ryomiyagi
2020/08/15
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押田茂實『法医学現場の真相』(祥伝社新書)2010年
連載第47回で紹介した『虚偽自白を読み解く』に続けて読んでいただきたいのが、『法医学現場の真相――今だから語れる「事件・事故」の裏側』である。本書をご覧になれば、そもそも「法医学」とは何か、殺人事件や大災害の現場で何が起きているのか、なぜDNA型錯誤や医療事故が生じるのか、明らかになってくるだろう。
著者の押田茂實氏は、1942年生まれ。東北大学医学部卒業後、東北大学助手・助教授、日本大学医学部教授を経て、現在は日本大学名誉教授。専門は法医学・医療事故対策論。とくにDNA型判定の第一人者として知られ、『見てわかるDNA型鑑定』(現代人文社、編著)や『医療事故』(祥伝社新書)などの著書がある。
さて、「足利事件」で逮捕された菅家利和氏が1991年12月に「虚偽自白」をするに至った経緯は、前回の連載で紹介したとおりである。1993年7月、宇都宮地方裁判所は、菅家氏に「無期懲役」の判決を下した。その後、菅家氏は「自白」を撤回して、弁護側は控訴したが、1996年5月に東京高等裁判所が控訴を棄却した。
1996年秋に菅家氏の弁護士から相談を受けた押田氏は、裁判の決め手となった科学警察研究所のDNA型鑑定書を読んで「大きな問題」に気付いた。というのは、その鑑定で用いられた「123ラダーマーカー」には、菅家氏のDNA型を特定するだけの精度がなかったからである。そもそもDNA型は「16塩基」が何回繰り返されるかで判断する。これを測るためには、最低でも「16塩基長」の目盛りの定規が必要なことは明らかだが、科学警察研究所の目盛りは「123塩基長」だったのである!
1997年1月、東京拘置所在監中の菅家氏から弁護士宛に、毛髪の入ったビニール袋が送られてきた。この毛髪を押田氏が鑑定したところ、菅家氏のDNA型は、女児の衣服に付着した精液の「18-30型」ではなく「18-29型」であることが判明した。1997年9月、弁護士は「押田鑑定」を検査報告書として最高裁判所に提出した。
ところが、驚くべきことに最高裁は2000年7月、「押田鑑定」を無視して科学警察研究所のDNA型鑑定は信頼できるという判断を下して、上告を棄却したのである。これによって菅家氏の「無期懲役」が確定したわけだが、その背景には、菅家氏が「自白」したという固定観念が裁判官を支配していた可能性も考えられるだろう。
2002年12月、弁護士は再審請求を行ったが、宇都宮地方裁判所は2008年2月、これを棄却した。「検査対象資料の来歴に関する裏付けのない押田報告書にあっては、その証拠価値が極めて乏しい」というのがその理由である。つまり、誰の毛髪かわからないというのが理由だが、それならば菅家氏を喚問すれば済むことである。この「理不尽な棄却」についてはマスコミも大きく取り上げ、2009年6月、検察側と弁護側が再鑑定を実施し、その両方が「菅家氏のDNA型は犯人のDNA型と不一致である」と結論付けた。菅家氏の冤罪は、ようやく19年目に晴らされたのである!
近年のDNA型鑑定は急速に進歩し、10年以上経過した微量な資料からでも犯罪を立証できるようになったという。しかし、その一方で、日本では「東京で14%、普通の地域では3%から5%」程度しか異状死体を解剖していない。先進国では30%から40%の異状死体が解剖されているというから、犯罪が見過ごされている可能性もある。押田氏は、その解剖を正確に行う法医学者が日本に不足していると訴える。
1985年8月、日本航空123便が群馬県の御巣鷹山に激突するという大事故が発生した。ジャンボジェット機がバラバラに分解し、さらに燃料による火災で周囲は焼け焦げた。乗員乗客の身体は、2000以上のパーツに分かれて飛び散っていた。押田氏をはじめとする日本法医学会の医師は、膨大な遺体検査作業を無報酬のボランティアとして引き受け、520人中518人の遺体を判明させて、遺族に引き渡したそうだ。
法医学という分野は、本で読んだ知識の集積だけでは足らず、専門的な教育・訓練を経験しなければ一流にはなれません。指導できるレベルの高い法医学指導者が枯渇しかかっている危機感を、すでに三〇年前に抱いていました。最近になって、「増加している異状死体の法医解剖を倍にする」という主張を聞くと、もう手遅れという感じです。何とかしなければ……。(P.4)
死者を対象とする法医学の重要性はどこにあるのか、日本の「法医学」の将来を考えるためにも、『法医学現場の真相』は必読である!
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