声優・小林清志と羽佐間道夫が相見える! 草創期の吹き替え秘話
大野裕之『創声記-日本を話芸で支える声優たち-』

脚本家・映画研究家の大野裕之さんと声優・羽佐間道夫さんが、スターたちの肉声から「声優」の歴史に迫っていく「創声記」インタビュー。今回は『ルパン三世』シリーズの次元大介、ジェームズ・コバーンやリー・マーヴィンの吹き替え、数々のナレーションのお仕事でお馴染みの小林清志さんです。吹き替え初期の貴重な秘話から、大御所お二人の演技論まで、テキストからバリトンヴォイスが聞こえてくるような、目にも耳にも嬉しい対談となりました。前後編の全2回でお届けします。

 

 

俺のことミッキーなんて言ってくれるのは、もういないんだよ

 

羽佐間 写真撮ってもいいの?

 

小林 嫌だけど、こうやってミッキーと、久しぶりに会って話しているところを遠目でね。

 

羽佐間 俺のことミッキーなんて言ってくれるのは、もういないんだよ。おまえと若山弦蔵ぐらいしか。

 

小林 あ、ゲンちゃんどうしてるの?

 

羽佐間 ゲンちゃんと一緒に仕事しているよ。俺たちもう最後だなと思われて、慌てて今使っておこうとする人たちが増えてきてるの(笑)。

 

小林 ああ、そうか(笑)。じゃあ、手を握っているところの写真を。

 

羽佐間 今の最高のショットだ(笑)。

 

出会いは千田是也演出・ブレヒト『ガリレオ・ガリレイ』

 

小林 本当に久し振りだもんなあ。懐かしいわ。

 

羽佐間 小林清志氏と私が最初に出会ったのは芝居なんですよ。清志ってね、古武士みたいな顔をしてたの、昔から。

 

小林 ああ、そう?

 

羽佐間 なんでも真っ直ぐな人だった。それで楽屋でメイキャップするところで隣同士だったんだけど。あれ、俳優座だったよな。

 

小林 千田是也先生演出のブレヒトの『ガリレオ・ガリレイ』だ。

 

羽佐間 あなたは泉座から、俺は中芸から、それぞれ客演してた。そこが一番最初の出会いだったんじゃないかなあ。

 

小林 そうだったなあ。『ガリレオ・ガリレイ』は、長いこと上演したね。

 

羽佐間 半月ぐらいやって。そこに集まってくるメンバーというのが、もう亡くなったけど佐藤慶だとか、小松方正とか。

 

小林 悪い奴ばっかり(笑)。

 

羽佐間 悪い奴ばっかりがズラッと並んで。旅公演にも行ったんだよな。

 

小林 行きましたね。日大芸術学部出た後かな、在学中かな。

 

羽佐間 日芸では宍戸錠さんやケーシー高峰さん、歌舞伎の嵐徳三郎さんと同期なんだよね。

 

小林 そう。

 

——そうそうたるメンバーですが、同期で芝居を作ったりしましたか?

 

小林 一緒に活動したことはないね。一度、宍戸君と演技実習でご一緒しました。飯沢匡先生の喜劇『還魂記』をやりました。

 

旅公演に行ったのは、その後、本田延三郎が作った国民文化研究所という所に行ってた頃かな。木村功とか湯川れい子さんとかそういう連中がいた。

 

羽佐間 その頃、泉座は三島雅夫さんがいらっしゃったの?

 

小林 三島さんは、俺が入ったときにはいらっしゃらなかった。玉川伊佐男さんがいましたね。

 

羽佐間 ああ、タマちゃん。

 

小林 泉座も、お宅の東京芸術座と一緒で、ちょっと進歩的というかアカなんですよ。それで入りましたら、総会で「この帝国主義の手先め!」とかね(笑)。

 

羽佐間 大変な所に入ったと(笑)。

 

小林 俺も芯は左翼だけど、そこまで頭に血がのぼるタイプではなかったからね。それで結局劇団は分裂したわけ。そういうわけで、その当時の控えの連中は私たちと同じようにみんな新劇座のほうに。

 

羽佐間 ほとんどそうだった。放送劇団か、新劇なんだよ。なぜかというと、みんな飢えているもんだから。安く使えるというんで、来る奴みんな入れたんだよ。

 

小林 俺たちはほんとにアルバイトしたり、ほとんど食えねえやつらばっかりだから。なっ?

 

羽佐間 新劇の役者なんて食えないし。めしを食えたのは、やっぱりアテレコのおかげだね。

 

小林 そうかもしれないな。

 

羽佐間 アルバイトしかなかったものね。サンドイッチマンとか。

 

小林 学徒援護会というのが、九段下にあってね。そこへ行くと掲示板にいろいろバイトがあるんだよ。当時は1日五〇〇円から七〇〇円だったな。俺なんかよくやったのは、地下鉄工事ね。新大塚から池袋までは、まだできてなかったんだ。それで、新大塚から潜って、線路をエッサエッサ運んで置いて、また運んで。それが1日五〇〇円だったよ。

 

 

主演で翻訳した『ジスマン・ドーソン』

 

羽佐間 英語が昔から得意だったよね。英語のバイトはしなかったの?

 

小林 高校生の時から同級生の添削の先生をやってた。

 

羽佐間 英語はどこで習ったの?

 

小林 別に習わない。好きだったんだよ。前世は外国人だったんだね(笑)。

 

羽佐間 よく事務所に原書を持って来ていたね。こんな大きいやつ。

 

小林 推理小説を原書で推理するのが好きでね。翻訳もやってたけど、英語は論理的に組み立てて書かれているから、ちゃんと論理が合わないと誤訳になる。

 

羽佐間 親しかった児玉清が、同じことを言ってた。英語の台本の翻訳はいつから始めたの?

 

小林 最初は劇団四季を紹介されたんだけど、東北新社に行った。当時アテレコであんまり仕事はなかったから、翻訳で生活してたね。結婚してまだ子供が小さかったから。東北新社で作った『ジスマン・ドーソン』のシリーズは私の翻訳です。

 

羽佐間 『ジスマン・ドーソン』って、あなたなの。

 

小林 そう。

 

羽佐間 あれ、やりにくかった(笑)。

 

小林 私が主役でしたんだ。

 

羽佐間 主役で翻訳って聞いたことがない。たぶん日本でたった一例だろうね。東北新社も喜んでた。翻訳ができる役者っていないから。だから、自分のところだけは実にうまく翻訳している。俺、一緒に出たんだけどさ、全然俺のところは合わないのよ(笑)。

 

さまざまな役者が入り乱れた『コンバット』

 

羽佐間 あなたは、『ジスマン・ドーソン』が初めての吹き替えだったの?

 

小林 吹き替えの初めては、ミッキーがやってた『コンバット』だよ。俺は兵隊Aとか、兵隊Bとかやってから。あなたはすでに大スターだった。

 

羽佐間 そうそう、大スターだからね(笑)。

 

小林 あの頃はハハーッて感じでしたね。

 

羽佐間 そうか。『コンバット』か。ということは、一九六〇年代だな。

 

小林 六三年ぐらい。アテレコの地位が低かったのか、TBSでも、とんでもない所で録音やらされたんだよな。大道具がいっぱい並んでいるような所を通って、地下のスタジオでね。部屋へ行っていくと、ガランとしてて、上から一本マイクが下がってるんだよ。その下にセリフを言うやつが行って、ペラペラっとしゃべるんだよ。な?

 

羽佐間 それで、耳に細い線がただ付いているだけの小さなレシーバー入れて。その数が限られてるから、早く確保しないと無くなっちゃうわけ。だから本番が始まっても、音声を聞けないやつがいるわけだよ。

 

小林 『コンバット』では、いろいろな人が吹き替えやってたね。新派や新国劇、歌舞伎の人も時々出てきたんだよ。浪花節のセリフ回しの人もいて(笑)。

 

羽佐間 ドイツ人女性の役なのに「だって、あたし、そう~~じゃあ~、ないの」なんてのがいたよね(笑)。

 

老眼の俳優なんかは、文字の小さな台本が読めない。だから、紙に大きな字でセリフ書いてきてさ。でも、原稿用紙が買えるほどの金を持っている人はいなかったから、新聞紙に全部セリフを書いてる。すると、めくるたびにバラバラバラッと音がして。そのノイズに、ミキサーがびっくりしたこともあった。

 

小林 当時、効果音も時々、役者が手伝っていたね。草むらを歩く時は、8ミリのテープをガッとたぐって山にしてシャカシャカ音をたてる。馬は、お碗やなんかでパカパカパカ音を作る。セリフを言っては、パカッパカッと自分で音を作ってた。

 

羽佐間 手元に小さなドアがあって、ドアを開ける音もそれで作ってた。それで思い出したんだけど、赤塚不二夫って漫画家と全く同姓同名の効果マンがいたんだよ。いい男で、女優がみんなそっちに見とれて、手元の音効を忘れっちゃって、ドアの開け閉めの音があわないんだ。ドアの映像が出てしばらくしてから、バタンなんて音を出したりしてね。そういう世界の中で清志と俺は育ってきたんですよ。

 

活況を呈した西部劇とマカロニ・ウエスタン

 

小林 初期は西部劇の吹き替えが多かったな。

 

羽佐間 西部劇とマカロニ・ウエスタンがすごかったから。清志の代表作はジェイムズ・コバーン。それから誰やってたんだっけな、覚えてる?

 

小林 覚えてるよ。ジェイムズ・コバーン、トミー・リー・ジョーンズ、リー・マーヴィン。俺の好きな役者は、ジャン・マリア・ヴォロンテ。

 

羽佐間 イタリア人?

 

小林 イタリア。コミュニストで、なかなか精悍な顔をしている男なんだよ。好きだったな。まあ、いろいろやったけど、今言ったのが一番好きなメンバーね。

 

羽佐間 ジャン・マリア・ヴォロンテは、どういう映画に出てるの?

 

小林 やっぱり怪盗や、髭だらけの山賊。マカロニ・ウエスタンだね。

 

羽佐間 そのころはもうクリント・イーストウッドは出てきてたの?

 

小林 いましたね。その頃は山田康雄がやってた。ヤスベエが亡くなったあと、俺も『スペース・カウボーイ』とかやらせてもらったことあるね。最近はアテレコが減って、ナレーションが多いな。

 

羽佐間 ナレーションは聞き飽きたから、もう出るな、おまえ(笑)。

 

小林 アテレコは、今、少ないよな。

 

羽佐間 われわれの世代は、みんな首になっちゃったんだよね。



――出演料が高くてキャスティングできないんでしょうね。

 

羽佐間 もったいないね、昔はうまいのいたよ、滝口順平とかね、若山弦蔵とか。『アンタッチャブル』なんか面白かった。

 

小林 『アンタッチャブル』は、毎週同じメンバーが集まって、違った役を全部やってたな。

 

羽佐間 主役のエリオット・ネスをやってた劇団四季の日下武史がよかったの。

 

小林 あの頃、菊池さんっていうディレクターにお世話になった。

 

羽佐間 俺もお世話になった。昔の教育テレビの映像をほとんどやってたよな。

 

小林 そうね。それで、昔のスタジオだから、音が洩れたりするんだよな。そうすると、番町スタジオで、雷がバリバリバリと本番中に鳴ると「うん。よし。今、雷が鳴っている音にしよう」ってな。雷を鳴ったことにしようって、NGにしないんだよ。なかなか面白い男だったよ。

 

羽佐間 反射神経のいいディレクターだね。アテレコは作る方もやる方も反射神経だからね。

 

小林 音が聞こえて、スッとやらなくちゃだめだから。俺は卓球部だったから、それで培ったね。

 

(第2回に続きます)

 

小林清志(こばやし・きよし)
東京都出身。国民文化研究所・劇団泉座、日大芸術学部演劇科を経て、1960年の俳協創立に参加。ジェームズ・コバーン、リー・マーヴィン、トミー・リー・ジョーンズ他外国映画の吹き替えや、アニメ『ルパン三世』シリーズの次元大介役、『妖怪人間ベム』のベム役、『機動戦士ガンダム0083』のエギーユ・デラーズ役、『シネマパラダイス』『SASUKE』『ガキの使いやあらへんで』などのナレーションで知られる。特技は英文翻訳。

創声記_小林清志編

著:大野裕之 監修:羽佐間道夫

【大野裕之】

脚本家・日本チャップリン協会会長

チャップリン家の信頼もあつく、国内外のチャップリン公式版Blu-rayを監修。羽佐間道夫氏発案の「声優口演ライブ」の台本を担当する。著書『チャップリンとヒトラー』(岩波書店)で2015年第37回サントリー学芸賞受賞。映画脚本家としては、2014年『太秦ライムライト』で第18回ファンタジア国際映画祭最優秀作品賞受賞。


【羽佐間道夫】

1933年生。舞台芸術学院卒。劇団中芸を経て、『ホパロング・キャシディ』で声優デビュー。以来、声優の草分けの一人として数多くの名演を披露。代表作に、シルヴェスター・スタローンを吹き替えた『ロッキー』シリーズほか、チャールズ・チャップリンの『ライムライト』、ディーン・マーティン、ポール・ニューマン、ピーター・セラーズ、アル・パチーノの吹き替えなど多数。2008年、第2回声優アワード功労賞受賞。


写真= 大場千里/光文社

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