akane
2018/10/11
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2018/10/11
「未完の大器」と呼ばれた立川談春が「最もチケットを取れない落語家」と言われるほどの存在になっていく過程では、節目の年が2年置きに3回訪れた。
まずは2004年の「立川談春大独演会“二十年目の収穫祭”」。
次に2006年の「談春七夜」。
そして2008年の書籍『赤めだか』(扶桑社)と「立川談志・談春親子会 in 歌舞伎座」である。
「二十年目の収穫祭」と「談春七夜」は談春自身が仕掛けたイベントで、前者は「立川談春ここにあり!」と落語界にその存在感をアピールすることに成功し、後者は大胆な「名人宣言」として話題となった。
発想といい実行力といい、談春の「自己プロデュース」は実に見事だが、実はこの2つのイベント、どちらも談春の心の中では「志ん朝の死」という大事件と密接な関わりがあったようだ。
「談春七夜」が「志ん朝七夜」(1981年)を意識したイベントなのは明らかだが、「二十年目の収穫祭」に関しては、演芸情報誌「東京かわら版」2004年 11月号掲載のインタビューで、こんな風に話している。
「誰が志ん朝師匠が63歳でいなくなると思った? 本当に惚れた、自分がプロになるきっかけを作ってくれたような芸人の気概をね…引き継ぐ覚悟を真剣に持つか持たないかを、20周年を機に考えようと」
「落語を独自に発展進化させている人は大勢いるけど、残す・伝える・途切れさせない、ということに、私を含めて本気の噺家って一体何人いるんだろうね」
談春にとってこのイベントは「20周年を祝うお祭り騒ぎ」ではなく、志ん朝のいなくなった落語界における自分のあり方を自ら問い、覚悟を決めるという意味合いを持っていた、というのである。
「二十年目の収穫祭」は2004年11月12日・13日・14日の3回公演(東京芸術劇場小ホール2)。12日は談志がゲストで談春の演目は『九州吹き戻し』『遊女夕霧』、13日は鶴瓶がゲストで談春の演目は『大工調べ』『文七元結』、14日は小朝がゲストで談春の演目は『野ざらし』『三軒長屋』と予告され、これら3公演は発売と同時に完売したため、13日の昼間に昇太ゲストの追加公演も行なわれた。
僕は談志ゲストの日だけチケットを購入したのだが、一席目『九州吹き戻し』の後に高座に上がった談志は「袖で聴いてて結構なもんだと思いました」「今あれだけできる奴はいません。一番うまいんじゃないですか、今ああいうのやらせたら」「圓生師匠みたいな部分を持った落語家になれる可能性があるのは談春しかいない」「ああいうものをやろうという了見がいい」などと絶賛した。(これはCDにも「談志のお墨付き」として残っている)
文芸評論家の福田和也氏は週刊文春の連載コラム「闘う時評」(2004年11月25日号)でこの「二十年目の収穫祭」の初日と二日目の模様を取り上げて談春の高座を大いに賞賛し、「これから、談春の時代を、ともに生きていけると思うと、幸福な気持ちになります」と結んだ。
この福田氏が責任編集に名を連ねる文芸誌『en-taxi』の2005年春号から2007年秋号まで談春は自伝的エッセイ「談春のセイシュン」を連載、それを2008年に書籍化したものがベストセラー『赤めだか』となるわけだが、既存の「落語評論家」ではなく福田氏のような論客がこのように「談春とともに生きる悦び」(見出し)を週刊文春で書いたことは、談春が「特別な存在」であると印象付けた。(そして週刊文春では1ヵ月後の12月30日・1月6日合併号には堀井憲一郎氏の落語家ランキングが登場、談春は堂々ベストテン入りを果たすのだった)
落語ブームが本格化した2005年、いつの間にか談春はその中心にいた。当初はこれまでのブディストホールの会も続けていたが、もはや談春には規模が小さすぎ、この年の9月で終了。代わりに横浜にぎわい座(391席)や博品館劇場(381席)、東商ホール(596席)といった中規模のホールでのプロモーター主催による独演会が増えた。
6月11日には再び「立川談春大独演会」と銘打った会を、今度は一回り大きな東京芸術劇場中ホール(834席)で開催、ゲストの談志と『慶安太平記』のリレー(談春「善達の旅立ち」~談志「吉田の焼き打ち」)を行なった。談春はこのリレーの後で『厩火事』で爆笑を誘い、談志とのアフタートークで「こういう噺(『慶安太平記』)をやりたいと思う気持ちが素晴らしい」「『厩火事』の亭主の怒ったところの口調なんか誰にも引けを取らない」と、またしても師匠に誉められている。
11月1日には高田文夫氏のプロデュースで志の輔・志らく・談春が揃う「立川流三人の会」(紀伊國屋ホール/418席)が実現、チケットは発売と同時に完売した。この会のスペシャル感は談春人気が急激に加速したからこそ生まれたものだ。
そして翌2006年、談春は『談春七夜』という極めて刺激的なイベントを行ない、自ら「次代の名人候補」としての名乗りを上げることになる。
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