第二十九回 井上靖『あすなろ物語』
関取花の 一冊読んでく?

BW_machida

2022/11/04

気づけば11月、軽めのダウンや裏起毛のパーカー、ブーツなんかも引っ張り出して、私も気分はすっかり来る冬に向けての準備に入りました。それと同時に頭をよぎるのは、「確定申告」の文字。申告自体はまだだいぶ先ですが、今年の分の領収書をまとめておくくらいは、できれば年内に済ませておきたいなと毎年この時期思います。

 

他にも今年もっとちゃんとやっておけばよかった、と思うことはたくさんあります。いらない服を捨てるとか、キッチン収納の整理とか、本棚の本を綺麗に並べ直すとか。そして何より一番は、「もっと頭を使って考えることをするべきだった」ということです。なんだか抽象的に聞こえるかもしれないですが、これこそが近年の私に最も欠けている部分だなあと本当に思います。

 

少し考えたらわかることも、当たり前のようにすぐにスマホを使って調べてしまう自分がいます。思い出を振り返るにしても、すぐに写真フォルダを遡ります。誰かに伝えたい「ありがとう」も「ごめんなさい」も、LINEでペッと送るだけです。本当は山ほど伝えたいことがあるはずなのに、なんだかあの画面上だと長文を送るのはとても野暮な気がして、なかなか送れません。年賀状を一枚出すのに、たった1、2行の文章を考えるだけで随分な時間をかけていたかつての自分を思うと、なんとも軽々しく手紙(のようなもの)を出すようになったなあと思います。

 

そのせいなのかなんなのか、こんな言い方はよくないのかもしれませんが、私、年々頭が悪くなっている気がするんです。それは学問的な意味でなんちゃらとか、地頭がどうたらということではなく、頭の中のあらゆる知識や感情の深度が浅くなっているというか、何かを考えようとすると脳がストップしてしまう感じがするというか。“頭の反応が悪くなっている”と言った方がよりわかりやすいかもしれません。

 

暇さえあればスマホをいじっているというタイプでもない気はするのですが、困った時にすぐに頼るようになってしまった部分は間違いなくあります。もちろんそれによって救われることは数えきれないほどあるのですが、これからはもう少し、「まずは自分の頭で考える」ということを実践していけたらなあと思う次第です。

 

さて、今月の質問です。

 

今月の質問:「今年、何かやり残したことはありますか?」

 

12月になってから振り返るのもいいのですが、それだと結局遅いかなと思って、この時期に質問してみました。もしかしたら今からでも間に合うこともあるかもしれないし、来年に向けて心の準備をしておけたりするかもしれない。ということで、早速いただいた回答を見ていきましょう。(他にもたくさんの回答をいただきました。送ってくださったみなさん、本当にありがとうございました!)

 

お名前:2tom(ツトム)
回答:まさに、本を読むです。今年は2〜3冊しか読めてないので…今年はあと2冊読みたいと思います。

 

2〜3冊でも本当に読みたかった本に出会えたのなら、それだけでも充分価値のあることだと思いますが、もう少し読んでおきたかった! って、どうしても思ったりはしますよね。私も買ったまま読めていない本たちが作業デスクの上にどんどん積み上がっていっている状況で、若干要塞都市みたいになっています(笑)。

 

実は本を読むって、生活の中にその時間をきちんと設ける、あるいは当たり前の習慣にでもならないと、後回しになってしまいがちなことなんですよね。私の場合はありがたいことに、こうして本を紹介する連載をやらせていただいているから習慣になったものの、以前は心や体に余裕がない時は全然読めませんでした。

 

でも習慣になった今では、こんなに豊かなことはないなとあらためて思います。一日にたった1ページでもいい、本を手に取り、文字を目で追い、頭の中に景色を描き、主人公や作者の心情を想像する、その時間の充実感たるや。自分の頭で考えるということを、こんなに能動的にさせてくれるものは、他にはないかもしれません。ですから、数を読めばいいというわけではないと思っています。100冊読むよりも深い読書体験が、一年に読めた2〜3冊でできていたのなら、それで充分だと私は思います。でも、今年中にじゃあせめてあと一冊読み足すとしたら、ぜひこれを! という本を今回はご紹介いたします。井上靖『あすなろ物語』です。

 

『あすなろ物語』新潮文庫(1958年)
井上靖/著

 

もはや説明するまでもないほど著名な作家であり本なので、もうすでに読んだことがあるという方もいらっしゃると思いますが、個人的には何度読み返してもそのたびにハッとさせられる一冊です。

 

みなさんは、翌檜(アスナロ)という木をご存じでしょうか。ヒノキ科の樹木で、檜(ヒノキ)と多くの類似点はあるものの、材質としてはヒノキよりもやや劣る部分があり、「明日こそはヒノキになろう」としている木、という理由からそう呼ばれるようになったとも言われています。『あすなろ物語』は、そんな翌檜と主人公の鮎太を重ね合わせながら紡がれた、井上靖の自伝的小説です。

 

「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」

 

そうはじめに鮎太に教えてくれたのは、冴子という女性でした。家族とは離れ、祖母の元で少年期を過ごしていた鮎太にとって、恋にも至らぬ初めての感情を抱いた相手でもありました。本書ではそんな冴子をはじめ、さまざまな女性が登場します。

 

次に鮎太が出会ったのは、雪枝という女性です。寄宿舎で過ごしていた中学3年生の頃、勉強ばかりでやられっぱなしだった鮎太に対し、

 

「意気地なしのくせに、変に敗けず嫌いなところがあるわ。口惜しかったら躰を鍛えなさいよ、躰を—。やっぱり男は強くなければ駄目よ。何よ。現在も風邪をひいているじゃあない」

 

と新たな教えを説きました。それから鉄棒を必死で練習してみたり、喧嘩をしてみたり、この時期の鮎太は短い間にさまざまなことを体験したように思います。こうした冴子や雪枝といった女性たちからの言葉は、目標や目的が定まらない、最も感受性が豊かなこの時期の鮎太にとっては、何かとても鮮烈なものであったことは間違いありません。

 

そしてその後に出会ったのが佐分利信子という女性でした。鮎太が最もはっきりと恋心を抱き、時にその思いが先走り勢いだけの行動をとってしまうなど、最も彼の心から離れてくれなかった人物でもありました。そんな信子はある日鮎太にこう言います。

 

「だって、貴方は翌檜でさえもないじゃあありませんか。翌檜は、一生懸命に明日は檜になろうと思っているでしょう。貴方は何になろうとも思っていらっしゃらない」

 

鮎太はいつも何かしらに夢中になりはするものの(この時期は哲学書を耽読していました)、それが仕事になるわけでもなく、未来につながるわけでもなく、はたまたそこに人より強い思想や浪漫を抱いているわけでもなく、結局何になりたいのか、そのことと向き合わぬまま日々を過ごしていました。その間にも、周りの友人たちはひとり、またひとりと、目標や夢に近づき、どんどん立派な檜へと成長していきます。

 

そんな鮎太もやがて社会人になり新聞記者になるわけですが、ここでは女性以外にもライバル的な存在との出会いがあったり、心から慕える先輩ができたり、戦争があったりと、これまでとは違う形で自身の何かを突き動かされ、成長していく鮎太の姿がありました。そうして鮎太は結局何者になれたのか、檜になれたのか、翌檜になれたのか、はたまた翌檜にもなれない何かになったのか。それはぜひ本を読んでたしかめてみてください。

 

私はこの本を読むたびに、鮎太と自分を妙に重ねてしまいます。あれもこれもとやってみる割に、結局他者を圧倒する絶対的な存在にはなれていない、そんな中途半端な自分と対峙しながら、毎回胸を掻き乱され、時に落ち込みます。でも、それでも止まらず流されながらでも前に進み続ける鮎太は、まわり道をしながらでも着実に成長していて、この本を読んでいると、それもまたよしなのかもしれない、と思ったりもします。「明日は檜になろう」と初めから目標を定め、そこに向かって進み続ける人もいれば、「明日は何になろう」と迷い考えながら、少しずつ何者かに近づいていく、いや、少しずつ自分になっていく人もいる。もしかしたら、鮎太も私もそうなのかもしれません。

 

最も多感な時期の危うさ、眩しさ、歯痒さ、美しさが、セリフや風景描写のひとつひとつから溢れ出し、手にとるように伝わってくる本書。何回読んでもその感覚が自分の心の中にもみずみずしく蘇ってきて、過去の思い出や今の自分について、あらためて考えさせられます。その時間はやはりとても豊かなものです。うん、本を読むっていいもんです。ぜひみなさんも読んでみてくださいね。

 

 

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さて、突然ですがこの連載、来月12月分の更新をもって最終回となります。ライフワークのように続けていきたいくらい大好きだったので、正直さみしい気持ちでいっぱいです。その思いは来月分にたくさん書こうと思います。最後の質問は何にしようかすごく迷ったのですが、これにさせてください。

 

 

本のタイトルと著者名を必ずセットで教えてくださいね。たくさんのメッセージ、お待ちしております!

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