akane
2019/07/18
akane
2019/07/18
征爾は、ステージに登場すると、指揮台にのる前に台のわきで客席に一礼してから指揮台にのる。
そして、オーケストラと向かいあって指揮をはじめる前に、体をダランとして、かなり長いあいだジーッとしていることがある。
客席からは、背中しか見えないが、舞台のそでから見ると、ときにはうすく目をつぶって、座頭市みたいな顔をしていることがある。
僕は、演奏前のその「長い間」がくると、
「あ、むかしのあれと同じことをやってるな」
と、思うのだ。
立川の柴崎小学校のころ、征爾は野球部のエースピッチャーだった。敗戦直後のことだから、スポーツといえば野球しかなかったが、征爾は担任の吉田先生が野球部の監督だったせいか、同級生の何人かと一緒に野球部に入り、五年生のときには、早くもエースになっていた。
僕はよく、おやじさんにつれられて、征爾たちの試合を見に行ったものだが、マウンド上の征爾には、あるクセがあった。
それは、ボール・カウントがワンストライク・スリーボールなどのピンチのとき、つまり、どうしても次はストライクを投げなければならない、というときになると、マウンド上で征爾は、ホームに向かって両足をひろげ、両ひざのところに手をついて、ジーッとキャッチャーのミットを長いあいだにらみつけるのだ。
見ていた僕には、とても長く感じられたが、実際には十五秒ぐらいだったかもしれない。とにかく、その動作をしたあとは、必ずストライクが入った。
征爾はいつだったか、指揮者になってからだが、
「オレは、集中力だけはあると思う」
と、言っていたが、小学校のときのピッチングのクセも、指揮台の上の「長い間」も、要するにあれは気持を「集中」しているのだと思う。
指揮する前の「間」と、むかしの野球の「間」が、僕にはまったく同じ長さに思える。
征爾が朝五時に起きて、スコアを勉強するのも、そのときがいちばん頭がさえて集中できるからだろうと思う。
「以前は、そのときは集中してるつもりで勉強しても、終わってみると集中できてなかったりしたが、最近では自分をコントロールするのがうまくなって、今集中してないなと思ったら、そのときは勉強をやめて、あとでまたやるようにしてるんだ」
と、征爾は言う。
オーケストラとの練習を見ていても、いざ練習がはじまると、全神経を練習に集中して、まわりはぜんぜん気にならないみたいで、カメラを持った人がオーケストラの中に入り込んで、パチパチ撮っていても、あるいは、成城の講堂を借りて公開練習するときなどは、客席で子供が声を出しても、まったく気にしてないようだ。
この記事は『やわらかな兄 征爾』(小澤幹雄・著)より、一部を抜粋・要約して作成しています。
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