三三に対する小三治の「公開小言」【第70回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

2006年、寄席での披露目が一通り終わった三三は、6月10日・11日と二夜連続の「柳家三三真打昇進記念公演」を紀尾井小ホールで行なった。これは、三三が個人での昇進披露パーティーを開かない代わりに催した特別興行で、披露目のパーティーには必須の「口上書き・手拭・扇子」の3点セットが付いて1公演8,000円、2日通しで1万2,000円。初日には春風亭小朝と立川談春、2日目は師匠の小三治と柳亭市馬がゲスト出演し、前半は彼らの落語、仲入り後にゲストと一門の兄弟子たちが居並ぶ真打昇進披露口上があり、色物を挟んで三三が落語を披露する。僕は通し券を買って2日間とも足を運んだ。配布された公演プログラムには三三からの挨拶文と山本進・京須偕充両氏からの祝いの言葉、三三が二ツ目時代に高座に掛けた数ベスト100演目一覧等が掲載されている。三三がこの公演で演じたのは初日が『らくだ』、2日目が『茶金』だった。

 

小三治が三三に対して「公開小言」を行なったのは、2日目の口上でのことである。

 

パーティー代わりということで、この公演では大勢の“ご贔屓筋”(おそらく後援会員だろう)の名前がズラリと並んだ後ろ幕が飾られていた。僕などは「やっぱり三三は凄い、二ツ目なのにこんなにご贔屓筋がいるんだ」と思ったくらいだったが、口上で小三治はこの後ろ幕についてこう述べた。

 

「こんなに大勢の名前が入った幕は初めて見た。もちろん、ここに名前を載せている人達には感謝をします。でも、ここまで名前を全部ズラリと入れてしまう、そういう幕を飾ってしまう三三の了見は間違っている。これを見れば噺家は誰だっておかしいと思うけれども、それをそのまま当人に言う奴はいない。それを本人に教えるのは師匠の役目だ。なので言います。三三の、こういう了見が問題だ」

 

厳しい指摘である。

 

「三三は落語には真面目に取り組んでいるし、そこそこできる。でも、そんなことより、三三がどんな人間かということが噺に出てこなければいけない。人間としての深みがあってこその落語であり、そこが三三には欠けている」

 

もっともその後には「こんなことは口上で言うべきことではなくて、ただ『こいつは見どころがあるので宜しくお願いします』ということを……なので宜しくお願いします」と笑顔を見せたのだが、めでたい席での、この「公開小言」には驚かされた。

 

三三とすれば、後援会がこの会のために作った後ろ幕を飾らないわけにはいかないだろう。つまり、これはむしろ小三治から後援会に対する「贔屓の引き倒しをしないでくれ」というクレームなのだが、あえて三三に対する苦言へという形を取ったのは、師匠としての「持ち上げられて天狗になるなよ」という戒めだったのかもしれない。

 

手拭・扇子と共に渡された口上書きには、いわゆる「披露目の口上」の他に、小三治が長文を寄せている。ここに、当時の小三治の三三に対する想いが集約されていると言ってもいい。以下、引用しておこう。

 

《三三が小田原の高校を出て、私の門を叩いたのは十三年前のことでございました。中学二年の時に、噺家になりたいと親共々のアプローチがありましたが、きちんと高校を出てからと申し渡しました。なにせまだ子供のこと、学校に行ってる間に気が変わるだろうと突き放したつもりでしたが、効き目はありませんでした。(中略)

 

時々ぽかをやらかしますが、根は珍しいほど生真面目几帳面な性格でございます。

 

しかし、今ひとつこの男の性格性分というものが、ずーっと見てきた私にも分かり兼ねるところがございます。こと自分のことになると口数が少ないと言いますか、普段もきちんと物事のけじめは付けるのですが何を考えているのか本心が見えて来ないのです。ひとには知られたくないことがあるのか、もともとそういう性分なのか、私の取り越し苦労でしょうか。心配なところです。

 

高座の上のことは、種々な賞を受けてきたという実績が示すとおり、話術に於いては一頭抜き出た演技者であるのは皆様御承知の通りでございます。話術、技芸の素質が良いとなると、三三をもっともっと大きくしてやりたいと私としては思ってしまいます。真打になるということは、いずれ一方の旗頭、もっと言えば城の主になるためのスタート台に立ったということです。人の心を動かす、納得させるということは術や技でなく人間性そのものです。それは君主としての城主も、高座ぶとんの上の噺家も同じことです。術や技は、初めはひと様は感心してくれますが、繰り返し続けていると飽きてしまいます。噺家の真の高座は人間性です。お客様は噺を聞いているのではなく、実はその人間を聞いてくれているのです。

 

前座として高座に上がった三三は、蚊の鳴く様な声だったのを憶えています。

 

その時、最初に教えたのは「大きな声を出せ」でした。隠居さんも八っつぁんも大家さんもない。人物なんかどうでもいい。何でもかんでも大きな声を出せ、ということでした。翌る日から耳を聾するばかりの大声が始まりました。来る日も来る日も高座の大声は見事に続きました。一年も経った頃、次の注文を出しました。「大きな声はもうやめろ。そしてあとは落語らしくやれ」でした。どうしたら落語らしくやれるのかは教えない。それは自分で考えろ、でした。以後この男には何も教えていません。そしてここまで来ました。私はおどろいています。一方ならぬ思考や努力をして来たのでしょう。どうか皆さん、喝采をしてやって下さい。

 

申し上げました通り、三三には今迄二つのことを教えました。免許皆伝です。

 

免許皆伝の剣士は古来多勢居りました。しかし一角の剣士となるには、とどの詰まりは人間です。三三に教える三つ目はこれしかありません。

 

「落語らしくやれ」はもういい。あとは「人間として人間を語れ」です。が、どうすれば豊かな人間になれるか、魅力溢れる人間になれるか、残念ながら教えてやることは私には出来ません。何故なら私自身がいまだに分からずに毎日毎日もがいているのですから。

 

柳家三三、これから先、どうなるのでしょう。

 

楽しみでございます。  柳家小三治》

 

こうした想いが、あの厳しくも愛情に満ちた「公開小言」に繋がったのである。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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