BW_machida
2021/01/26
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2021/01/26
遍路と言えば四国。そう思い浮かべる人がほとんどかもしれませんが、小豆島は平安時代には山岳修業が盛んにおこなわれた地であり、弘法大師が小豆島を訪れ修行を積んだとされる八十八の霊場が小豆島遍路の札所になっています。
“四国と同じで八十八の霊場があるってことは、なんとなく知っていた。車でその辺を走っていれば、「第◯番札所 ◯◯寺」という看板に出くわす。歩いていると「へんろ道」と書いた指さし看板も、ちょこちょこついているえ、ここが?? けもの道じゃないの? といような山の小道を指していることも多くて、ぎょっとするのだ。”
著者の内澤さん自身、小豆島遍路があることは知っており、自分の生活圏や観光地以外の未知の小豆島の姿を知るためにもいつかは挑戦してみたいと思っていたそう。
そして移住してから3年がたったころ、ある契機によって内澤さんは小豆島遍路に繰り出すことになります。
“宗教に、広義に言えばスピリチュアルな非科学的なモノ全般に対して、かたくなに距離を置いて生きてきた。いや、科学がいまだ解明できないことがたくさんあることも、わかっている。それでも、信心で病気が治るとも思っていないし、死ねば全て終わりで、霊がウロウロしているとかも、信じていない。霊感も、ないはず。癌に効くという健康食品にも、願いが叶うパワーストーンの類にも、なるべく近づかずに済ませてきた。”
こう語る内澤さんは、過去に乳癌を患った時ですら「死なば死ね、殺せ」と、神頼みすることもなく強気にたくましく生きてきました。そんな折、その後2年に渡り続くことになるストーカーとの戦いや、親しい人たちを癌の闘病・逝去がその心境に変化が起こします。
“こういう辛さをドコに吐き出せばいいのだろう。”
犯罪被害、病や死という自分ではどうすることもできない、辛い出来事の連続にふと弱気になったとき、内澤さんの頭に小豆島遍路に行くことが浮かんだそうです。
“そろそろ、信仰とか、スピリチュアルと言われるもの全般との付き合いを、考え直してみてもいいのではないだろうか。すぐに信仰を持ちたいというわけではない。いや、一生持たない可能性もある。でもちょっとフウとかハァとか息をついて、祈ってみたい。そんな気持ちになりつつある。小豆島に来たのも何かの縁ということで、八十八か所を歩きつつ、自分なりの祈りを探してみようか。”
そう思い立ち、小豆島八十八ヶ所の歩き遍路に出ることにした内澤さん。
しかし、忙しい現代人である内澤さんには家を数か月も空けて遍路に出ることはできません。そこで内澤さんが実践したのが、自身が“ボチボチへんろ”と表現する遍路方法です。
一度に長期間かけてすべての霊場を回るのではなく、日常の仕事や家事の合間、半日から一日くらいの時間で数カ所の霊場のみを回っては帰宅、また別の日に前回最後に回った霊場近くの地点から出発し次の霊場へ、という具合にリレー方式に八十八ヶ所を回りきるのです。
遍路の格好は四国巡礼と同じく、白衣(びゃくえ)に菅笠(すげがさ)、金剛杖など本格的。遍路では住宅街を歩くこともあるのでわかりやすい遍路姿は不審者ではないことをアピールするためにも便利なんだとか。
遍路のお供は『小豆島八十八ヶ所巡拝 おへんろ道案内図』。必要な情報がすべて載っている小豆島遍路必携の地図だそうです。
しかし、これさえあれば間違いなしという地図を持ちながら内澤さんの遍路道中は迷走を極めることに……。
“やばい、どう考えても通過して歩き過ぎている。あわてて身を翻して、もと来た道を戻る。どこにあるのだ、左折地点。いきなり初手から迷いまくりで、この先どうなることやら……。”
“すごいぞ私、一度巡礼したところなのに、コースのほとんどで迷っている。自分の人生より迷走しているんじゃないか。これでは瞑想どころではない。などとダジャレを言っている場合ではない。”
迷宮のような集落、美しい海沿いの道、うっそうとした山林、断崖絶壁……小豆島の様々な風景に出会いながら巡礼していく内澤さんは最終的にどんな結願を迎えるのか……?2年の歳月をかけ小豆島遍路を踏破したその軌跡を、『内澤旬子の島へんろ』でぜひ確かめてください。
文/藤沢緑彩
イラスト/大林慈空
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