akane
2019/02/05
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2019/02/05
日本では土着の信仰である神道のほかに、朝鮮半島や中国から仏教がもたらされ、多くの聖地が生まれた。参拝客が絶えない「開かれた聖地」がある一方、「封印された聖地」もある。パワー・スポットとも呼ばれる聖地には、一体どんな秘密があるのか。その謎に迫る。
日本全国には、稲荷を祀る稲荷社が数多く存在し、その数は4万に達するとも言われている。稲荷神は農業神であるとともに、商売繁盛など現世利益を与えてくれるとされてきた。現実の生活に強く結びついている点が、稲荷社が多くの日本人の信仰を集めてきた原因である。
京都・伏見にある伏見稲荷大社は、稲荷信仰の中心である。
京都の市街地から近く、多くの初詣客を集めることでも知られている。社殿で参拝するだけなら、他の神社とは大きくは違わない。稲荷社特有の朱色の鳥居や、稲荷神の使者とされる狐が、一般の神社に見られる狛犬の代わりになっているのが目立つ程度である。
だが、伏見稲荷大社はもう一つ別の顔をもっている。
本殿の背後にある稲荷山に足を踏み入れてみると、そこには伏見稲荷でしか見られない特異な信仰の世界がくり広げられている。稲荷山に入ってこそ、稲荷信仰のもつ本当の意味を理解することができるとも言える。
重要なのは社殿ではなく、むしろ稲荷山のほうではないか。稲荷山を訪れたことがある人なら、そう感じるに違いない。
無限に続くかと思えるほど数の多い朱塗りの千本鳥居を通り抜けていき、やがて、「お塚」と呼ばれる石塔がところ狭しと祀られている光景が広がる。
お塚は、ちょうど墓石のように石を積み上げた壇の上に載せられている。その前には、石の鳥居や、やはり石でできた狐が祀られていて、灯した蝋燭が風で消えないようにする石造りの覆いなどもあった。狐には赤いよだれかけがかけられ、木製の小さな朱色の鳥居も奉納されている。
お塚が築かれるようになるのは、実は明治時代に入ってからのことである。
伏見稲荷大社では、断続的にお塚の数を調べているが、明治35年の時点では、633基とまだ少なかった。それが昭和7年には2254基に増えている。30年のあいだにおよそ3.6倍に増えたことになる。昭和42年には7762基となった。60数年のあいだに10倍以上に増えたことになる。断定はできないが、むしろ戦後に急増した可能性が考えられる。今では1万基を超えるとも言われている。
ではなぜ、明治に入ってからお塚の信仰は広がりを見せたのだろうか――(続きは本で)。
以上、『日本の8大聖地』(島田裕巳著、光文社知恵の森文庫)の内容を一部改変してお届けしました。
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