ある東大生の相談!
高橋昌一郎『<デマに流されないために> 哲学者が選ぶ「思考力を鍛える」新書!』

現代の高度情報化社会においては、あらゆる情報がネットやメディアに氾濫し、多くの個人が「情報に流されて自己を見失う」危機に直面している。デマやフェイクニュースに流されずに本質を見極めるためには、どうすればよいのか。そこで「自分で考える」ために大いに役立つのが、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」である。本連載では、哲学者・高橋昌一郎が、「思考力を鍛える」新書を選び抜いて紹介し解説する。

 

ある東大生の相談!

 

高橋昌一郎『東大生の論理』(ちくま新書)2010年

 

 

連載第1回~第10回では、現代社会のオカルト傾向やカルト宗教の勧誘手段、マインドコントロールや金融詐欺の手口、さらに戦争中の欺瞞作戦や自己欺瞞の心理にいたるまで、多彩な視点から「だまされないようにしよう」というテーマについて追究してきた。

 

今回の第11回から暫くの間は、より本質的に「思考力を鍛える」ために、「論理的に考えよう」というテーマにアプローチしたいと思っている。そこで取り上げるのが、再び自著の紹介となって恐縮だが、『東大生の論理――「理性」をめぐる教室』である。

 

本書は、私が2009年度夏学期に東京大学の教養課程で行った「記号論理学」の講義内容と、200名近くの受講生との知的交流を描いている。といっても、専門的な「記号論理学」そのものをカバーするものではなく、毎回の講義の導入のために「論理的思考」に関連した話題を取り上げた際のエピソードが中心になっている。本書を読み進めるうちに、読者は、東大で全15回の講義を彼らと一緒に受講しているイメージを味わうことができるはずである。

 

優秀な学生は、もちろん東大ばかりでなく、どんな大学にも必ず存在する。とはいえ、クラスの大多数の学生が向学心に燃える志向性を共有し、相互に刺激し合うことによって、さらに知的好奇心が増幅されるようなグループとして考えると、やはり東大生は他に類をみない抜群の知的集団だった。できれば、本書の全エピソードをお楽しみいただけたら幸いである。

 

ここでは一例を挙げよう。ある日の授業で、近代の「快楽主義」すなわち「功利主義」の創始者として知られるイギリスの哲学者ジェレミィ・ベンサムに触れた。ベンサムは、社会全体の「幸福」を個人の「快楽」の総計とみなし、1人より2人、2人より3人と、より多くの個人が、より多くの快楽を得ることのできる社会を目指すべきであり、その「最大多数の最大幸福」こそが、過去の宗教的あるいは王権的権威に変わる新しい道徳だと考えた。

 

授業終了後、1人の東大生が近寄ってきて、相談があると言った。彼には、高校時代から彼のことを尊敬している「妹」のような友人がいるという。ところが最近になって、実は彼女が、ある新興宗教団体に所属していることを知った。彼女は、私立大学に進学していて、「頭の良い東大生に軽蔑される」のが心配で、ずっとそのことを彼には隠していたそうだ。

 

その新興宗教の教義は、東大生からすると「幼稚な漫画のようなレベル」の信じ難いもので、とてもマトモに取り上げる気にはなれない。それでも彼は、教祖の著作を何冊も読破して、教義の矛盾や非常識な飛躍と思われる部分すべてにペンで真っ赤になるまで印を付けて、彼女に詳しく指摘した。すると、彼女も冷静になって、一時的には信仰から離れるように見えるが、彼女の両親と妹が熱心な信者だということで、家に帰って2、3日もすると、再び熱心な信者に逆戻りしてしまうのだという。

 

それでは、どうすればよいのか。驚いたことに、彼は、具体的な解決策として、近いうちにその新興宗教に入信するつもりだと言うのである! 彼の相談というのは、彼の決断が本当に「最善の解決案」といえるか、私に「論理的」に明確に示してほしい、ということだった。

 

もし彼がその新興宗教に入信したら、彼女が喜ぶことは明らかであり、彼女の両親と妹も彼を好印象で迎えるはずであり、それらの相乗効果によって彼女との交際も進展するかもしれない。しかも彼自身、今のような不安定な精神状態では落ち着いて勉強もできないが、いったん信者になってしまえば、安心して学問に専念できるような気がする、という。

 

要するに、彼がその新興宗教を否定し続けるよりも、肯定して入信してしまう方が、彼自身にとっても関係者全員の「最大多数の最大幸福」という観点から考えてみても、プラスが圧倒的に大きいように思える、というわけである。しかし、その反面、その教義を信じるのはあまりにも「非合理」だという気持ちが強く、彼自身、内心で揺れ動いているというのである! さて、読者だったら、この東大生の相談にどのようにお答えになるだろうか?

 

ともすると記号論理学は「頭でっかち」な人間をさらに「頭でっかち」に増幅する武器にもなりうる。だからこそ私は、論理の「完全性」(美しさ)と「限界」(危険性)の両面に関わる話題をディスカッションに加えてきたのである。ソクラテス風に言うならば、自分を「頭でっかちな東大生」だと知っている東大生は、もはや「頭でっかち」ではないことを誇りに思ってほしい!(P.9)

 

他に類をみない抜群の知的集団の発想を楽しみながら、論理学の基本的なアイディアを理解するためにも、『東大生の論理』は必読である!

<デマに流されないために> 哲学者が選ぶ「思考力を鍛える」新書!

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授。専門は論理学・哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『ゲーデルの哲学』(講談社現代新書)、『反オカルト論』(光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など。情報文化研究所所長、JAPAN SKEPTICS副会長。
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