2,000軒の売春宿が摘発されゴーストタウンになった結果【書籍発売記念特別公開】丸山ゴンザレス
丸山ゴンザレス『世界の危険思想~ヤバイ奴らの頭の中~』

殺人犯、殺し屋、強盗、武器商人、マフィア……。世界には、様々な「悪いやつら」が確かに存在する。仕事だから作業のように人を殺す。縄張りに入った奴はすべて排除する。一般的に言われる「常識」とは相容れない生活を続ける彼らの頭の中とは、一体どうなっているのだろうか? そんな疑問に、日本や海外の裏社会、スラム街などの危険地帯を10年以上取材し続けてきたジャーナリスト・丸山ゴンザレス氏が迫ってきた当サイトでの連載が、さらに新たな「危険思想」エピソードを加え、光文社新書『世界の危険思想~悪いやつらの頭の中~』として2019年5月に出版されました! それを記念して、加筆部分の一部を特別公開。まだ私たちの知らない世界との出会いがここにあります。

 

 

牛用ステロイドと売春婦

 

後味の悪い話だったが、もう少しこのトーンにお付き合いいただきたい。世界中を旅して取材していると売春にまつわる悲惨な話を耳にすることは多い。以前、世界一危険な仕事といわれる、バングラデシュにある「船の墓場」と呼ばれる船の解体所を訪れた。その際に訪問することがかなわなかった場所がある。それが売春宿だった。

 

バングラデシュの男が一般的に好むとされる性癖がある。それは豊満な女性である。

 

だが、売春宿で働いている女たちは、病気や貧しさなど様々な事情から痩せていることも珍しくない。そんな非人道的な状況が許されるはずがないと思うのだが、現実はもっとむごたらしい。

 

バングラデシュでは、売春そのものを政府が公認しているために、全体的に取り締まりがゆるいとされているのだ。なかには、児童買春を生業とするために、人身売買に手を出す業者もいるほどだ。

 

リクルートスタイルが非人道的だとしても、働くことになった以上は逃れられないため、女性たちは客をとるしかない。それも男たちの気を惹くために驚くべき手段をとるのだ。

 

オラデクソンという薬品を知っているだろうか? ほとんどの方は聞いたこともないだろう。それもそのはずで、ステロイドなのである。それも牛用のものなので、獣医か酪農家でないと耳にすることもないだろう。

 

彼女たちは、そんな牛用ステロイド剤を摂取し、太って豊満な体にするのだ。この話を聞いたときに、この世の地獄のひとつかもしれないと思った。

 

男の性癖のために肉体を改造して、薬の副作用や性病によって人生を奪われていく。それも若いというか、ほとんど子どものような女の子たちがである。

 

彼女たちは、様々な理由があって売春宿で働いている。貧困、離婚、人身売買……。どんな理由であれ、そこにしか居場所がない人たちがいるという現実を知ったのは、20歳のときだった。

 

バングラデシュの隣国、インドを旅しているときだった。仲良くなった地元の若者たちと昼間から酒を飲んでいたら、「女に興味はないか?」と問われたのだ。

 

インドの売春街といえば、コルカタのソナガチなど、いくつか有名なところもあるが、当時滞在していたのは田舎で大して大きな街でもなかった。世界遺産でもある性をモチーフにした雄大なレリーフで有名なカジュラホに近いだけの街だった。大都市に風俗街があるのは年若い自分でも予想ができたが、こんな辺鄙な場所にもあるのかと驚いた。

 

飲酒運転という概念すらないであろう若者の運転するバイクに乗って、村からかなり離れた場所まで連れてこられた。そこには土壁の家と呼べないようなボロ屋があった。

 

「ここだ」と言われて近寄ると、玄関っぽい場所の横にあるかまどにうずくまるようにして火を起こしている人がいた。年齢はわからない。性別はサリーっぽい衣装から女だとわかる。

 

真っ黒に日焼けしていて、生活の苦労が顔のシワに刻まれている。

 

もしかしたら若いのかもしれないが、やっぱり老婆なのかもしれない。でもたしかめる勇気はない。

 

「女ってどこ?」

 

この建物の中に若い子でもいたらいいなと期待して聞いた。

 

「そこにいるだろ」

 

無慈悲な返事に心が折れた。ここに来たのは性欲じゃなくて好奇心からだった。その欲求はすでに満たされていた。彼女は売春を生業とするカーストに所属していると説明された。

 

つまり、抱かれることが彼女のこの村での存在意義、生きる理由となっている。この場所で訪れる男たちの性を受け続ける生活がどれほど辛いのか。そのことを考えてみたが、想像が追いつくものではなかった。

 

このときには、ただ後味の悪さだけを噛み締めて立ち去ることしかできなかった。そして、何もする必要がなかった。それでも忘れられない記憶として私の心に刻まれていたのだ。

 

美しいことは金を生む才能

 

のちに東南アジアの風俗産業で働く女性からこう言われた、

 

「ここでの生活以外を知らない」

 

そのときに先述したインドでのことを思い出した。

 

カーストのように歴史とともに売春が存在するということは、それだけ性にまつわるシステムがはるか昔から存在していたということなのだ。その意味を考えるとものすごく重くのしかかってくる。

 

私の記憶を呼び覚ましてくれたのは、インドネシアの風俗店で働いていた女の子だった。

 

友達と一緒に訪れたお店で知り合った彼女は、スラムの出身のようだった。多くは語らなかったが、生活のために働いているのはすぐに察した。

 

お酒を飲みながら、少し世間話という感じで聞いてみると10 代の前半から風俗店で働いていたという。そのことを話す彼女の顔がとても美しい。

 

「この国では、貧しい家に生まれた女の子が美しいというのは、貧困から抜け出せる才能なんです」

 

同席していた友達が言った。それはほかの国で出会った女の子たちにも共通していることだと思った。美人という才能は、神様のギフトである。生まれ持った才能をどう活かすのか。

 

貧困層ならば必要なお金を稼ぐために水商売や風俗にいくことだ。日銭どころか、人気になれば金持ちの愛人になれるかもしれない。

 

そんな金を生む才能を眠らせてしまうのはもったいないと、本人だけでなく家族も考えるのだ。だから、美しい女の子は子どもの頃から大事にされて、少し大きな子ども、10代の半ばになろうかという頃から夜の世界に働きに出るのだ。

 

東アジア最大の売春街の成れの果て

 

男の性欲や性癖というのが悪であるようにとる人もいるかもしれない。

 

たしかにここまで紹介したように、純然たる悪のようにも思える部分もあるが、需要と供給が釣り合っているということも珍しくない。むしろ、世界中の売春産業は、人身売買など強要されていなければ、そういったバランスで成り立っているのがほとんどだ。

 

それでも、「正しい」わけではないため、現在では多くの国で風俗産業の取り締まりが起きている。その代表的な場所である、インドネシアのスラバヤを取材したことがある。

 

2013年当時、東アジアで最大規模の売春街と呼ばれるドリーがあったからだ。その店舗の数は2000軒ともいわれていたが、私が訪れたときには完全なるゴーストタウンとなっていた。その理由は行政の取り締まりである。

 

就任した市長の公約が売春街の閉鎖で、その公約がきちんと守られたのだ。政治家と市民の間にある約束事としては、至極当然の流れである。多くの市民は歓迎したことだろう。

 

こうして誕生したのが空き家が立ち並ぶゴーストタウンであることは、先ほど指摘した通りだ。そう思って街を歩いてみると別の建物も目に入る。

 

服屋、女性用のヘアサロン、ネイルサロン、飲み屋など……夜の街に付随していた産業である。色街にはこうしたぶら下がり産業があることは無視できない。

 

そういった産業に従事する人たちにも選挙権はあるし、政治家も無視したわけではないだろう。ただ、取り締まりに賛成するほうが多かったということなのだ。実際、市長が当選したのは何よりの証拠というべきか。

 

市民の正直な声は、色街で生きる人々を確実に追い詰めていた。

 

私が取材したときには、元娼婦たちを受け入れる洋裁の技術学校のようなものがつくられていた。仮に職を失った人々が新たな技術を身につけたとして、数百人の裁縫職人を一気に受け入れることなどできるのだろうかと思った。

 

まとまった規模の売春街の閉鎖というのは、全世界的な流れで起きている。それらがこれからの流れだとしたら、セックス産業に従事してきた人や、ぶら下がり産業で食ってきた人たちも含めて受け皿をつくらないと、大きな混乱を生み、貧富の差の拡大を後押しすることにもなりかねない。

 

それは各国政府だってわかっているだろうが、いまいち真剣に取り組んでいるようには見えない。そこにはどうしてもセックス産業に従事してきた人たちへの少なからぬ差別意識のようなものを感じてしまう。こうした感覚を覚えるたびに、偏見に至るような考え方こそが危険だと思ってしまうのだ。

世界危険思想

丸山ゴンザレス(まるやま・ごんざれす)

1977年、宮城県生まれ。考古学者崩れのジャーナリスト・編集者。無職、日雇労働、出版社勤務を経て、独立。著書に『アジア「罰当たり」旅行』(彩図社)、『世界の混沌を歩くダークツーリスト』(講談社)などがある。人気番組「クレイジージャーニー」(TBS系)に危険地帯ジャーナリストとして出演中。
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