消えた祭祀・イザイホーの謎―――日本の8大聖地・クボー御嶽
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日本では土着の信仰である神道のほかに、朝鮮半島や中国から仏教がもたらされ、多くの聖地が生まれた。参拝客が絶えない「開かれた聖地」がある一方、「封印された聖地」もある。パワー・スポットとも呼ばれる聖地には、一体どんな秘密があるのか。その謎に迫る。

 

何もない空間こそ聖地である

 

久高島へ

 

「何人たりとも、出入りを禁じます」という看板が立つ、禁足の地「クボー御嶽」。琉球開闢(かいびゃく)七御嶽の一つだ。

 

看板が立てられたのはそれほど昔ではないが、それ以前から、クボー御嶽に男性は入ってはいけないと言われていた。日本の本土には女人禁制とされる聖地がいくらでもあるが、沖縄ではその逆。信仰にかかわる事柄を司るのは主に女性で、昔から御嶽には祭祀を司る女性しか入ることができなかった。

 

聖地というものは、もともとは何もない空間である。クボー御嶽も、礼拝の目途となる自然石以外、信仰の対象となるような物、神聖と見なされる物は存在していない。ただの野原であり、開かれた空間に過ぎない。

 

消えた祭祀「イザイホー」

 

祭祀が行われていたとされる磐座(いわくら)

 

久高島の祭祀のなかでもっとも重要なものが、12年に一度行われる「イザイホー」。島の30歳から41歳までの女性が神女(しんじょ)になるための儀礼だった。いわばイニシエーションとしての祭祀だ。

 

多くの社会においては、イニシエーションの対象となるのは男性である。少年から大人へと成長する段階でイニシエーションの儀礼が用意されていて、少年には試練が課せられる。その試練を克服した者だけがその社会において大人として認められ、結婚できる資格を与えられるのだ。その点で、もっぱら女性を対象としたイザイホーのようなイニシエーションは珍しい。

 

イザイホーが受け継がれていた時代には、久高島には女性だけの祭祀組織が存在した。その頂点には二人のノロが君臨していた。ノロとは琉球王朝によって認められた正式な神職のことである。そのノロを補佐するのがウメーギで、その下に年齢別の集団が形成されている。

 

しかし1978年を最後に、イザイホーは行われていない。イニシエーションにおいては、死と再生がくり返される。沖縄の聖地もまた生まれ変わろうとしている。簡単には朽ちて消滅していかないところに聖地の力があり、秘密がある。

 

以上、『日本の8大聖地』(島田裕巳著、光文社知恵の森文庫)の内容を一部改変してお届けしました。

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