ryomiyagi
2020/11/13
ryomiyagi
2020/11/13
アジアに行くと、頻繁にバイクに乗る。正確にいうと、バイクを運転するのではなく、バイクの後部座席に客として乗る。バイクタクシーである。
日本にはバイクタクシーがないから、バイクに乗ることはほとんどない。僕はバイクはもちろん、車の免許ももっていないから運転することもないからだ。
タイのバンコク。多い日には1日に3、4回はバイクタクシー乗る。しかし何回乗っても、バイクというものには慣れない。やはり怖い。渋滞で停まってしまった車の間をすり抜けるときや、長い距離を乗った後は、ヘルメットをはずして運転手に渡しながら、ふーッと肩の力を抜く。
「今日も事故に遭わずにすんだ……」
やはり性に合わないのだと思う。
しかしバイクタクシーに乗らざるをえない。アジアの大都市はどこも渋滞が激しい。約束の時刻までに現地に着こうと思うと、どうしてもバイクタクシーになってしまうのだ。とくにタイのバンコクでは。
僕にとってバンコクは、旅というより仕事をする街という感覚が強い。いまはコロナ禍でバンコクに行くこともできないが、それまでは月に1回の割合で滞在していた。バンコクでは講座をもっている。決まった時刻に受講生が集まってくる。講師が遅れるわけにはいかない。となると、頼りはバイクタクシーになってしまうのだ。
僕のバンコクでの日々は、バイクタクシーがなければ成り立たないようなところがある。
しかしバイクタクシーには、ひとつの弱点がある。
雨である。
スコールである。
突然の雨に備え、僕はいつも、鞄のなかに雨カッパを忍ばせている。薄いビニール製のカッパだ。しかしその程度の雨具では、とても太刀打ちできないことも知っている。激しい雨に見舞われると、ズボンは膝から下がぐっしょりと濡れ、靴のなかにはたっぷりと水が溜まる。一応、頭まですっぽりカッパをかぶるのだが、バイクの風圧でフード部分は外れ、髪はずっぽりと濡れ、雨水がしたたり落ちる。雨は正面から顔に当たり、その水はシャツの間に流れ込んでいく。
スコールが街を襲ってもバンコクは暑い。ビニール製のカッパは通気性がなく、汗なのか雨なのかわからない水分が体にまとわりついてくる。
つまり、体は濡れネズミになってしまうのだ。激しいスコールに雨カッパは通用しない。ないよりはまし、といった程度だ。
ときに優しいバイクタクシーのドライバーもいる。
「ゆっくり走るから傘をさしなさい」
髪や顔が濡れることを防ぐには傘は効果的だ。しかし雨は風を従えているから、傘を広げることはできない。すぼめて、そのなかにすっぽりと頭を入れる。こうすると前が見えなくなる。バイクの後部座席ではバランスがとりにくくなる。ときに傘は風に煽られ、左右に揺れる。
なにをしても南国のスコールには歯が立たないのだ。
バンコクの気候に慣れてくると、スコールの予感を肌で感じるようになる。雲の動きからも察知できる。それはちょうど午後2時から3時頃だ。そして夕方に用事があるとき、空を見あげなから呟くことになる。
「どうしようか……」
バイクタクシーを避けた選択肢は多くない。スコールに見舞われたバンコクでは大渋滞が起きる。タクシーに乗れば濡れることはないが、約束の時間には着くことは難しい。タクシーの運転手は、稼ぎどきとばかりに手ぐすねを引き、運賃メーターを使わなくなる。交渉性という、昔のバンコクのタクシーに時計が逆まわりする。
残された方法はひとつ。BTSという高架電車や地下鉄駅まで傘を手に歩くことだ。そうすれば、約束の時刻や、講座に間に合う。
スコールの予感のなか、駅への道を歩きはじめる。
スコールのはじまりは不穏だ。急に風が強くなる。それまで木々や軒下で休んでいた鳥が空を舞いはじめる。雲は一気に明度を失っていく。そのなかを駅へ急ぐ。
ふと屋台に目が留まる。彼らはスコールへの不安などどこ吹く風といった素振りで、客の注文を受け、湯に麺を入れている。
そう、タイ人は急がない。子どもの頃から、もう数えきれないほどスコールの雨に洗われてきたはずだ。雨がくることはわかっている。しかし事前に、ビニールシートをかけるようなことはしない。その光景を目にしながら、足が止まってしまう。
昔、スコールがきたら、軒下で雨宿りをすればよかった。そこで雨があがるまで1時間ほど待てばよかった。約束は雨で洗い流されてしまう。それがタイの暮らしだった。
いつ頃からだろうか。
僕はスコールに見舞われても、約束の時刻を守るようになっていた。多くのタイ人が遅れる理由を雨に押しつけることをしなくなった。雨は約束を流してくれないものになってしまった。
その時期を思い出せないまま、僕は駅に向かって歩きはじめる。(次回につづく)
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