールを贈り、圓楽は「全面的に賛成します」、小遊三は「道は遠いね」としながらも「こういうのを見せられると説得力があるね。階段を上っていけば、また別の形があるかもしれない」と言った。

 

小朝は、数多くの演者を入れ代わり立ち代わり登場させる花緑案を見て「僕だったら思いっきりメンバーを厳選する」(これは翌年スタートすることになる「東西落語研鑽会」の基本理念だろう)と意見を述べた後、「でもあなたはまず自分のために走って全国制覇を狙うべき」と忠告した。これが翌年の花緑の著書『東西落語がたり』で宣言する「花緑メジャー化計画」に結びついていくのだが、ここで小朝が説く「まずは個々の使命感で動いて、それぞれが実力をつけておいてほしい。将来的に落語にスポットが当たったとき、それに応えられる人材がいなかった、じゃ困る」というのは、2005年以降の落語ブームの実態を考えるとき、先見の明があったという他ない。

 

ここで大きなポイントは、「夢の寄席」案を持ってきた花緑に対して小朝が「これ自体は遠くない」「5年のうちに落語界は大きく変わる」と言い、「そんなに時間かからない、大丈夫」と励ましていること。2年前には「団体の壁を超えるのは不可能」「空しい」と語った小朝が、である。

 

この小朝の発言から見えてくるのは「志ん朝の死」がもたらしたもうひとつの要素、「重石が取れた」という側面だ。

 

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を