akane
2019/07/29
akane
2019/07/29
2006年12月、18歳のときに、事故は突然に起きた。
ガソリンスタンドのバイトからの帰り道をいつものようにバイクで走っていたら、気がつくと目の前に車がいて、そのまま吹っ飛ばされて意識を失った。
気がついたら地面にうつぶせの状態で倒れていた。どれだけ吹っ飛んだのか、周りを見回そうにも体が1ミリも動いてくれない。
奇跡的に車で通りかかった姉のおかげで、僕はすぐに救急病院に搬送された。
12時間後、手術は無事成功した。
術後は悲惨なものだった。コンタクトレンズは目の中で割れ、前歯は折れ、顔面は傷だらけ。右ふくらはぎは半分以上ちぎれていたらしく、生々しく縫合跡が残った。
極めつきは自分に残った障害、頸髄損傷(けいずいそんしょう)。首の骨が折れ、脊髄が損傷し脳からの信号が首から下に行き渡らなくなる障害だ。
「あなたは生涯をベッド上で過ごすことになる、運が良くて車椅子に乗れるかもしれない」
医者のことばに、涙ひとつ出なかった。
それから、地獄の日々が始まった。1年以上リハビリを続けたが、車椅子を手放すことはできなかった。
リハビリ施設で同室だったAさんに促され、それでもなんとか東京で一人暮らしを始めた。
しかし、友達もほとんどいないこの大都会東京に馴染むことができなかった僕は、気がつくとパソコンの前で、一日中動画サイトで暇を潰していた。
僕はほどよく引きこもりだったのだ。
それでも、人からの勧めでとある会社に就職し、会社員となった。
「三代君、海外旅行とか行ってみたら?」
同僚と夏休みの話になった時に、こう言われた。僕は瞬時に思った。
いや、無理でしょ。
それでも、僕の頭の中からハワイというワードが離れなくなった。
その日の仕事の帰り道、近所のエイチ・アイ・エスに足を運んだ。
「車椅子1人なんですけど、ハワイって行けますか?」
「飛行機は車椅子でも乗れるの?」「英語話せないけど大丈夫かな?」
気がつくと、閉店時間まで話し続けていた。
かくして僕は人生初の海外旅行先をハワイに決めた。23歳、遅咲きの車椅子海外一人旅。
ハワイでは毎日、ただひたすらワイキキの街を歩いた。観光はほとんどせず、ただ歩いているだけで発見の連続だった。
歩道に段差がほとんどない。レストランやお店が車椅子でもストレスなく入れる。車椅子が入れるトイレがどこにでもある。なのにホテルのドア、重っ!! とか。
日本から一歩も出ることなく23年間生きてきて、当たり前だったことが、世界に出てみるとそうではないということに気づかされた。
車椅子の僕とすれ違う際にウインクしてくれる人が、今までいただろうか?
友達でもないのに「Hi」と話しかけられてハイタッチすることなんて、今まであっただろうか?
もっと外の世界を見てみたくなった僕は、その年のうちに会社を辞めた。
このハワイ旅行は、僕の車椅子単身世界一周の旅への序章となった。
以上、『No Rain,No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』(光文社)から一部抜粋しました。
三代達也(みよ・たつや)
1988年茨城県出身。18歳の頃バイク事故で首の骨を折り頸髄を損傷、車椅子生活を余儀なくされる。2008年、約9ヶ月間23カ国42都市以上を回り、世界一周達成。車椅子だから“こそ”の旅の魅力を全国で講演している。
公式ブログ http://wheelchair-worldtrip.com/
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