ryomiyagi
2021/07/29
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2021/07/29
厚生労働省によれば、2020年の自殺者数が2万1081人と、前年より912人増えて11年ぶりの増加となった。世界各国の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)を比較すると、日本はワースト6位。先進国の中では、ダントツの1位である。同じく2020年の交通事故による死者は2839人。このけた違いの自殺者数の多さは、いったい何を現わしているのだろうか。
海外から、「世界一孤独に強い国民」「孤独大国」などと称されるのが日本であり、私たち日本国民であるらしい。それもそのはず。確かに子どもの頃から、「強い人」または「上に立つ者は、常に孤独である」と、故に「孤独に強くなれ」「孤独を恐れるな」などと、まことしやかに言い聞かされてきた。
一方で、「規律正しく優しい国民性」などと評されながら、先進国中ダントツの自殺者を出すのが現代の日本社会なのだ。
不幸にも自死を選んだ方が皆、日常的に孤独であったかどうかはわからない。しかし、自ら命を絶つ、その刹那は圧倒的な孤独だったに違いない。
ロンドン在住のジャーナリストが、「孤独は深刻な社会問題」としてイギリスが取り組む様々なプロジェクトをまとめたのが『孤独は社会問題』(光文社新書)だ。そこには、世界で初めて「孤独担当大臣」を任命するところから、市民レベルで推進される幾つものプロジェクトやロイヤルファミリーが果たす役割など、興味深いレポートが並んでいる。
もちろん、日本はイギリスより進んでいるところがたくさんある。イギリスよりはるかに清潔で、しかも社会が便利にできている。能率がよくて、すべてが効率的だ。一般的に人は時間を守るし、物腰も丁寧だ。電車は時刻表通りにすべり込んでくる。到着時間が3分遅れようものなら、「大変申し訳ありません」とアナウンスが入る。これには、友人のイギリス人が、「3分遅れに謝罪する!」と言って大変に驚いていた。
しかし、イギリスで暮らす心地よさは、社会的弱者が取り残されないようにという心遣いが形になって見えることだ。「社会がやさしくできている」と実感できる国がイギリスなのである。
近年、一人暮らしの老人が誰にも知られず死んでしまう「孤独死」が人々に衝撃を与え続けている。だからといって、孤独に陥るのは、なにも高齢者に限ったことでは無い。産後の鬱や子育てに思い悩む一人親や苛めに悩む青年や社会に適合できずに引き籠ってしまった若者など、その原因となり得る状況下にある人は数えきれないほどいる。
加えて新型コロナウィルスによる外出自粛は、さらにその傾向に拍車をかけているに違いない。
2021年2月、坂本哲志1億総活躍担当相に「孤独問題」の兼務が発表された。遅ればせながら、日本も孤独を社会問題として捉え始めたのであろう。などと政府が取り組む以前から、自治体や民間の支援団体によって孤独に悩む人に対するホットラインのようなプロジェクトが数多く立ち上がっているにもかかわらず、「孤独」は拡大傾向にある。
一言で「孤独」と言っても、その内容は様々だ。
子育て鬱や引き籠りのように、身近な者によるケアが必要なものもあれば、独居老人のように地域社会のケアが求められるものや、非正規労働者の解雇など法整備を要するものなど、問題は多岐に渡っている。
しかし「世界で一番規律正しく優しい国民」と称される日本人には、孤独を「あってはならないもの」とする勝ち組理論が内包されてはいないだろうか。そんな上から目線の根底には、「孤独は自己責任」的な考え方が拭いきれない、日本人の国民性があるように思う。
確かに、孤独に至る経緯には自己が負うべき箇所があるに違いない。同じような状況下にあっても、誰もが「孤独」に陥るわけではない。個々の考え方や対処法が大きく結果を左右するはずだ。
だからといって、「孤独は自己責任」と敗者を見るような目で接していては、本当の意味での孤独問題の解消には繋がらないということを『孤独は社会問題』(光文社新書)は教えてくれる。
私は、ある日いつものようにBBCニュースを見ていた。時間の終りの方になると、女性による天気の解説が始まった。その時、彼女の右手の肘から下がないことに気が付いた。見間違いかと思って目を凝らしたが、やはり彼女は腕の下がない。カメラは欠損した腕を隠すカメラワークではなく、ごく普通に映している。彼女はそのようなことに気を取られる様子はさらさらなく、明日の天気をきちんと説明して、役目を終えたのであった。(中略)
これならきっと、イギリスでは身体障碍者は、美談にされたり、憐れまれたり、揶揄されたりすることなく、そのまま受け入れられるのだろう。
そんなイギリスで盛んに行われているのが、DIYによって交流を促すメンズ・シェッド(男たちの小屋)だったり、図書館など公共の施設で開催されるオープン・マイクなど、居場所や吐き出し場所を与えるプロジェクトだ。加えて、英国最大のコーヒーチェーンの各店内には、知らない人との相席を目的とした「おしゃべりテーブル」が設置されるなど、さりげなくかつ「あったらいいな」と思わせる対策が幾つも存在する。
などと言えば、それは私が知らないだけで、日本でもこれらに負けない対策が、様々に始まっているとご立腹の諸兄が居るはず。いや、始まっているのだろうし、すでに活動している方々には感謝の言葉しかない。そして、知らないままに過ごしてきた自らの不明を恥じるしかない。だとしたら問題は何だろうか。
イギリス王室は、チャリティ支援活動を率先して行っている。イギリスにはチャリティ団体が無数にあり、それぞれ高齢者、障害者、難病患者、ホームレスなど、あらゆる社会的弱者に寄り添う。ロイヤルは、それら団体のパトロンを務める。
日本の皇室もお忙しく活動しておられる。そういった意味では、天皇陛下や皇族の方々による活動は、決してイギリス王室の後塵を拝さない。
しかし、あらゆる政治的(と感じる)発言を許されていない皇室が及ぼす影響力には限界がある。とするなら、日本において最大限影響を及ぼすべき発言は、やはり政治家がするべきだ。そしてそれこそが、今の日本には最も不足していると感じる。静かに蔓延する孤独と同時に、国家のリーダが正しくリーダーシップを取れないことこそが深刻な社会問題のように思う。
ここに降って湧いたのが、新型コロナウィルスだ。
高齢の女王は、2020年3月感染者数が際立つロンドンを離れた。ロンドン中心部に位置するバッキンガム宮殿を後にして、郊外のウィンザー城に移った。(中略)
しかし、そのまま国民から遠ざかってしまう女王ではなかった。4月には、ウィンザー城から国民を慰め鼓舞する演説を行った。
撮影は、PCR検査と2週間の隔離を済ませたカメラマンと女王だけで大部屋で行われた。女王はメイクも自分で行った。「家族とも、友人ともまた会えます。また私たちは会うのです」と結んだ時は、国民から感動の言葉があふれた。
かくいう私にも、加齢とともに孤独化は刻々と迫り来ているに違いない。と同時に、現代の日本社会には様々な孤独が蔓延しているように思う。そして重要なのは、孤独は自己責任を超えて、今や深刻な社会問題なのだ。
文/森健次
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