gimahiromi
2019/07/10
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2019/07/10
「自閉症」という言葉は1911年、スイスの精神科医オイゲン・ブロイラーの論文に初めて登場した。
ただしこのときには、外的世界から切り離されているように見える統合失調症患者を指す言葉として使われている。
その後、ハンス・アスペルガーとオーストリア系アメリカ人のレオ・カナーが、それぞれ独自に、社会的な引きこもりを示す明らかな特徴について、初めて「自閉症」という用語を用いた(ほかの医師は、同様の子どもを統合失調症と診断していた)。
それから数年の間に、他人や周囲の世界から孤立している子どもに数多くの精神科医が興味を抱き、彼らを分類するさまざまな用語を生み出した。
前述の二人が「自閉症」という用語を用いたのは、1943年のことである。
その年、当時アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の教授だったカナーが(後に、アメリカ児童精神医学の「父」と称されることになる)、自閉症について『情動的交流の自閉的障害』と題する論文を発表した。
同年にはウィーンでも、アスペルガーが博士課程修了後論文『小児期の「自閉的精神病質者」』を提出し、1944年に公表している。
カナーはその論文で、互いによく似たある特徴を示す子どもたちを取り上げた。
彼らは、社会的・情緒的に引きこもり、特定のものや決まったやり方にこだわる。ほとんど話をすることはなく、同じ行動を繰り返し、認知能力に重度の障害がある。
現在、こうした症状は、「古典的」自閉症、またはカナー型自閉症と呼ばれる。
アメリカの開業医は数十年間にわたり、この狭い定義に従って診断を行ってきた。当時は、自閉症は比較的まれな病気とされ、1975年には5000人に一人の割合だった。
一方、アスペルガーの自閉的精神病質の定義はもっと広く、問題の程度がそれよりかなり軽い子どもも含まれる。たとえば、流暢に言葉を話し、標準的な学校に通える子どももいる。
アスペルガーの診断については長らく知られていなかったが、イギリスの著名な精神科医ローナ・ウィングがアスペルガーの論文を発見し、1981年にその診断を「アスペルガー症候群」として公表した。
するとその概念が精神医学界に急速に広まり、1994年にはアメリカ精神医学会が出版している『精神疾患の診断・統計マニュアル』第4版(DSM‐Ⅳ)に、独立の診断名としてアスペルガー障害が記載された。
ところが、やがてアスペルガー障害は「高機能」自閉症と考えられるようになり、2013年の第5版(DSM‐Ⅴ)からは削除され、自閉症スペクトラム障害という総合的な診断名の中に組み込まれることになった。
しかし国際的に見ると、アスペルガー症候群はいまだ、世界保健機関(WHO)の基準とされる『疾病および関連保健問題の国際統計分類』第10版(ICD‐10)に独立した診断名として記載されている(訳注:2018年に公表されたICD‐11では削除された)。
アスペルガーの業績が紹介されたことにより、1990年代には自閉症に対する考え方が一変した。自閉症は、さまざまな特徴を持つ子どもを含むスペクトラム障害と見なされるようになった。
カナーが自閉症と考える、他人と交流する能力や発話能力が低い重度の障害者だけでなく、人づき合いは苦手だが数学には天才的な能力を発揮するといった人なども含む言葉になったのだ。
すると、自閉症スペクトラムと診断される人の割合は急上昇した。
この上昇については、さまざまな医学的・遺伝的・環境的要因が議論されているが、少なくともその理由の一端が、自閉症の診断基準が広がったことにあるという点では、大半の意見が一致している。
アメリカ疾病対策センター(CDC)によれば、自閉症スペクトラム障害と診断される子どもの割合は、1985年には2500人に1人だったが、1995年には500人に1人に増えた。
アスペルガーの概念が主流になるにつれ、その割合は上昇を続け、2002年には150人に1人、2016年には68人に1人になった。
専門家は、この上昇の理由について、社会が子どもの心の問題に敏感になると同時に、この症状の子どもが単純に増加したため、としている。
アメリカ精神医学会が定める自閉症スペクトラム障害の基準は、何百もの精神科医の業績に基づくものだが、いまだ70年前の考え方や表現を色濃く反映している。
たとえば、アスペルガーの1944年の論文には「自閉的な人間の基本的障害は、その社会的関係が制限されていることにある」とあるが、DSM‐Ⅴの自閉症の中心的な定義にも、「社会的コミュニケーションや社会的交流の持続的欠如」という表現がある。
さらに、アスペルガーは自閉的精神病質を「自己を閉じ込め、環境とのかかわりを限定している」と定義しているが、DSM‐Ⅴの定義にも「挙動・関心・行動に見られる限定的・反復的パターン」とある。
このようにアスペルガーは、自閉症スペクトラムの概念を広げる役目を果たした。そのため、子どもの相違を認識し、それを称賛した人物として褒め称える人も多い。
神経多様性(個人の脳の違い、およびそれに起因する行動や考え方の違いを指す)を擁護した人物として描かれることもある。
実際、ローナ・ウィングがアスペルガーの昔の論文を紹介したことにより、公の議論も個人の独自性を尊重する方向へ向かった。
しかし、アスペルガーが実際に述べたこと、行ったことを詳細に検討してみると、様相が一変する。
アスペルガーの業績は、ナチスの精神医学の産物であり、彼が暮らしていた世界が生み出したものだった。
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