ryomiyagi
2020/05/21
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2020/05/21
※本稿は、野村晋『「自分らしく生きて死ぬ」ことがなぜ、難しいのかーー行き詰まる「地域包括ケアシステム」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
厚生労働省は、昨今、「全世代型の地域包括ケアシステム」の構築のために、各制度において、地域包括ケアシステムの構築を進める動き(精神障害者の地域包括ケアシステムの構築など)を開始している。
そして、これと並行して進めるべき施策として地域共生社会の実現(総合相談、地域力の強化など)というチャレンジを進めている。
地域共生社会とは、暮らしている以上は様々な課題を抱えることに直面する中で、複数の支援制度を円滑に利用できる環境にするとともに、課題があって当たり前という考え方に立つとすれば、「支える」「支えられる」という考え方ではない中で、行政による支援を当たり前とはせず、共に暮らしていくために必要な仕組みを自ら(特に地域の力で)作り出していこうとするものである。
日本の医療・福祉の諸制度は、病気の人には医療を、介護が必要な人には介護を、障害を抱えた人には障害者支援を、困窮している人には自立支援をといったように、課題を抱える対象者別に制度を創設してきた。これは、それぞれの対象者に確実に専門的支援を行き渡らせており、個々に一定の効果を発揮してきた。
しかし、逆に、次の2つの課題を抱えることにもなっている。
1つ目の課題は、制度は法律で位置付けるがゆえに、あくまで制度の「対象者」を定義しなければならず、その「定義」に当てはまらない人は支援を受けることができない、また、支援する側もその「定義」に当てはまるかどうかを確認して支援を行うことになるという課題(制度間の壁がもたらす課題)である。
そしてもう1つの課題は、制度ごとにサービスを創設して、そのサービスにも構造上の基準を定めて定義付けするがゆえに、制度ごとに必要な人員要件と、その人員の資格要件を定めており、そのために、各制度間で人員の取り合いをしているという課題である。
地域共生社会は、この2つの課題が問題意識となって、検討することになった考え方である。
ここでは、2つ目の課題についてさらに掘り下げたい。各制度によって法律で基準を定め、制度ごとにサービスを運営しなければならないように縛りがかけられているため、限られた医療・介護・福祉の人材を効率的に配置して使うことを妨げているということに筆者は問題提起をしている。
こうした「配置」という視点に加え、地域共生社会の議論では、各専門職の資格要件の見直しについても、言及している。一度、医療・介護・福祉の世界で資格を取った人を、他の業界の仕事に従事させてしまうのではなく、医療・介護・福祉の世界で転職を容易にさせるための仕組みづくりである。
特に、福祉の世界は離職率が高い。人と人のコミュニケーションが中心となる業界だから、「対人関係」で悩んだ場合には、離職ということを選択してしまうケースが後を絶たない。
しかし、たとえば、保育士が母親とのコミュニケーションで疲れ果ててしまった場合などに、再び保育現場で働くことは難しいであろうが、「人を支える仕事をしたい」という考えを持つ才能(福祉のマインドは全ての人が持てる才能ではないと筆者は考えている)があるのだから、介護現場や医療現場で働くことができるようにすれば、貴重な福祉人材が他の業界に流出してしまうことを避けることができるのではないか、と考える。人口減少下での資格取得要件や手続きを含め、資格のあり方も考えていかなければならないだろう。
さらに、地域共生社会を「全世代型の地域包括ケアシステム」のための施策として考えた時、ただ「福祉の世界」での議論にとどめることは、この施策の効果を半分以下にしてしまうのではないかと筆者は考える。
特に、福祉と「医療」、そして福祉と「就労」との絡みを意識して、議論をしていかなければならないと常々思っている。
まず、医療との絡みについてである。地域共生社会の目指すところは、「全世代型の地域包括ケアシステム」であるが、これは「全世代型」という冠はつけども、地域包括ケアシステムなのであるから、当然、医療との接合があってしかるべきである。
特に「退院する」ということについては、転院や施設への入所であったとしても、その人に必要な医療提供のあり方とセットで、認識された福祉的課題をどう解決に導くかを考えて、次のサービスにつなげなければならない(所得の問題などは支払いにも直結するので、関わる医療機関などのサービス提供者としても、よりシリアスに解決しなければならない課題になるだろう)。
そうした部分で、医療と介護の連動にとどまらず、医療と福祉との連動について、議論を重ねていく必要がある。
次に、筆者の強い思いとしては、「働くこと」との絡みについてである(この場合の「働くこと」とは、正規職員・非正規職員への就労というものもあるが、この他、〔雇用契約の有無にかかわらず〕様々な形で働いていくことを含めたものである)。
生きがいを感じて暮らすことを可能にする非常に大切な要素として、「働くこと」がある。「働くこと」は、仕事を通して人と自然な形でコミュニケーションを取ることができるものであり、そのコミュニケーションを通して、働く環境下でその世界での自らの立ち位置を作ることができるという、人が生きていく上で非常に大切な要素である(所得を得るという意味で大切ということもあるが、人や社会との接合においても非常に大切な要素である)。
わかりやすく言えば、定年前のお父さんは、会社という組織の中で仕事があり、それを果たす中で、様々な人たち(上司や部下、取引先の人など)と関係を築いていき、その関係の中で、自らの居場所を作り出す。しかし、定年になって仕事を辞めると、とたんに、その関係がなくなり、結果、自らの居場所がなくなる。
じつのところ、これは何も、高齢者に限った話ではなく、何らかの課題を抱えて仕事から離れた人が、一定の高確率で抱える課題である。
こうした時に、地域共生社会の中で、課題を抱えていた場合、いち早くその課題を察知し、様々な支援に結びつけるという過程で、課題を抱えていても働くことができる仕組みというものにつなげていくことができるのであれば、社会からの孤立という大きな課題に対する1つの解決方策にもなると考えられる。
「働くことに結びつける」ということは、社会とのつながりを作ることになり、福祉施策で重要視する孤立防止という意味でも大切なものである。個々の福祉分野ごとに制度を設けるのではなく、いかなる福祉的課題を抱えていても働くことにつながる仕掛けというものを、労働行政も含めて考えていく必要がある。
「自分らしく生きて死ぬ」ことがなぜ、難しいのか
野村晋/著
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