約束は、雨と共に流れてしまう――アジアに降る雨(2)
下川裕治「アジア」のある場所

BW_machida

2020/11/27

コロナ禍で海外旅行に出られない日々が続きます。忙しない日常の中で「アジアが足りない」と感じる方へ、ゆるゆる、のんびり、ときに騒がしいあの旅の感じをまた味わいたい方へ、香港、台湾、中国や東南アジアの国々などを旅してきた作家の下川裕治が、日本にいながらアジアを感じられる場所や物を紹介します。

 

写真/中田浩資

 

 バンコクの雨季。スコールは激しい。路上にはあっという間に水が溜まり、ときに川のようになる。その雨脚が気候変動で変わったわけではない。バンコクにビルが林立し、近代的な街並みになっても、雨は同じように降り注ぐ。
 かつてバンコクの人たちは、この雨に抗うことをしなかった。僕もそんなバンコクの流儀に倣っていた。
 激しいスコールがくると、近くの商店の軒先で雨宿りを決め込んだ。バンコクの中心街で雨に遭うと、そこには3、4人のタイ人が雨を避けるように立っていた。皆、手には傘を持っていたが、折り畳み式の雨傘ではその雨脚をしのげないことを知っていた。
 スコールは1時間から1時間半は続く。皆、空が明るくなり、雨が弱くなるのを待ち続ける。そのメンバーは知らない人ばかりだったが、妙な連帯感が生まれる。
 約束がある人が多いはずだった。そうでなければ、バンコクのオフィス街にはやってこない。いや、近くの会社に勤めている人もいたかもしれない。しかし全員、激しい雨が弱くなるのを待っている。
 時計を見る。約束の時間は過ぎてしまった。携帯電話もない時代だった。
「雨がひどくて……」
 と伝えることもできなかった。時間は刻々とすぎていく。僕は日本人だから、若干の罪悪感はある。
 しかしスコールである。
 その日の約束は、雨と一緒に消えてしまうことがわかっていた。
 雨は約束を流してしまうのだ。
 しかしいま、バンコクに住むタイ人のなかには、篠突く雨のなかを、傘をすぼめて歩いている人がいる。僕もなんとか約束の時刻に遅れないようあれこれ思いをめぐらす。
 いつ頃からだろうか。バンコクの人たちが雨に抗うようになったのは……。

 

写真/中田浩資

 

 15年ほど前、バンコクのフリーペーパーにエッセイの連載をもっていた。10年ほど前に廃刊になってしまったが。
 そのなかで、約束を流してしまうバンコクのスコールの話を書いた。原稿を送ると、担当編集者のKさんから電話がかかってきた。
「ありがとうございます。雨は流してしまうんですね」
 その話しぶりが少し気になった。
 当時のバンコクはフリーペーパー全盛期だった。バンコクに住む日本人は数万人だったと思うが、そこに20紙を超えるフリーペーパーがひしめいていた。多くが隔週刊か月刊だった。社長は別の事業をてがけている人が多く、「フリーペーパーは儲かる」という話に肩を揺らした人が多かった。編集スタッフはだいたいふたり。女性が多かった。彼女らは紙面づくりと同時に、広告営業にも靴底を減らした。フリーペーパーは広告が収入源だった。
 フリーペーパーを立ちあげようとする会社は、日本の求人誌でスタッフを募った。給料は10万円程度だったように思う。日本では厳しい金額だが、バンコクでは人並み以上の生活が保障された。
 それを知っている日本人が簡単にみつかったという。バンコクで働くというより、バンコクに暮らしたい人が多かった。日本ではフリーランスのライターや編集の仕事をしていた人が多かった。
 Kさんもそのひとりだった。バンコクで働きはじめて2年ほどがたっていた。
 社長は出版の世界には縁がない人が多く、ただ儲かればいいというタイプが多かった。僕が原稿を書いていたフリーペーパーの社長は酒好きで、毎月のように飲み会があった。
 その日もスクムビット通りにある居酒屋に呼ばれた。そこでKさんの同僚の女性から、Kさんが鬱を患っていることを知らされた。
 その席でKさんと少し話をした。
「雨が流してしまうって話、よかったです。リセットすればいいんですよね。なにか救われました」
 Kさんは少し酔っていたのかもしれない。

 

写真/中田浩資

 

 5年ほど前、この原稿の話を再び耳にすることになる。知人のOさんは、日本で旅行会社を営んでいた。友人との共同経営だった。働きすぎたのだろうか。離婚も経験した。その後、鬱を発症してしまう。バックパッカーだった頃、その拠点はバンコクだった。あの時代に戻りたい……という思いがあったのだろうか。バンコクに移り住んだ。そこで病状は一気に改善に向かう。バンコクのホテルに就職した。バンコクに行くたびにOさんとは会っていた。
「日本人向けにフリーペーパーを置く場所がうちのホテルにあるんですよ。そこで下川さんが昔書いた原稿、読みました。雨が約束を流してしまうって話。あの話、よかったなぁ」
 コーヒーを飲みながらOさんはそういった。
 鬱を呼ぶ原稿というものがあるのだろうか。鬱を患った人に好まれる原稿……。
 雨が約束を流してしまう話は、タイらしいエーテルをもっていた。約束の時刻の5分前には到着するように会社で教育された日本人にはそそられる因子を含んでいた。そして一時、鬱はすっと消えていく。雨に流してしまえばいいんだ……と。

 

 しかし耐えることが苦手なタイ人のように、この話には持続性がない。Kさんはそれから1年ほどバンコクで働いていたが、結局、日本に戻った。Oさんはバンコクで交通事故に遭い、それがきっかけで帰国。鬱は進行している。スコールが1時間半ほどで終わるように、雨が教えてくれる蠱惑の時間は1年ほどで終わる。
 しかしあの頃、雨がすべてを流してしまう話に反応する日本人たちがいた。それはいとおしい時代でもあった。

 

「アジア」のある場所

下川裕治(しもかわゆうじ)

1954年松本市生まれ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『世界最悪の鉄道旅行』(新潮文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)、「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日新聞出版)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)など著書多数。
YouTube下川裕治のアジアチャンネル

<撮影・動画協力>
阿部稔哉(あべ としや)
1965年岩手県生まれ。フォトグラファー。東京綜合写真専門学校卒業後、「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーに。

中田 浩資(なかた ひろし)
1975年、徳島市生まれ。フォトグラファー。97年、渡中。ロイター通信社北京支局にて報道写真に携わる。2004年よりフリー。旅行写真を中心に雑誌、書籍等で活動中。
https://www.nakata-photo.jp/
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