2019/01/04
るな 元書店員の書評ライター
『21世紀の民俗学』KADOKAWA
畑中章宏/著
私が生きるこの世界は、まるで全てが新しいもので出来ていると感じる。全ては今を生きる人間だけが作ってきたかのような。
歴史は歴史であって、それが只今現在とはどこか切り離されたもののように、あたかも自分には関係がないもののように思えてしかたがない。
だがそれは、地球の大きな命のうねりの中のその過程のほんの少しを分けてもらっているからなのだ。
「民俗学」というと、大抵の人は一体何をやっている学問なのか、説明に窮するだろう。民俗学の大家である柳田國男は「埋もれて一生終わるだろう人に関する知識を残す」のが民俗学だとした。
学問的に説明すると、「民俗文化を内側から明らかにしようとする学問」。
現代生活のなかに伝承される文化がいかに表現され、いかなる形で存在し、またどのように推移してきたかを同国人的、同時代人な感覚のなかで見きわめ、さらにそれぞれの理由を追及しようとすること、を指すそうだ。
例えば普段何気なく、ご飯を食べるときに「いただきます」と手を合わせることにだって文化があるように、私たち日本人に無意識下で働きかける所作や考え方一つ一つのルーツを探り、「なぜそうなのか?」と問う。
それらはまた、伝承や伝統とも切り離せないから、常に古臭いイメージがある。
しかし、21世紀の今日までは脈々と受け継がれているのも事実である。
そうした「現代の民俗学」が何なのか?を問いかけたのがこの本『21世紀の民俗学』である。
私が好きで時々読んでいたWIREDという雑誌で連載されていた同タイトルのコラムをまとめた本書は、デジタル化や合理性、利便性を追求する21世紀の中に、民俗学的要素を見出している。
一つ一つのコラムは短いながら、扱うテーマはかなり面白い。
・座敷わらしと自撮り棒
・ポケモンGOのフィールドワーク
・薬師如来とガルパンの聖地
・景観認知症、大震災の失せ物
……などなど。
どのテーマも面白いのだが、私は「すべての場所は事故物件である」と「ポケモンGOのフィールドワーク」が印象的だった。
賃貸マンションの事故物件を隈なく調べるサイト「大島てる」。私も引っ越す際にお世話になった。
引っ越しの時、最初は気にせず当時の会社に近くて便利な場所を選んだのだけど、そこがなんと「おばけマンション」だったのだ。生まれてこのかたそっちの世界とは縁のなかった私が引っ越し初夜から立て続けに金縛りにあった。
金縛りにあう前のなんとも言えない空気の歪みまで察知し始めた頃には、毎晩毎晩(目には見えない)いろんな人がやってきては去っていった。
しまいには昼寝している時も、おっさんが隣に腰掛けて一息つき「お前これ食べる?」と渡してきたものを取ろうとしたら、金縛り。おかっぱ頭の女性がベッドサイドに立ち、
差し出した三つ折りにした手紙を取ろうとしたら、金縛り。
でも結構慣れてしまって、結局契約満了まで4、5人と「同居」していた。
本書では、そうした事故物件の中にも民俗学を見出す。紹介されているのは、江戸時代に家につくおばけや妖怪を楽しみながら退治した青年の記録稲生物怪録。
これが引っ越した時の私そのものだった。笑
著者は、青年のような胆力がないと長続きしないだろうと書いていたから、私は胆力のある女なんだな!と嬉しくなった。危害さえ加えられなければ、なんのことはないです。
引っ越すときは、何かしら皆次の目的があり、夢や希望のようなものを抱えて家を出る。嫌な思い出はそこへ置いていく。目には見えないそれらの塊が、物の怪の形を借りて姿を現しているだけなのかも知れない。
一戸建てや新築マンションでない限り、そこには必ず人が住んでいて、泣いて笑って溜め息ついて、人が生きていたんだから。
すべての土地では遥か昔、誰かが病に倒れ、戦いに敗れ、その命を落としている。新しい場所などない。地球上のあらゆる場所は、すべて事故物件なのだ。
それらの死を踏みしめて、21世紀を私は生きているんだと、部屋を見渡して思った。
また、ポケモンGOの方はゲーム背景の中に、失われたその土地の原風景が盛り込まれているなどとは全く思いつかなかった。
ふと歩く道すがら見る工事現場や新しい建物。「はて、一体ここには何があったのかな?」と思い出そうとしてみてもわからないし、大災害が起こればそこは永遠に失われた場所になる。
東日本大震災で被災した人々はまず、写真を探したという。たしかに生きて、ここに在ったという証が、傷ついて、何もなくなった人の拠り所だったのだろう。
新しくまた街を作るときにも最新の街ではなく、そこかしこに昔の面影を残していく。そうやって何かを取り戻そうとする。ポケモンGO越しに探しているのは、ポケモンと生きてそこに在った何か。
ヒットの理由はVRだったからだけじゃない。キズは癒えても残り続ける傷跡のような、もっとずっと、深くて静かな理由がある。
民俗学は隣接の学問などではなく、 時代の底を走る見えない鉱脈を発見するためのサーチライトのようなものである
佐野眞一
民俗学とは、まさにこの言葉の通りじゃないだろうか。
市井の民俗学の形が、おぼろげながら見えるような本でした(とりあえず、今ものすごくポケモンGOをプレイしたい)。
『21世紀の民俗学』KADOKAWA
畑中章宏/著