死にたい気持ちがスッと消える街絶望の淵からたどり着いたバンコク
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バンコク、ホーチミンシティ、シェムリアップ……。ときに孤独でも、騙されても、この街にいると心が楽になる。旅をすることで救われ、やっと心が自由になった。人生の答えを求めアジアで暮らす人たちの、心温まるストーリー。『新版「生きづらい日本人」を捨てる』第4話から一部をピックアップ!

 

死ぬつもりでカオサンへ

 

バンコクのカオサンに、トラベラーズロッジというゲストハウスがある。一時期、この宿は、カオサンにある日本人宿のなかでいちばんの人気を集めていた。そこで慶子さん(仮名)という29歳の女性と会った。色白のぽっちゃりとした顔立ちをしていた。

 

「私、自殺願望があるんです。でもタイに来ると死ねないんです」

 

周りではこの食堂に集まった連中の話し声が渦巻いていた。そのなかで慶子さんは、まるで自己紹介をするかのように自殺を口にした。僕はなんと受け答えればいいのかと、しばし考え込んでしまった。

 

カオサンではときどき、思い出したように自殺が起きる。僕がここを訪ねる少し前にもひとりの日本人が自殺した。若い女性だったが、たまたま彼女とメールのやりとりをしていた男性からその話を聞いた。

 

仏教文化、高層ビル街、そして昔ながらの下町。それらが入り混じるバンコクという街(写真/下川裕治)

 

カオサンの外こもり組は、カオサンで死んでいった何人かの日本人を知っていた。自殺した人もいれば、日本に戻る飛行機に乗るために空港に向かうバスのなかで息を引きとった旅行者もいた。

 

数からすればそう多くない気がする。むしろカオサンは、どこか生きるエネルギーが減少してしまったような、どこかで自殺を考えたことがあるようなタイプを引きつけてしまうようなところがある。

 

鬱に代表される心の病は、タイや沖縄などのアバウトな南の国に行くと改善されるような気になるといわれる。僕の周りにもそういう人は多い。ほとんどが仕事が原因で、精神に変調をきたしてしまったタイプだ。

 

「タイへ行って1カ月ほどぶらぶらしていたら、すっかり元気になりましたよ」

 

そんな報告を受けることがある。

 

息苦しくなったら、顔を出して泳げばいい

 

僕は若い頃からアジアに通ってきた。東京での仕事に疲れ、重い体を引きずるようにしてタイのバンコクに向かう飛行機に乗る。バンコクは決して清潔な街ではなく、喧噪が渦巻く都会だが、そこに飛行機が着き、安宿の日々がすぎていくと、体がなんとなく軽くなっていくのがわかった。

 

僕はそうして、20代から30代の間の心の均衡を保ってきた気がする。

 

一度、ひとりのタイ人が東京にやってきた。僕の家に遊びに来て、当時、小学生だった娘が通っていた水泳教室を一緒に見にいくことになった。

 

プールサイドから見ていると、まだ幼い娘が、先生にクロールの息継ぎの方法を習っていた。それを見ていたタイ人の知人がぽつりとこういうのだった。

 

「どうして息継ぎ方法を小学生から習うの?苦しかったら顔を出して泳げばいいじゃない」

 

大変なことはできるだけ避けようとするのがタイ人の発想である。僕はそういう彼を見ながら、つまりはそういうことなのかもしれないと思ったものだった。

 

日本人は息の吸い方がうまくできずに悶々と悩み、その挙げ句、心の均衡を欠いてしまうような民族なのだ。

 

死ぬつもりでバンコクに、カオサンに流れ着いたという日本人は、しだいに元気をとり戻していく。しかしそれは、タイという国が演出してくれる劇に躍っているのにすぎない。

 

どこかやっていけそうな気になって日本に帰ったとしても、待ち構えているのは、自分自身を心の均衡を狂わせ、弾き出そうとした不寛容な社会なのだ。

 

以上、下川裕治氏の近刊『新版「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の杜文庫)から再構成しました。(つづきは本書で)

 

下川裕治
1954年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経て独立。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)で作家デビュー。以降、アジアや沖縄をメインフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。

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