akane
2019/01/24
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2019/01/24
自ら吃音があり、幼少期から悩み苦しんできた医師の菊池良和さんは、「吃音を隠す努力」をし始めるようになった結果、一見、周囲から吃音者と分からないようになりました。しかし、心の中は悶々としたままでした。そして、人と話す場面から逃げることを続けると、やがて「死」について考えるようになったといいます。前回に続き、菊池さんの体験談に耳を傾けましょう。
吃音を隠すテクニックを身につけ、流暢に話せたと感じる時間が増えていくと、たまにどもることが余計苦痛に感じるようになりました。
国語や英語、社会や本読みのとき、言い換えられない苦手な言葉に遭遇すると、難発性の症状が出ました。喉や首全体に力が入り、最初の一言を発声するまで息を止めることになります。その結果、酸欠状態になり、顔が紅潮し、汗をかく。手足がしびれることもありました。普通の人の10倍はしゃべるのに労力がかかっていただろうと思います。そして、どもってしまったら、「またどもってしまった」という自分の無力さでいっぱいになります。悩みは深まる一方でした。
「なぜ急に言いたい言葉が言えなくなってしまうのだろう。どうすればいいんだろう。病院で診てもらったら、解決策が見つかるかもしれない」
そんなことを考えるようになりました。しかし、病院に行くには保険証が必要です。その場合、母親に借りなければなりませんが、そうすれば、「なぜ病院に?」と質問されるのは確実です。
私は親に、吃音で困っていると言う勇気はありませんでした。それまで吃音の話はしたこともなく、自分からは言い出せなかったのです。「病院に行き、医者に診てもらえば何とかなるかも……」。病院に行けないまま、何度も繰り返しそう思っていたときに、ふと思いつきました。
「あっ、そうか。医者に診てもらえないのなら、自分が医者になればいいんだ。そして吃音の軽減法を見つければ、自分の悩みは消えるのではないか。あと10年も経てば、この悩みから解放されるのではないか」
そう考えると、目の前が少しだけ明るくなった気がしました。
高校時代は、鹿児島にある寮制の私立高校で過ごしました。このころは友達も多くできたことで気持ちが安定し、吃音の状態も比較的安定していました。
そこであるとき、今まで隠し通していた吃音について、仲の良い友達に打ち明けてみたいという気持ちが沸き上がってきました。
中学生のころから「吃音を隠す努力」を続けていて、聞き手にすらすらしゃべる自分しか見せていなかったという負い目のような気持ちもあったのです。
「今はすらすらしゃべっているけど、僕は思いっきりどもることがあるんだ。どもる僕でも軽蔑せずに友達でいてくれる?」
そう確かめたかったのです。
高校生になるまで、私は吃音でいいことは一つもありませんでした。笑われたり、怒られたりした悪い記憶ばかりです。私は、自分の吃音についてカミングアウトすることで、吃音のある自分の自我を確立しようとしていたのかもしれません。
「実は僕はどもるんだ」
顔が赤くなるのを感じながらも、私は勇気を持って言いました。すると友達は、ポカンとした顔で黙って私を見ていました。なんと言葉を返していいのかわからなかったのか、それとも、そんなこと知っているよと思っていたのか。特に彼の反応がなかったので、私はまったく別の話題に話を移すことにしました。結局、人生初のカミングアウトは、特に話が進まないまま終わりました。
今となって振り返ると、そのとき私は、次のような言葉を返してくれることを望んでいたようにも思います。
「そうなんだ。気づかなかったけど苦労していたんだね。大変だったんだね」
そんな共感の一言がもらえたら、すごく嬉しかったかもしれないな、と。
高校3年生になり、私は、医学部に進学しようと決めました。ただ、そこでふと困ったことに気がつきました。医学部は受験の際に面接のある大学が多いのです。面接があれば、吃音のある自分では厳しい。しかし九州で面接がないのは、九州大学だけのようでした。であれば仕方がない。難関ではあるものの、九州大学を受験することに決めました。
今考えると、吃音があるから面接で落とされるというわけでもないのですが、そのころは自分に自信がなく、吃音があっても受験上不利にはならない大学を受験することが自分にとって最優先事項でした。
結局、二浪はしたものの、三度目の受検で合格することができました。
以上、『吃音の世界』(菊池良和著、光文社新書)の内容を一部改変してお届けしました。
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