「政党内閣制はなぜ日本で定着していったのか?」受験生&親は必読!近現代史を“逆”からざっくり解説(4)
ピックアップ

 

ややこしい近現代史も、逆から読めば一気に理解できる!
『日本史は逆から学べ 近現代史集中講義』(光文社知恵の森文庫)の著者で『世界一受けたい授業』(日テレ系)の日本史講義などでもおなじみ、河合敦先生による“逆”からざっくり近現代史講義(全6回)。日本の近現代史を、「なぜ?」「どうしてそうなったのか?」と一問一答形式でさかのぼり、因果関係を分かりやすく解説していきます。

 

第4回目は、政党内閣の成立と終焉についてです!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

Q1)政党内閣制は、なぜ日本で定着していったのか? 
→国民が、大正デモクラシーの高まりの中、2度の護憲運動を経て「憲政の常道」といわれる状態を強く求めたからです。大正デモクラシーと呼ばれる風潮をリードしたのは「天皇機関説」を説いた美濃部達吉と「民本主義」という語を生み出した吉野作造で、国民の政治参加意識が高まる中、平民宰相と呼ばれた原敬が政権の座に就きます(最後は暗殺されてしまいますが……)。

 

Q2)なぜ本格的政党内閣をつくった原敬首相は殺害されたのか? 
→これは、平民宰相と期待された原敬首相なのに普通選挙法の成立に反対したことが大きいです。彼が率いる立憲政友会は主や都市の資本家を基盤とするブルジョア政党で、当時の権力者たちは、日本の若者の間に広まるマルクス主義や共産主義が天皇制を崩壊させるのではないかと警戒し、大衆に選挙権を与える普通選挙法には反対でした。

 

Q3)なぜそもそも、原敬は、首相になれたのか? 
→前任である、閥族の寺内正毅内閣が強引に米騒動を鎮圧し、国民が閥族政治に不信感を持ったからです。当時、内閣総理大臣は元老の推薦で天皇が任命するものであり、閥族(薩長出身の軍・官僚)から選ばれるのが通例でした。閥族に対する国民の不満が前任の寺内内閣の時に大きくなり、それらをかわす意味で、次の首相には最終的に閥族出身ではない平民の原が選ばれました。

 

Q4)なぜ閥族の寺内正毅が内閣を組織することになったのか? 
→寺内の前の首相は大隈重信でしたが、大隈が元老から切られる形で寺内が後任に座ります。大隈はすでに高齢で、政界からは完全に引退したのですが、訳あって元老が再登板させたのです。で、その後、元老たちは大隈が不要となり、閥族の寺内を次の首相に据えました。

 

Q5)では、なぜ閥族の長や元老は、大隈重信を総理として再び登板させたのか? 
→それは、1つ前の山本権兵衛内閣も、その前の桂太郎内閣も、政党や国民による激しい倒閣運動に晒されて倒れた、という事実が影響しています。当時、国民の閥族支配への目はすでに厳しいものがあり、桂・山本内閣など、続く閥族内閣に不満が高まっていました。そのような状態で閥族出身の政治家は首相を引き受けたがらず、国民的人気の高かった大隈に白羽の矢が立ちました。

 

Q6)なぜ山本権兵衛内閣は瓦解したのか? 
→山本権兵衛内閣は立憲政友会が与党となり、政党寄りの政策を進めましたが、首相の山本が薩摩・海軍出身の閥族で、首相就任当初から国民の不満が渦巻いていました。そこに海軍高官による汚職事件(ジーメンス事件)が起こり国民の非難はいよいよ激化。内閣を見限った貴族院(閥族の拠点の一つ)がこれを利用し、山本内閣を倒す方向へ動き、山本は首相の座を追われました。わずか50日ほどで総辞職した前任の桂太郎内閣に続き、大衆の力が国政に影響御及ぼした倒閣といえます。

 

Q7)なぜ第3次桂太郎内閣はわずか50 日余りで倒れてしまったのか? 
→桂内閣の倒閣と政党内閣の実現を求める「第1次護憲運動」が国民運動に発展したからです。第3次桂内閣は、民衆の倒閣運動で瓦解した日本初の内閣といえます。

 

Q8)なぜ「第1次護憲運動」は、全国的な運動に発展したのか? 
→政治力を持った国民が閥族の支配に不満を高めていたからです。国民は長い間、閥族の支配に屈していましたが、教育の普及に寄り政治的な力が高まり、不当な支配をはねのけ、民意が反映される政党政治を求める運動が生まれました。こうした民衆の政治的運動の萌芽は、実は明治の末期から見ることが出来ます。

 

次回「なぜ日露戦争の講和条約が、国内の大暴動に発展したのか?」に続きます!

関連記事

この記事の書籍

日本史は逆から学べ 近現代史集中講義

日本史は逆から学べ 近現代史集中講義

河合 敦 (かわい あつし )

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を

この記事の書籍

日本史は逆から学べ 近現代史集中講義

日本史は逆から学べ 近現代史集中講義

河合 敦 (かわい あつし )