akane
2019/02/28
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2019/02/28
ブラックホールという言葉が定着し始めたのは1967年のことでした。理論的な研究は少しずつ進展していたものの、宇宙にほんとうにブラックホールがあるのかどうか、誰も分からなかった時代が長く続いていました。
これはある意味で当然です。ブラックホールはそもそもブラックなので、見えないからです。
しかし1963年、ブラックホールは意外な形で脚光を浴びるようになりました。それは、強い電波を発する天体の観測でした。
天体は、強弱の差はあれ、すべての波長帯で電磁波を発しています。したがって、天体の性質を明らかにするには、すべての波長帯で観測する必要があります。
ところで、私たち人間の眼は可視光帯に感度があります。
これには理由があります。一つは太陽のせい、もう一つは地球大気のせいです。
太陽の表面温度は約6000度です。そのため、この温度に見合う熱放射を出しています。この熱放射のピークは波長0・5ミクロンなので、ちょうど可視光帯(波長0・4ミクロンから0・7ミクロン)に来るのです。また、地球の大気は可視光をよく透過してくれます(電波の一部も透過する)。したがって、人類が生命活動を維持していくには可視光を利用するのが一番よいのです。結局、私たちの眼は可視光帯に感度を持つようになったと考えてよいでしょう。
このような経緯があり、どうしても可視光帯での観測が先行してきました。しかし、20世紀に入って、さまざまな波長帯の電磁波を受信する技術が上がってきて、可視光以外の波長帯でも天体の観測ができるようになってきました。ただし、地球大気に吸収されるガンマ線、X線、紫外線、波長5ミクロン以上の赤外線(中間赤外線と遠赤外線)、及び電波の一部は地球大気圏外にロケットや観測衛星を打ち上げて観測しなければなりません。
いち早く受信技術が進んだのは電波でした。その背景には、軍事に関連して電波による通信を行う必要があったからです。そして1931年、一人のアメリカ人電波技師が、偶然、宇宙からやってくる電波に気づいたのです。
彼の名前は、レーダーの研究をしていたカール・ジャンスキー(1905-1950)。
彼の仕事は、データ通信にとって邪魔者である空電現象(地球大気からやってくる電波)のチェックでした。主なノイズ源は、雷などの放電現象です。しかし、あるとき彼は不思議な電波を受信しました。ノイズの中に周期性のあるものが見つかったのです。しかも、その周期はほぼ1日。つまり、地球の自転周期と一致しているのです。
まるで天からやってくるようではないか――。
そこでよく調べてみると、そのノイズは、アンテナが天空のある決まった方向に向いたときに限って強くなっていました。
宇宙から電波がやってくる――。
当時、誰も想像もしていなかったことです。彼は天文学者ではありません。とりあえず、電波の強くなる天域の位置だけを発表することにしました。その位置の方向にあるもの。それは天文学者なら誰でも知っているものでした。天の川銀河の中心の方向だったのです。
「天の川銀河の中心方向には電波源がある」――。
1931年、人類は初めて宇宙電波の存在に気づいたのである。
ジャンスキーの宇宙電波の発見を追い風にして、1940年代から宇宙の電波源の探査が試みられるようになりました。1950年を迎える頃には、すでに10個もの電波源が見つかっていました。その中には、現在パルサーとして知られている中性子星(高密度の中性子ガスからなる星)に附随する電波源である「かに星雲」などの銀河系の中にある天体もあれば、天の川銀河の外にある天体、つまり銀河からも電波がきているようでした。当時は、これらはまとめて“地球外電波源(extra-terrestrialradiosource)”と呼ばれていました。
※
以上、『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』(谷口義明著、光文社新書)から抜粋し、一部改変してお届けしました。
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