akane
2019/10/02
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2019/10/02
※本稿は、喜瀬雅則『不登校からメジャーへ ~イチローを超えかけた男~』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
根鈴の両親は、ともに教師だった。
家庭環境なのか、それとも遺伝なのだろうか。根鈴は、中学時代の成績も優秀で、学年トップの成績を誇っていた。
野球もできる、まさしく文武両道のアスリート。
絵に描いたような教育一家に、思いも寄らぬ“異変”が起こったのは、中2の時だった。
父が、友人の事業に「名義」を貸していた。
時はバブル期。融資のための連帯保証人として「教諭」というステータスは、何物にも代え難い信頼感があった。そこで新規事業を始める友人に、出資者の一人として協力したのだ。
しかし、それが悲劇を生んだ。数千万円の借金を、かぶることになったのだ。
取り立ての電話が、両親の勤務先の学校にも入る。根鈴の自宅前には、墓地があったという。学校から帰って、根鈴が自宅のカギを開けようとすると、墓石の裏に隠れていた借金取りが突如、走り出て来たこともあった。
電話が鳴ると、受話器の向こうから「いつ返してくれる?」。野太い怒声に、根鈴は電話に出ることすら怖くなったという。携帯電話も電子メールも、まだまだ普及していない時代。家族同士の電話連絡の際は、ワンコールで一度切り、すぐにかけ直すのが合図だった。
根鈴が一人で家にいる時にも借金取りが押しかけ、インターホンを何度も鳴らした。怖くて怖くて、雄次は部屋の奥に震えながら閉じこもった。
両親が出した結論は「離婚」。
そうしなければ、根鈴家が総崩れになる恐れがあった。
根鈴が日大藤沢高へ入学する直前のことだった。
借金禍に巻き込まれた頃の話だという。
「毎日、酒飲んで、夜、ぶっ倒れてるんです」
家に帰ってくる父は、決まって酔っていた。
現実から目を遠ざけたい。その苦しい胸の内は、根鈴にも痛いほど分かる気がした。
返済に追い立てられた根鈴家の家計は、火の車だった。
「千円、貸してくれ。なかったら、学校にも行けん」
出勤前、母にそう頼んでいる父の姿をたびたび見たという。
「父の威厳もへったくれも、最後はなかったですね」
家族で食卓を囲んでいても、どこか重苦しい。口を開けば、どうしても、父への不満や責めの言葉が出てしまう。
「このままだと、借金が“こっち”にも来るから」
離婚せざるを得なくなった理由を、母から伝えられた。
さらに、高校入学直前のことだった。
「家、出るから」
母からそう告げられたのは、引っ越しのわずか2日前だった。
「借金取りに突き止められたら、困るからなんでしょうね」
今、冷静になれば、母の隠密行動の理由も分かる。引っ越し準備の動きを、周囲に察知されるわけにはいかなかったのだ。
だから、幼なじみたちに、転居を告げるひまさえなかった。
「夜逃げ同然でしたね」
横浜市田奈の一軒家から、まるで逃げるかのように引っ越したという。
冷蔵庫やタンスなどの家具類はもちろん、ミニカーやメンコ、そして、何よりも大事にしていた「プロ野球選手のカード」のコレクションといった“宝物”さえも持っていくことはできなかった。
「ホントに行くのか?」
玄関で、靴を履くその背後で、悲壮な表情の父が、呆然と立ち尽くしている。そのシーンが、根鈴の心に鮮明に焼き付いているという。
「離婚には応じたけど、家を出て行くことまでは知らなかったみたいなんです。ビックリしていました」
父の視線を、その背中に感じていた。
「けっこう、きつかったです」
離婚、借金、そして、父を置いての転居。非情にも映る母の決断。ただそれは、愛する子どもを“守る”という一心からだった。
2階建ての一軒家から、間取り3Kのマンション。手狭になったとはいえ、転居先から日大藤沢高までは電車1本、30分もあれば学校に到着できた。朝練に向かうにも、練習が終わった後も、通学の負担はずいぶん小さくなる。
教師の母は、転居することで勤務先が遠くなった。それでも、根鈴のことを考えて、新居を選んでくれた。
苦しい、限られた、厳しい環境の中でも、息子の野球への情熱をくんでくれた母の愛情が、ひしひしと伝わってきた。
それでも、根鈴の心は揺れていた。
「世の中のことを分かっているようで、分かっていない年齢じゃないですか。両親が離婚して、違う家に帰って、ハッピーじゃない状況ですよね。思春期で、家がおかしくなって、どうしても物事を悪い方に捉えるじゃないですか」
15歳の野球少年は、理解の範疇をはるかに超えた、何とも複雑な状況に置かれていた。
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