ryomiyagi
2020/01/08
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2020/01/08
「愛着」(アタッチメント)とは心理学者がつくった用語で、ふたりの人間のあいだに生じる強い絆のことだが、それは親子の絆にも欠かせない。
愛着理論の“父”、イギリス人小児精神科医ジョン・ボールビーは、親子間の感情の深いところでの結びつきが子供の健全な発育にきわめて重要だと論じた。
初期の研究は母子間の愛着に焦点を当てたものが大半で、しかも、愛着を母子双方向ではなく、子供から母親への行動だと位置づけていた。
今日では、愛着が双方向の行動(母親も子供への愛着を形成する)であり、父子関係にも見られる現象であることがわかっている。
親子間や恋人間の愛着関係はよくあるが、親友同士にも生じうるし、ペットと飼い主の間にも見られるともいわれる。愛着は定義しにくい。
これがそうだとはっきりとらえにくい現象のひとつだが、心理学者はその現象を目にすればそれだとわかる。
恋人間でも、親子間でも、愛着関係を観察すれば、両者とも物理的にそばにいたがり、環境を見定めるためにお互いの感情の動きに常に気を配り、離れると悲しくなるのがわかる。子犬が母犬から、あるいは幼児が親から引き離されたらどうなるか想像すればいい。
母親がまだ生まれていない赤ちゃんへの愛着を形成するという点については議論の余地はない。母親にはおなかの赤ちゃんが動くのがわかるし、わが子と手に手をとって肉体と感情の親密な旅路を歩んでいくので、愛着形成は大いに早まる。これが母親の特権といわれるものだ。
しかし、それは本当に母親だけの特権なのだろうか? 今では、その特権が母親以外にも付与されうることを示す有力な証拠が多く集まっている。
父親もまだ生まれていない赤ちゃんに対して、母親と同じ強烈な愛着を形成できる。超音波(エコー)スキャンの登場は、父親たちのこの傾向を少なからず後押しすることになった。
父親たちははじめて想像の域から一歩抜け出し、実際に自分の赤ちゃんの姿を見たり、声を聞いたりできるようになったのだ。
概して、妊娠期のわが子を見られるのは有益だ。わたしの研究に参加してくれた父親たちにとって、スキャンに立ち会うかどうかはおしなべて悩むまでもないことで、赤ちゃんに異常が見つかるかもしれないという不安はあるものの、たいていの場合、待ちに待った赤ちゃんの姿が見えたときには、安堵、プライド、喜びといった感情に包まれる。
昨今では、親はわが子の心音を聞いたり、姿を見たりできるだけでなく、4Dスキャン(赤ちゃんの三次元映像をリアルタイムで映し出すことができる)によるフル・サラウンド・サウンドまで体験できる。
赤ちゃんがどんな顔をしているかといった話に花が咲く。父親にはまだ生まれていないわが子の体の動きがほとんどわからないのだから、この技術は母親と同等の経験ができるすばらしい機会を提供してくれる。
きめの粗い白黒画像の時代は過ぎ去り、高画質の映像をDVDに保存して家に持ち帰り、好きなときに何度でも見られるようになっている。
イタリアの2病院の産婦人科を拠点とするピエール・リゲッティとその同僚たちは、2D、4Dそれぞれのスキャニング技術がこれから親になる人たちに与える影響を比較研究した結果、父親たちは2Dスキャンより4Dスキャンの検診に付き添ったときのほうが、これから生まれてくる赤ちゃんに対する愛着形成が早まることがわかった。
スキャンの2週間後に愛着の度合いを確認してもそうだった。立体で動くわが子の映像を見る機会と、それを何度でも好きなだけ見られる自由とが組み合わされば、父親だって9カ月の妊娠期間をとおしてわが子とつながっていられるのだ。
親子間の愛着は、個人がもっとも早く形成する、おそらくもっとも堅固な愛着であり、それが健全であるか不健全であるかによって、その子の生涯にわたる健康状態や行動は大きく変わってくる。
したがって、父子間の愛着は子供、家族、社会全体にも長期の影響をおよぼす。近年、父子間の絆は、独特かつ重要な関係を形成する別種の絆だと見なされるようになっている。
オーストラリアのフリンダーズ大学で心理学を研究しているジョン・コンドン教授は、赤ちゃん誕生の前後両時期において愛着が形成される際にどんな重要局面があるのか、そして、父子間と母子間の愛着にどんなちがいがあるのかを探っている。
まず、どのくらいの頻度でわが子のことを考えるか、そのときどんな感情がわき起こったか。特に大切なのは、赤ちゃんを“小さくてもひとりの人間”として脳裏に思い描くかという点と、赤ちゃんに対してネガティブな気持ちではなく、ポジティブな気持ちをどれだけ抱いているかという点だ。
生まれてくるわが子がだれに似ているかとか、どんな名前をつけようとか、いつまでも考えたりするだろうか? そうやって考えているうちに、やさしさ、愛しさ、しあわせといった感情がわき起こってくるだろうか? あるいは、わが子の将来の姿をほとんど脳裏に思い描くこともなく、描いたとしても、いらだち、怒り、不満しか感じないだろうか?
ふたつ目の要素は、みずから選んだ父親というアイデンティティにどれほど満足しているか、もっといえば、どの程度“子供に深くかかわる父親(involved father)”になるイメージができているかという点だ。
“子供に深くかかわる父親”とは1980年代につくり出された言葉で、母親との育児分担を望み、わが子の世話と心身の発育にできるかぎり手をかけようとする父親、すなわち、世にいう“イクメン”のことだ。
この新しいタイプの父親は、一家を厳格に束ねる昔ながらの“大黒柱”、つまり典型的な前世代の父親像と好対照をなしている。
これから父親になる男性のうち、“稼ぐこと”が自分の本分だと考えている人よりも、育児を最重要事項と考え、“夫”や“稼ぎ手”に加えて“父親”がアイデンティティの主要素をなしている人のほうが、生まれてくる赤ちゃんに対して強い愛着を形成することがわかる。
そして、マークのように、そんなアイデンティティを喜んで受け入れる男性も多い。
週60時間も働いて、そばにいられないのはごめんです。ぼくが子供のころ、父はすでに成功していて、会社の重役でした。でも、週末にしか会えなかった……。ぼくは子供に夕食を食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつける……毎晩毎晩、ずっとそんな夜が続けばいい……。ぼくはそばにいて、子供の記憶に残りたいんです。
――マーク エミリー(六カ月)の父親
思春期、初恋、はじめての身内の死別などと比べれば、妊娠・出産は、来る人生環境の激変についてじっくり準備してのぞめるイベントといえる。
親は九カ月の妊娠期間を利用して、生活面や感情面で新しい家族の到来に備える機会を得られる。多くの父親にとって、どんなタイプの親になりたいかと自問することは、その準備において重要な要素だ。
また、そうやってアイデンティティを考えることは愛着の形成にきわめて大切であり、男性の自己認識とパートナーとの関係性にとっても重要である。
最後に、生まれてくる子供との絆の強さを大きく左右する外的要因がひとつある。パートナーとの関係性だ。生まれてくる子供のふた親の関係が堅固かつ健全で、関係に対する満足度も高く、お互いの役割を支え合っていれば、父親はパートナーとの距離がひらいている場合より、生まれてくる子供と強い絆を形成する可能性が高い。
もちろん、確立した関係に赤ちゃんがくわわれば、そこから先の旅路はどんな夫婦にとっても険しくなるが、夫婦が手を取り合って歩めるなら、それだけ家族全体のためになる。
子供が生まれる前に父子間に形成される絆の大半は、父親の想像力とがんばりしだいだ。わが子との将来の関係を思い描き、パートナーのおなかの中にいる赤ちゃんと交流する機会をできるかぎり求め、どんなお父さんになりたいのかをじっくり考えるかどうかだ。
九カ月の妊娠期間に付き添っていられるなら、この時期におなかの赤ちゃんと絆を結ぼうとする努力は、赤ちゃんが生まれたあとで1000倍も報われる。
いくらばからしく思えても、ふくらんだおなかと会話してみよう。話しかけ、歌いかけ、手で触れよう。なんならチョーサー全集を読み聞かせたっていい。とにかく声を聞かせたほうがいい。どんな赤ちゃんがいるのか想像する。
どんな子になるだろうか、どんな容姿になるだろうか? 子供と一緒になにをして、どんな父親になるのか? 赤ちゃんの世話に振りまわされる前に、出産後の暮らしがどうなるか、その暮らしに自分がどうかかわるのか、パートナー、家族、友人とじっくり話し合ったほうがいい。
近々訪れる変化に不安を感じるのは自然だが、単なる不安ではなく悩みになっているなら、いちばん親しい人たち、あるいは保健師などの支援してくれる専門家に自分の思いや恐れを打ち明けたり、オンライン・フォーラムで匿名の相手に支援を求めてもいい。
自分自身をしっかりケアできていれば、赤ちゃんが生まれたとき、新しい役割、新しい家族、そして新しい生活に全力を注げる。それを忘れてはいけない。
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