akane
2019/08/05
akane
2019/08/05
アテネから2時間飛んで、イスタンブールへ。
駅から100メートルほど歩いたところで、一人の男性がレストランへ案内してくれた。メニューを見ると、どの料理も500~800円くらい。トルコの物価は良心的だ。
ところがお会計をしようとすると、金額がおかしいことに気づく。明らかに倍くらい値段が高い。
あぁ、これはヤラレタ。でも、しっかり値段を記憶していた自分は意見した。
「最初見せてくれたメニューの金額とは違うよね?」
そうするとお店のおじちゃんが、メニューを持って来た。そこにはあたかも、最初からその金額だと言わんばかりの改ざんされた金額で全てのメニューが表示されていた。他にも何冊かメニューを持ってきたが、すべて、最初に見せられたメニューの倍くらいの値段で表示されていた。
うーむ、気を抜いてはいかんな。
実はイスタンブールではほとんど観光ができなかった。お尻に褥瘡(じょくそう)ができかけていたからだ。
褥瘡とは簡単にいうと、車椅子に乗っている時間が長過ぎたりすると、車椅子に接触している体の一部分の血流が悪くなって傷になったりただれたりする現象。一度傷になってしまうと、治るのには非常に長く時間を要する。
かさぶたになっているお尻を見ながら、なるべく横になって負荷をかけないように過ごしていた。よって、観光は後回し、だがご飯は大量に食べないと皮膚に栄養がいかないのでステーキやパスタ、チーズや卵を食べまくった。体が何より大事だ。
デリー・インディラ・ガンディー空港に到着。外に出てMERUという先払いタイプのタクシーに乗る。さほど感じの悪いドライバーではなかったが、ホテルに到着し、すでに約1000円を先払いしたにもかかわらず、同額を請求された。
嘘やボッタクリは、インドでの挨拶のようなものなのか。
インド滞在2日目、ニューデリー駅から長距離列車に乗って、ヒンドゥー教徒にとっての聖地バラナシへ向かう。
これがまたキツかった。列車にはスロープや昇降機の類はなく、かつ入り口の幅も狭いため、車椅子をいったん外に置きっぱなしにしなければならない。男性二人に両脇と膝の裏を抱えられて、ようやく車内へ。
寝台特急の部屋は2等室。3畳ほどのスペースに2段ベッドが二つ。座席兼ベッドには薄いマットレスが1枚敷かれてあるだけで、異常な硬さだった。まるで木の板の上に寝ている錯覚さえ覚えた。
車内では昼夜を問わず、食べ物やチャイを売るために、売り子たちが騒がしく往復している。全身の痛みと騒音で、何度起きたか記憶にない。
14時間の電車旅が終わって駅から出るが、タクシーが見当たらなかったので、オートリクシャーに乗る。
運転は荒い上に、道もボコボコ。乗り心地はすこぶる悪い。尻がまた悲鳴を上げる。姿勢を整えるために必死で車体につかまっていたため、肩と腕がパンパンになりながらホテルへ到着。聖なるガンジス川へ向かう。
ホテルのフロントでタクシーをチャーターしたが、「来ない」という一言を受け、またしてもオートリクシャーで移動。
つくづく「来ない」が許される国だ。
バイク、クルマ、リクシャーが狭い道路を縦横無尽に行き交う。その狭い空間にウシ、ブタ、イヌ、トリ、ヤギ、ヒトが混ざって、誰がどうみても異空間。
その中でも牛はインドでは神聖な存在なため、道路を我が物顔で歩く。普段道を譲られることのほうが多い僕が、思わず道を譲ってしまう。
道行く人も、だいぶパンチが効いている。顔面全体を真っ白にフルペイントしたガリガリのおじいちゃんが、ふらふらとこちらに向かって歩いてきた。確実にイっちゃっている。
なんなんだこの国。好きになる要素が一つもないよ。
インドは正直キツかった。カルチャーショックもだが、何より大気汚染や水や食べ物の衛生状態にかなり悩まされた。もちろんバリアフリーも整っていないところがほとんど。
当分行きたくないというのが正直な気持ちだけれど、インドという国に来て日本の有り難さを痛感し、大きな気づきを与えてくれた。
以上、『No Rain,No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』(光文社)から一部抜粋しました。
三代達也(みよ・たつや)
1988年茨城県出身。18歳の頃バイク事故で首の骨を折り頸髄を損傷、車椅子生活を余儀なくされる。2008年、約9ヶ月間23カ国42都市以上を回り、世界一周達成。車椅子だから“こそ”の旅の魅力を全国で講演している。
公式ブログ http://wheelchair-worldtrip.com/
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