一杯のそばから感じる、多民族ミャンマーの構図――高田馬場・ミャンマータウン(2)
下川裕治「アジア」のある場所

ryomiyagi

2021/03/12

コロナ禍で海外旅行に出られない日々が続きます。忙しない日常の中で「アジアが足りない」と感じる方へ、ゆるゆる、のんびり、ときに騒がしいあの旅の感じをまた味わいたい方へ、香港、台湾、中国や東南アジアの国々などを旅してきた作家の下川裕治が、日本にいながらアジアを感じられる場所や物を紹介します。

 

 ミャンマー……どうしても軍のクーデターに吸い寄せられていってしまうのがいまの状況だ。2月12日、軍は恩赦を発表し、約2万3000人の受刑者が釈放された。その夜、ヤンゴンではあちこちで不審火が起きた。住民は自警団をつくって警備にあたった。あるヤンゴン市民はこういった。
「軍は釈放された受刑者に不安を煽る行動をとるよう指示を出していた」
 2月12日はパンロン会議の記念日だった。
 パンロン会議──。1947年、ミャンマー北部のシャン州のパンロンで、その後のミャンマーの体制を決める会議が開かれた。中心にいたのは、アウンサンスーチーの父、アウンサン。そして各民族の代表。そこで連邦制という枠組みが決まっていく。しかしその5ヵ月後、アウンサンは暗殺されてしまう。
 そのパンロン近くから日本にやってきて、高田馬場に共同で料理店を開いたミャンマー人がいる。『ノングインレー』という店のサイミンゾウさんだ。彼はシャン族だから、この店はシャン料理の店だと僕は思っている。多くの人はミャンマー料理店という印象を受けるかもしれないが。そこでメニューを開く。タイ料理がかなり多い。ここはタイ料理店? そう考える人もいるかもしれない。
 高田馬場のそんな世界に分け入ってみようと思う。

 

ミャンマー、シャン州のチャイントン。Tung湖畔(写真/阿部稔哉)

 

 アウンサンの暗殺後、ミャンマーは迷走を続けることになるが、その要因のひとつが民族問題だった。ミャンマーにはビルマ族のほかに、主要の7民族がいる。シャン、ラカイン、カチン、カレン、カヤー、チン、モンである。実際はさらに細分化されていて、その数はミャンマー政府の発表では135を数える。ミャンマー軍、そしてアウンサンスーチーのNLD(国民民主同盟)は、ビルマ族が中心だ。今回のクーデターは、ビルマ族同士の政変と見る少数民族も少なくない。
 それぞれの民族の話になると大変なので、今回は『ノングインレー』。つまりシャン族……。
 シャン族が暮らすシャン州はタイの北側に広がっている。民族的にはタイ族に近い。タイはかつてシャムと呼ばれていたが、シャムの語源はシャンである。『ノングインレー』のメニューにタイ料理が多いのは、そんな理由があるのだ。シャン料理とタイ料理はかなりだぶっている。
 それは地政学的な重なりでもある。シャン族はミャンマーに属しているが、「ビルマ族とうまくいかなかったらタイとくっつくからね」と、常にミャンマー政府に圧力をかけきた。そこに東西冷戦が忍び寄る。東南アジアの国々、そして中国が社会主義に走るなかで、アメリカを中心にした西側勢力は、タイを守ろうとする。そしてその前線は、中国と国境を接するシャン州にのびていく。シャン州は西側勢力の情報収集基地になっていくのだ。
 そこに介在したのがヘロインだった。シャン州はゴールデントライアングルの中心地になっていく。麻薬王ともいわれたクンサーやローシンハンの拠点は、シャン州のラーショーだった。そのなかで、クンサーはシャン族の国をつくろうとする。シャン州の独立軍はいまだ健在だ。

 

 タイのチェンマイのナイトマーケット。ここで働いているのは、シャン州からやってきたシャン族が多い。数年前だろうか。シャン独立軍から軍事訓練の通知が届いた。働くシャン族のスタッフの多くが、シャン州の訓練のために戻ってしまい、ナイトマーケットの店のなかにはシャッターを降ろす店もあった。
 訓練の様子は毎日、SNSで送られてきた。髪を茶色に染めた若い女性が銃を担いでいる。
「本当にやってるんだ」
 チェンマイに住む知人と話した記憶がある。
 ビルマ族とシャン族の距離感……少しはわかってもらえただろうか。
 しかしシャン族はもうひとつの顔をもっている。中国である。正確にいうと中国の雲南である。
 シャン族の一部は、中国とミャンマーの国境を行ったり来たりしながら生きてきた。ラーショーから車で3、4時間、チャイントンからなら2時間で雲南省なのだ。
 シャン料理は雲南料理の影響を強く受けている。『ノングインレー』で僕が頼むことが多い料理は、雲南系シャン料理だ。豆腐そばはその代表にも映る。

 

「ノングインレー(NONG INLAY)」豆腐カオスエ。
とにかく混ぜてから食べる。詳しくは動画で(写真/阿部稔哉)
こちらは現地ミャンマー、シャン州のカオスエ(写真/阿部稔哉)

 

 食べてみればわかるが、その味は、雲南のなだらかな山並みのように穏やかだ。
 このそばは台湾でも食べることができる。シャン州から雲南に移動したシャン族は、中国共産党に目をつけられ、スパイとして台湾に送り込まれた。そんな人たちがいま、台湾のなかにミャンマーエリアをつくっている。
 純粋に料理を楽しみたい人には申し訳ないが、シャン料理の話は、すぐに政治的な話に結びついていってしまう。それがシャン族の宿命なのかもしれないが、その味は、ほっとするほど優しい。
 シャン族の話だけでお腹がいっぱいになってしまうかもしれない。しかしミャンマーの民族には、それぞれに物語が秘められている。それをミャンマー料理とひとくくりにしてほしくない……それは彼らの思いでもある。
 高田馬場には以前、カチン料理の店もあった。ラカイン料理の店もあったという。ミャンマーの民族の構図が高田馬場に再現される。だからミャンマー人のメッカなのだろう。

 

シャン州のチャイントン。屋台と食堂の中間のような店で朝食(写真/阿部稔哉)

 

「アジア」のある場所

下川裕治(しもかわゆうじ)

1954年松本市生まれ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『世界最悪の鉄道旅行』(新潮文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)、「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日新聞出版)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)など著書多数。
YouTube下川裕治のアジアチャンネル

<撮影・動画協力>
阿部稔哉(あべ としや)
1965年岩手県生まれ。フォトグラファー。東京綜合写真専門学校卒業後、「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーに。

中田 浩資(なかた ひろし)
1975年、徳島市生まれ。フォトグラファー。97年、渡中。ロイター通信社北京支局にて報道写真に携わる。2004年よりフリー。旅行写真を中心に雑誌、書籍等で活動中。
https://www.nakata-photo.jp/
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