akane
2019/03/25
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2019/03/25
先日、MLBの開幕シリーズ・アスレチックス対マリナーズが日本で行われた。その第2戦は今季からメジャーに挑戦している菊池雄星のデビュー戦であるとともに、平成のスーパースター・イチローの引退試合となる印象的なものとなった。
中でも注目を浴びたのは、イチローが記者会見で発した次の言葉だ。
2001年に僕がアメリカに来たが、2019年現在の野球は全く別の違う野球になりました。まぁ、頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような……。
もちろんイチローという偉大すぎる選手が熟考の末に絞り出したこの言葉を、自分ごときがこうだろうと言うのはおこがましいだろう。だが、編集者から依頼されてしまった以上、考えざるをえない。
ヒントはいつも、試合の中に眠っている。イチローの引退試合の中身を振り返ってみよう。
8回裏に回ってきたイチローの現役最終打席と思われた第4打席、相手投手は「スラット・カーブ理論(※1)」の体現者で90マイル前後のスラッターを駆使するスーパーリリーフのルー・トリビーノ。
※1……筆者が提唱する、スラッター(※2で後述)と大きなカーブもしくはスライダーを組み合わせることで相乗効果を狙う投球スタイル。
トリビーノの無慈悲とも言えるバックフット・スラッター(※2)にもイチローは必死で食いついてファールで粘り、カーブにもついていった。そして最後は真ん中低めの144キロのスラッターに合わせるも、ボテボテのショートゴロ。ショートがややもたついてギリギリのタイミングとなったものの間一髪でアウトとなり、その後の守備位置に着いてから交代した。東京ドームはイチローの引退を讃えて情熱的なシーンとなり、私もテレビの前で号泣していた。大選手イチローがバットを置き、1つの時代が終わった瞬間だった。
※2……打者の足元目がけて曲がり落ちてくるスラッター。打者としては非常に対処しづらい。スラッターとはスライダーとカッターの中間のような変化をする、近年MLBの一流投手たちが武器にしている変化球。
その後、9回に登板したアスレチックスのクローザー、ブレイク・トライネンは150キロ台のシンカーとカッター、90マイルのジャイロ回転スラッター(※3)を駆使する異次元の投球で、マリナーズ打線をあっさりと抑え込んだ。
※3……「漫画の世界の話」と言われるジャイロボールは実在し、MLBの一級品の投手たちはジャイロ回転を意図的に利用している(NPBにも何人か存在する)。
8回のイチローの最終打席以降、両軍はトライネンのクラスまではいかないものの、力のあるリリーバーたちが88マイル前後のスラッターを駆使し、打者は為す術なく打ち取られていった。
試合は動かず延長12回まで進行し、最後はアスレチックスがフレーミング(※4)の悪さからストライクを稼げず走者を出してしまい、併殺の完成を焦ったショート・プロファーの悪送球が決勝点となってマリナーズが勝利した。
※4……キャッチャーが柔らかな捕球によって、ストライクかボールか微妙な球を審判にストライクとコールさせる技術。
この試合を観てわかることは、現代野球がいかに「高速化」が進んでいるか、である。
データ分析が発展したことなどもあり、投手の球速は上がり続けている。
大柄な投手が100マイル(≒160キロ)近いスピードボールと88マイル前後のスラッターを駆使して短いイニングを完璧に抑え込む。そうなると打者は連打が難しいから、一発狙いのスイングでそれを振り回して三振する。このような「無」が積み重ねられるのが、「最先端」の野球なのである。
スラットボール(スラッターのこと)マニアの私でさえ、同じような光景がただ繰り返されていくと、さっきまでイチローの引退に号泣していたはずなのに、次第に冷めていき何となくダレていってしまった。
全盛期には「センター前ヒットならいつでも打てる」と豪語し、内野安打を「狙って」打っていたあのイチローが、ヒット1本を打つのにこれだけ苦しみ、もがいた。打率は.000でヒットは0本。世界で誰よりもヒットを打ってきた男が1本もヒットを打てなくなるまで絞りきった姿に人々は心を揺さぶられた。
一方、この試合で出てきたようなスーパーリリーフたちが投げる「神スラット」に打者は為す術なく三振を繰り返しす姿からは、こうした「エンターテインメント」「ドラマ」は失われている。
守備シフトの分析が進み、野手はシフト表に従ってポジションを修正する。投手は剛速球とスラッターで三振かゴロを狙う。打者は失投を狙ってホームランを狙い、振ったら消えるボールを空振りしてごめんなさいで帰ってくる。
これこそ、イチローが危惧している「メジャーの野球は頭を使わなくなっている」の真意ではないだろうか。誰よりも考えて野球をしてきたイチローからしたら、もどかしいに違いない。
とにかく不確定要素や人的要素を排除して合理化された野球が、本当に面白いのだろうか?
例えば守備シフトでがら空きとなったコースにセーフティバントをしたり、狙って打球を飛ばせばヒットを打てる。そうなると相手も極端なシフトは取りづらくなる。野手もデータやシフトを頭に叩き込んだ上で、投手の配球やコースからある程度打球の方向を予測して守る。こうした両者のせめぎ合いこそ、本来の野球にはあるべきだ。
最適化が進み、場面毎に合理的な選択を指示されたとしても、選手は本当にそれを従順にこなすだけになるのだろうか? そのような無機質な試合を見ているだけで、人々は心を揺さぶられるだろうか?
お互いに合理的な選択をしたとしても、結局は勝負事だから勝者と敗者に分かれる。一体何が、それを分けるのだろうか。人間には感情があり、常に合理的で勝利に結びつく選択だけをするものではない。
本来、私ごときがこのような事を言うのはおこがましく、恐れ多い。これもあくまでも私の推測に過ぎず、敢えて答えを示さないのがイチロー流の教育であり問題提起なのだと思う。
何か1つ「正解」があるのではなく、思考停止することなく考え抜け、というのがイチローのメッセージである気がしてならない。
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