akane
2018/02/21
akane
2018/02/21
一般的に歴史の授業は原始・古代から始まるため、近現代史に時間を割きづらい。中には途中で終わってしまう先生もいる。そのくせ大人になると“近現代史こそ役に立つし、知っておきたかった!”と感じる場面が多いものだ。
「それって、逆から学べば解決するんです」
と話すのは今話題の書籍『日本史は逆から学べ』(光文社知恵の森文庫)の著者で、歴史作家の河合敦先生だ。河合先生は昨年まで27年間高校で教鞭をとっていた日本史の教師でもある。先生、大人世代向けに分かりやすく、近現代史を教えて下さい!
「では書籍同様に『どうしてそうなったんだ?』という問いを重ねて、近現代から幕末あたりまで、時系列を逆順に辿ってみましょう。かなり大まかになりますが、その分、出来事の理由と流れは、はっきり見えてきますよ」(河合敦先生/以下同)
さっそく、よろしくお願いします!
■なぜ日本は短期間で、敗戦国から経済大国になれたのか?
「2020年に日本は二度目の夏季オリンピックを開催しますが、最初の東京オリンピックは1964年に開催されました。45年の敗戦から20年足らずのことです。さらにその4年後(68年)には国民総生産が世界第2位(資本主義国のみ)にまで躍進します。これってすごいことなんですよ!だって太平洋戦争で壊滅的な打撃を受けたのに、こんなに短期間で見事な復興と飛躍的な発展を遂げたのですから。ではどうして日本はこんなに早く経済大国になれたのでしょうか?それはアメリカが戦後日本の経済成長を後押ししたからなんです」
■アメリカの方針転換で日本は急成長を遂げた
「アメリカは当初、日本が再び戦争を起こさぬよう弱体化させる方針で占領統治していました。けれど東西冷戦が激化すると、日本を西側(自由主義陣営)の防壁にしようと方針転換したんです。なぜ、アメリカが日本を統治していたのでしょう。それは皆さんもご存じ、日本が戦争でアメリカに負けたからですね。ではなぜそもそも、日本はアメリカと戦争を始めることになったんでしょうか?圧倒的な戦力差があるのに、不思議ですよね?」
■なぜ日本は、アメリカと戦争をしたのか?
「実は、それ以前から続いていた日中戦争が関係しています。日中戦争は泥沼化しており、これを打破するため日本は最終的に中国を応援するアメリカとの戦争に踏み切ったんです。じゃあ何で日中戦争を始めてしまったのかといえば、当時の日本国民の多くが中国で軍事行動を進める軍部(関東軍など)を支持したから。ではなぜ国民は、軍部を支持したのか? それは、政権を担っていた政党に失望したから。なぜなら政党は、長く続く不景気に効果的な政策をとれない上、汚職をくりかえしていたからです」
■江戸幕府への反動で藩閥政治が生まれ、その反動で政党政治が生まれた
「経済政策で失敗し国民の支持を失った政党政治ですが、そもそも政党政治も国民が望んだことなんです。その前まで保守的な薩長の藩閥政治が続いていて、国民は、自分たちが選挙で選んだ代表でつくる政党が政治を行うことを強く求めたんです。じゃあそもそも藩閥政治はどうして生まれたのか。それは天保の改革に失敗した徳川幕府がアメリカなど列強諸国からの開国の圧力を受け、その権力がゆらぐところから始まります。他方で薩長は改革に成功して雄藩となり、朝廷を中心とする欧米のような近代国家を目指すようになります。こうして倒幕の流れが生まれ、ついに幕府は瓦解。新たに誕生した新政府で、薩長閥による政治がおこなわれることになるわけです」
■大人は推理小説を読むように、歴史の流れを読んでいこう
「非常に大まかですが、幕末から現在までこのような流れで歴史はつながっているのです」
なるほど。教科書では複雑だった印象の幕末から近現代だが、逆から読むほうがシンプルに流れが掴めそうだ。
「このように歴史的事件やことがらの原因や因果関係を改めてたどっていくと、実はみなさんはいくつかのパターンに気づくはずです。一つは日本という国が常に外国からの働きかけや影響を受けて大きな変化を遂げているということです。さらにもう一つ、一つ前の政治手法の反動が次の政治を生み出しているということ。これについては、とくに江戸時代がわかりやすいですね。享保の改革→田沼政治→寛政の改革→大御所政治→天保の改革。いずれにせよこのように逆から読むと、今私たちが生きている時代と教科書で学んだ歴史がしっかりとつながっていると実感もできます。特に大人世代なら逆から読むことで、時系列に沿って学んだ学生時代とはまた違った気づきがあるかもしれませんよ」
秋の夜長、“逆から”日本史を読むのも一興かもしれない。
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