第四話 サウナ・ドクター 槙
谷村志穂『さざんが、く』

ryomiyagi

2022/05/13

杉山道生、38歳。容姿、仕事とスペック高めだがいまだ独身の商社マン。入社二年目のときに先輩に連れて行かれた銭湯サウナから〝汗〟の魔力にとりつかれ、自分の限界を見極める日々が始まった―――――恋愛小説家・谷村志穂がつむぐサウナと恋の物語。

 

 杉山道生は、この頃都心での移動にはよく自転車を使っている。
 至る所にポートが設置されるようになり、シェア・サイクルを用いる移動が快適になってきた。
 今日も営業先が下町の老舗靴屋で、地下鉄の駅からだと歩くと十五分はかかる。それもいい運動にはなるが、事前にポートを探しておくのが楽しみにもなる。目的地のすぐそばにもポートがあり、着いたら一旦、そこで返却する。帰りはその逆をたどる。スマホで登録済みの交通系IC画面を当てれば、自転車のロックは簡単に開錠できて、支払いも直結している。まったく無駄がない。そんな合理性ばかりに惹かれていく三十八歳、独身。

 

「杉山、お前、ちょっと」
 帰社するなり、グレイスーツの課長の高梨が、気軽に手招きする。大学時代は野球部でキャッチャーだったそうだ。課全体を見渡す席で、誰かの土産の饅頭を口にしかけていた。口調はいつもいい加減な感じだが、アジア各国との取引に抜群に強く、会社からは信頼を寄せられている。家庭は円満なようだが、それなりに遊んでいるという自慢話も好きで、ずっと独身で、浮いた噂すらない道生に何かとちょっかいを出してくる。
「僕は、饅頭は要りませんけど」
 冬の間に溜め込んだ贅肉を、この週末にはサウナでなんとか落としたいと思っていた。今週末の目標は、一気に二キロ分は汗で絞ることだ。
「やらんよ、そんな奴には。違うから、ちょっと来い」
 課長がこんな風に、福々しい笑顔を向けてくる時は、決まって厄介な勧誘話だ。妻の姪っ子の出るコンサートに行ってほしいとチケットを買わされることもあれば、堂々と課長も参加する合コンに呼ばれたりする。課長の奥さんが道生を案じている、という口実は、何かと使い勝手がいいようなのだ。
「何? お前、怯えてんの?」
「いや、そんなわけは」
 しぶしぶ近づいていくと、
「杉山は、サウナ好きだったよな? 週末、どうせ暇だろ?」
 返事をする間もなく、課長は、ますますにこやかに続けた。
「中本プロントさんは、わかるよな? あちらの新社屋がついに完成になってな、なんでもサウナまで作ったんだと。今度から、ビジネス・ミーティングもそこでやるとか意気込んでらっしゃる。それで、週末に取引先も集めてお披露目会を開催してくれるそうだ。お祝いも届けたいし、ほら、お前だったら、褒めるポイントもわかるだろ? 一緒に行ってちょ」
「ちょって、あの、それって残業つくんですかね?」
「つくはずないだろう。うちはブラック企業だよ。どうせ週末には、どっかのサウナへ行くんだろうが。サウナ代、浮くじゃないの。な、クリスマスまで大金払ってサウナに行ったっていうんだもんな」
 そんな話が課長に漏れているとしたら、発信源は部下の小早川に違いなかった。今更、彼なんかに話してしまったことを悔やむ。
 年末、女にフラレたばかりの小早川が、やけに寂しいクリスマスだった、とやたらと嘆くものだから、つい慰めのように話してやったのだ。さては中本プロントのお披露目会は、奴が先に誘われて、こっちに話をふってきたのだろうか。パーテーションの向こうに視線を送ると、案の定小早川が視線を泳がせ挙動不審である。
「裸じゃないですよね?」
「女性もいるから、水着らしいよ」
「女性社員も、ですか?」
「お前、今嬉しそうな顔したね。いいね、正直で」
 嬉しい顔なんてするものか、と思うが、自分が果たしてどんな顔をしていたのかはわからない。確かにクリスマス・イベントで、水着姿のカオリやマナたちと入ったサウナは、正直、にやけても仕方のない経験だった。
「やめてくださいよ、子どもじゃないんですから。もういいですかね、席に戻って」
「じゃあ、約束な。それと、はいお前にも饅頭あげる。せっかく我らが紗倉さんのお土産だよ。無下になさんな」
 課長は、平然と同じ課の女性社員の名を「我らが」などと口にした。紗倉は入社時、小早川なんかがこぞって色めきたったアイドル的な営業職だ。いつも髪の毛の毛先を揺らし、はきはきしている。今どき女性社員に、綺麗だとか、スタイルがいいとか言うのは普通の企業ならセクハラになるはずだが、商社の古い体質は横行したままで、毎年女子社員の人気投票まで秘密でもなく行われている。
 饅頭を手に席に戻りがてら、小早川の頭を肘で小突き、道生も席に座る。ありがたいことに、お茶が運ばれてくる。
 素朴な饅頭は、雲仙土産のようだ。実は雲仙にもいいサウナがあると聞いていて、道生のスマホのリマインダーには、すでに記録済みである。
 そう考えていると、気づけば饅頭に一口、口をつけていた。皮に山芋の風味がある、しっとりうまい饅頭だ。あえなく陥落。軽く、丸ごと頬張ってしまう。

 

(C)内藤ルネ/Ceville

 

 週末は、雨の予報が外れて、朝から晴天になった。日差しが春めいてきて、今日も自転車でやってきた。
 白木とステンレスでデザインされた、いかにも洗練された新社屋。江東区の川べりで、緑の多い周辺の環境ともよく調和している。
 この会社は設立してまだ三十年ほどだったはずだ。社長自らが手がけた、特別に発色のいい新しい塗料の開発で世界で注目を浴び、特許を取った。後続の類似品も出たはずだが、幾つかの色においては未だに世界中から引きがある。社長はまだ五十代だ。あまり人前に出るのを好まず、お披露目会といっても近しい取引先だけが呼ばれていた。
 広々としたエントランスの中央には、生花が品よく飾られている。エレベータを使わず階段で上がっていくと、どのフロアも高い天井だ。廊下も広く、大きな窓のミーティング・ルームがフロアごとに設置されている。
 五階建てで、この最上階に件のスパが設置されている。スパからは、ガラス扉を開くと、屋根の張り出た庭園へとつながる。植栽の合間合間にベンチがあり、よく風が通っている。
 お披露目会は、この五階で準備されており、各社が持参した祝いを含め、飲み物や軽食が準備された庭園で、社長の話が静かに始まった。
 味のある話だった。
 少ない社員で始めた会社だから、社員は家族である。家族ですから、皆、好きなことも言います。ある日、一人の社員が、社長、これではオフィスが狭いんです、と言ってきた。気づけば、机がぎゅうぎゅう詰めになっていた。ありがたいことに、社員も少しずつ増えていた。新しい社屋を作ったら、僕らはもっと成果を出しますよと言われたら、私はそれに応えるしかない、と。
「それで、社屋のアイデアは、社員たちに決めてもらいましたが、この五階だけは私の好きに作らせてもらいました。サウナとスパ、トレーニングルームにガーデン、自慢のスペースです。サウナが好きな方は、ぜひ入っていってください。社員は遠慮してなかなか入らないのですが、私は長年の経験で、サウナというのは、日常の中で、自分をリセットするにも良い場だと考えています」
 庭園で、ベージュのコートを羽織ったままの課長が、誰より盛大に拍手を送る。その横には、紺色のコート姿の紗倉もいるから、課長に連れてこられたのだろう。
 課長の大げさな反応がせっかくの静かな話を台無しにしているようにも感じられたが、道生も心から拍手を送った。自分や家族のような社員たちのための、新社屋と、サウナまで作ったという企業の誠実なリーダー像。こんな静かな物腰で、他社が目を見張る成果を上げているのだからすごい。そんなリーダーが作った自慢のサウナが、気になって仕方がない。

 

「杉山、せっかくだから、サウナにお邪魔したらいいよ」
 課長は、紗倉と並んで、すでにワイングラスを手にしている。
 実は先ほど少し覗いてきたのだが、スパ・ルーム全体が広々としていた。男女別に更衣室があり、大小の白いタオルやペットボトルの水がきれいに並んでいた。そして、スパの一角が、ドーム状のサウナのようだった。サウナはすでに温まっているらしく、早くも真新しいヒノキの香りを漂わせ、道生はすでにたまらなく誘われていた。
「それでは、遠慮なく行ってきます」
 更衣室でスイミング用の水着に着替え、シャワーを潜って扉を開けると、その先がスパスペースだ。ホテルスパによくある動線だ。スパで体を温めて、サウナ室に向かう。
 ヒノキ材が香りを胸に含む。サウナ室は楕円形で、ヒーターは、中ほどにどっしり置かれている。ストーンサウナに遠赤外線の組み合わせで間違いない。これなら、本格的なロウリュもできる。ベンチは三段と広々していて、互いとの距離も十分に取れる。ここで、社員のミーティングという話も、俄に現実味を帯びてきた。
 ドライサウナの温度設定は、今日は八十度くらいと、低めだ。壁には、テレビはもちろん、時計も置かれていないが、大きめに取った窓からの採光があり、室内は比較的明るい。
 まだ、誰もいない一番サウナである。気兼ねせず、最上段に座らせてもらった道生の皮下からは、すぐに汗が吹き出してきた。
 一回目は、長めに自分を追い込むと決めている。限界と感じるまでこらえると、その汗が呼び水になって、二回目以降も、その日、体に溜めてあった汗が一気に絞り出されていく。
 こらえ切ったら、息を吐くように、水風呂へ入る。
 水風呂も、なんと二つ用意されていた。それぞれ温度表示があり、片方は十八度とサウナ初心者にも入りやすい温度、もう片方は本格的に冷たい十四・五度だ。
 道生は最高に好ましい14.5度の方にざぶんと浸かる。この瞬間のためのサウナなのか、と思うほど、毎回、心がごおっとうめく。頭の芯を突き抜けていくような、心地よい刺激が行き渡る。
 水風呂の中でそのまま冷え切ってしまいたい気持ちと闘いながら、一旦、休憩する。スパの扉の向こうは庭園。本当なら、そのまま外気浴ができるはずだが、今日は、大勢の人がいるので、スパ脇の椅子に腰掛ける。目を閉じ、放心する。
 外の喧騒。課長の笑い声も聞こえる。仕事なんだから、その輪に加わるべきなのだろうが、もう一度、サウナ室へ戻りたい欲求の方が肥大していく。簡単に、欲求に負ける。
 よし、もう一回、と、サウナルームへ入っていくと、一気に水着姿の男女が増えていた。
「私も、一緒で、構いませんか?」
 花柄の水着姿の紗倉が、すぐ後から入ってきて隣に座る。リゾート地で見るような水着だが、お世辞にもおしゃれとは言えない。
「水着、持ってきてたんだ」
「一応、買っちゃいました」
 腰から下をタオルで巻いて、気恥ずかしそうにしている。
「中本社長、こちらがさきほど、課長が話していた弊社の杉山です」と、紗倉から社長に紹介される。
「ああ、クリスマスにもサウナ・イベントへ行かれたという、杉山さんですか」
 ここでまでそんな話をされていたのかと、道生は苦笑する。
「それで、イベントはどうでしたか? 寒くなかったですか?」
 すでに顔から首にかけて汗をこぼしながら、この新社屋のオーナーが温和な表情で、率直に訊いてくる。
「確かに、夜の外気温は五度くらいでしたから寒かったのは間違いないんですが、フィンランドのサウナの話なんかが聞けて、意外にも楽しい経験でした」
 道生も、素直に答える。フィンランドでは、サウナに招かれるのは、よほど親しくなった者同士の証なのだとあの夜、マナは鼻をぴかぴかに光らせて言っていた。サウナは最上級のもてなしなのだ、と。
「いつか聞いてみたいですね、そんなお話も」
 床に座った中本社長が、ゆっくり顔を拭い始める。汗をかくのが、道生より早いかも、つまりよりベテランと思われる。
「こちらのストーンは、ずいぶん深そうですね。石が力強く積み上げられていて、フロント・フェイスが実にかっこいいです」
 ヒーターのストーンや積み上げ方にも、こだわりを感じていた。
「そう言ってもらえると、うれしいですね」
「水風呂も二つは実に贅沢です。冷水を作る方が、湯を沸かすより管理が大変なんですよね? そこからすぐに庭園に出ることも、または庭を眺めながら外気浴もできるんですよね」
 中本社長はくすりと笑うと、後方上段にいる女性の方を振り返った。
「良かったですね、槙先生。お褒めの言葉を頂戴しましたよ。杉山さんならご存知かな? 槙先生は、最近、サウナ・ドクターとしてもご活躍で。ここを作るときに、監修をしてもらったんです。それもあって、今回はこんなお披露目をさせてもらったんですけどね」
「ドクターですか?」
 人を見かけで判断してはいけないが、かなり意外な感じがした。鳥の巣をのせたようなくるくるヘアで、白いビキニスタイルだ。どこか風変わりではあるが、チャーミングで、はっきり言うと、紗倉とは比べ物にならないほど大人の色気があり、ナイスバディだ。
「クリスマスのイベントのことなら、私も主催者の坂上さんから聞いた。真冬によくやるわねって、言ってやったんだけど」
 ああ、こういう話し方をする人か、と道生は瞬時に感じる。頭の回転が速くて、すべてが本音、またはそれに見せる類の話の進め方だ。それでいて、多分話題にされている本人も傷つけない術を身につけているのだ。
「サウナの効能って、医学的にも認められているんですかね? というより、適切な何分間でのルーティンとかいうのはあるのか、気になっていたんです」
 道生が訊ねると、中本プロントの、若くて胸筋の漲った社員も、
「僕もそれ、訊いてみたいと思っていました」
 と、続いた。
「なるほど、まず、サウナが体に良いのかどうか。サウナも、体にある種の負荷をかけることには間違いないので、運動が体に良いのか、悪いのか、という質問と同じですね。負担をかけることで強化できる面がある、というのが答え。自律神経や血管の働き、汗腺を開いたり、閉じたりも繰り返すので、まあ、熱中症にはなりにくくなるとかはある。脳疲労をなくしたり、うつ病や不眠にも効果があるというエビデンスは医学的には出てきていて、福利厚生施設には十分なりえましたよね、社長」
 ここからは、槙の独檀場だった。
「それと、ルーティンという質問だけど、入るサウナによっても、温度も湿度も違うし、人それぞれ、日によって体調も違う。だから、その質問ははっきり言って典型的な愚問になる。その愚問を口にする人は多いです。ただ、私にも目安にしていることはあって、それは、自分の脈拍なのね。大体、小走りした時の脈拍が、私の場合は120くらいになる。トレーニングの負荷の目安が、最大心拍の六割くらい。最大心拍は220から年齢を引くのが目安で、その六割ね。ここを目指すので、メトロノームみたいなものを持って入る人もいるんだけど、私はね、好きな曲のリズムで決めてる。BPM、120が目安。Beats Per Minute。言ってみるなら、テンポのことなんだけど」
 愚問と言われた時点で道生はめげかけたが、胸筋のよく動く彼は、続けた。
「ああ、Apple Musicなんかに、今、BPMミュージック、なんていうの、ありますよね。走る人とか、それトレーニング用に選ぶみたいで。ちなみに、先生のそのお好きな曲は、なんていう曲なんですか?」
「ゆずのね、『夏色』って曲なんだけど」
「それ、どんな曲だっけ?」
 道生は日本の曲をあまり聴かないので、隣の紗倉に、小声で訊いてみる。紗倉は、すでにだいぶ熱されたのか、真っ赤な顔をしている。
「たららららーらーの、たららららーっていう曲です」
「……なるほど、あれ、紗倉さん、一旦、休んだら?」
 たらららの曲はなんとなくしか思い出せなかったが、紗倉の脈拍がそれ以上になっていそうで心配になった。
「先生のお話が面白くて、つい」
 紗倉は外に出たが、八十度のサウナなので、道生は槙の話を聞きながら、まだ汗を流し続けることができた。自分が向けたのは愚問だったが、さすがにサウナ・ドクターだけあって、専門的な話も尽きなかった。世に言う、「ととのう」という言葉も、槙にかかれば一刀両断なのかと思いきや、
「私はその言葉はよく合っていると思いますね。まず高温で熱されて、人体は生命の危険を感じます。今度は水風呂で、また危機を感じます。そこから外気浴をすると、交感神経から副交感神経に切り替わるわけです。まだアドレナリンが出ている状態で、副交感神経も同時に働くという稀有な状態が訪れる。このとき、まあ浮遊感や多幸感を口にする人もいるし、妙に視界も晴明な感じになって、脳の疲れがなくなるように感じる人もいる。ただ、アドレナリンがでているのは、まあせいぜい二分なんです。それでね、外気浴できる場所は、水風呂からすぐのところが正解。水風呂を出て外気浴をするのにフロアが変わるとか、やけに遠いっていうのは、愛のない作りだなって思う」
 槙の話は独走態勢で続いたが、ところどころ、彼女のやり取りには、若々しい可愛らしさがあった。だから、人気なのに違いなかった。
「社長も、ととのいますか?」
 若い社員の質問に、中本は静かに笑っている。
「実はあんまり、考えたことがないんだよな」
「そうね、あんまりととのおう、ととのおう、とすると、ととのいイップスになるのよ」
 とも、槙はダジャレを放つ。
「じゃあ、社長にとってサウナはどんな良さがあるんですか?」
 みんなで汗を流しながら、そして笑いながら、真剣に話しているのが道生にはたまらなく面白かった。
「実はまあ、僕はサウナ歴が長いんでね、こんなに流行るとは思っていなかったし、昔は刺青の人たちに凄まれたこともあったけど」
 それでも皆がなんとなく答えを待っているものだから、中本社長は答えた。
「自分を追い込む感じが、いいのかな」
 それなんだ、と思う。道生もまったく同じだった。でも、同じです、なんて言うのはここではおこがましいようで、
「自分にも、そろそろいい感じのBPMが、きてます。お先に」
 と、一旦、サウナ室を出る。他にも若い社員など幾人かが続いたが、中本社長と槙は、汗を浮かべながらまだ談笑を続けていた。
 下の段でゆったりとサウナを楽しむ、そんな大人の余裕を見せられているようだった。

 

(C)内藤ルネ

 

 水風呂を出て休もうとすると、椅子には真っ白なバスタオルをかぶって、紗倉が座っていた。
「サウナって、科学なんですね」
「面白い話だったね」
 しばし無になって休みたい気もしたが、紗倉の話し声はゆったりしている。
「そうだ、この間、雲仙の饅頭を、ありがとう。素朴でうまかったよ」
「本当ですか? だって、饅頭は要らないって、聞こえていましたけど」
「よくないね、口は禍の元だ。饅頭一個分太るくらいなんだってね」
「気にしてるんですか?」
「うん、してる」
 紗倉が笑ってくれた。
「雲仙には、実家があるんです。私、雲仙の中でも山奥の出身で、大学時代はちょっと匿してたっていうか。女子大だと、地方出身者ってそれだけで色がつけられちゃうから」
「そう?」
「そうです。商社に入ったら、今度は想像以上に女は、女はって言われますけど、実は私、それは別に嫌じゃないんです。今日だって、こうして課長が連れてきてくれて、貴重な体験ができて、女で得してると思うことあります。そうしたら、田舎のことも、堂々と話せるようになったんです」
「どうして急に、僕にそんな話をするの?」
「サウナって、妙に素直にさせられちゃうっていうか。危険ですね」
 槙と社長も出てきた。槙は十八度へ、社長はより低音の水風呂にどちらもざぶんと入った。ここでは二人も、ちょっと子どもみたいな声をあげる。水風呂こそ、人を無邪気にさせる。
 出てくると槙が、皆で写真を撮ろうとスマホで自撮り操作をした。
 モニター画面には、誰の表情からも力みが抜けきっていて、槙が驚くことに道生の耳元で、
「また会おう」と、囁いた。

 

第5話につづく
6月10日金曜配信

「太った汗を出せ」
サウナ×美・健康を極めるwebマガジン『zaumag

谷村志穂『さざんが、く』

谷村志穂

tanimura shiho

1962年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部にて応用動物学を専攻。1990年ノンフィクション『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーとなる。1991年『アクアリウムの鯨』発表し、小説家デビュー。紀行、エッセイ、訳書なども手掛ける。2003年北海道を舞台に描いた『海猫』で第10回島清恋愛文学賞を受賞。作品に『余命』『黒髪』『尋ね人』『ボルケーノ・ホテル』『移植医たち』『セバット・ソング』など。『海猫』は故森田芳光監督により2004年、『余命』は生野慈朗監督により2009年映画化される。最新刊に『半逆光』。
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